猿渡由紀「ウディ・アレン追放」読了。
本書は、映画監督ウディ・アレンの性的虐待疑惑事件を俯瞰的にまとめた長編ルポルタージュである。
本書の特徴は三つ。
第一に、中立的であること。
第二に、家庭環境にアプローチしていること。
第三に、結論を出していないこと。
双方の主張を客観的に列挙
本書は、<ウディ・アレン>が養女に性的虐待を行った、と主張する<ミア・ファロー>の側にも、性的虐待を完全否定するウディ・アレンの側にも立たずに、完全に中立的な視点から綴られている。
そのため、双方にとって都合の良いこと、都合の悪いことが網羅的に列記されているという点で、本書は俯瞰的なルポルタージュということができる。
そもそも、性的虐待は客観的な証拠の収集が困難な場合も多く、真否の判断は当事者の主張に委ねられる部分が大きい。
本事案の場合、被害者である<ディラン>の供述が安定していないことから、司法当局も白か黒かの判断を下すことが難しかったと思われる(ウディ・アレン側が、司法当局に対して圧力をかけたとの証言もある)。
いくつになっても若い女性が好きだったウディ・アレン
興味深いのは、本書が、ウディ・アレンとミア・ファローそれぞれの家庭環境からアプローチしている点である。
例えば、ウディ・アレンの場合、20歳で最初の結婚をした時、相手の女性<ハーレーン・ローゼン>は、高校を卒業したばかりの17歳だった。
ハーレーンとの関係が冷えてきたところに出会った女性が、2人目の妻となる<ルイーズ・ラッサー>で、彼女は大学を中退したばかりの20歳だった(8年後に結婚)。
さらに、ルイーズと別れたときに交際していたのが<ダイアン・キートン>で、二人は、ウディ33歳、ダイアン23歳という、年の差カップルだった。
41歳のとき、ウディは17歳の美少女<ステイシー・ネルキン>とも交際をしている。
そして、問題の<ミア・ファロー>と内縁関係にあるとき、ウディは、ミアの養女<スンニ・プレヴィン>と性的関係を持った。
このとき、スンニは高校を卒業したばかりで、ウディ・アレンは、いくつになっても若い女性が好きだったということは、客観的に言えるかもしれない。
1992年、ウディはスンニと結婚。二人の夫婦関係は、現在も続いている。
養子に対する虐待が疑われたミア・ファロー
一方、ミア・ファローの場合、彼女は19歳のときに、29歳年上の<フランク・シナトラ>と交際をはじめ、21歳で結婚するが、わずか2年後に離婚。
25歳の時、妻帯者だった<アンドレ・プレヴィン>(ピアニスト)と不倫恋愛の末に再婚、ベトナム反戦に関心を強めるうちに、戦災孤児を養子として迎えたいと考えるようになった。
ミアは、特に、障害のある子どもを積極的に養子として受け入れ、ウディ・アレンとの交際中には、4人の実子と5人の養子と暮らしていたが、「母親の子どもたちに対する愛情にはヒエラルキーがあった」と、一部の子どもは証言している。
子供たちの中にはヒエラルキーがあり、ミアはそれを隠そうともしなかった。ミアが好きなのは頭の良い子とルックスの良い子で、頭が悪いとレッテルを貼られたスンニは、対象外だったのだ。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
ウディ・アレンの性的虐待疑惑論争の基本パターンは、当時、ミアに可愛がられた子どもたちがミアの主張を支持し、そうではなかった子どもたちがウディの主張を支持する、といった構図にある。
ミア派の筆頭は、ウディとミアの実子であるジャーナリストの<サチェル・ローナン・ファロー>と、「性的虐待の被害者」で、ウディの養子となっている<ディラン・ファロー>。
一方のウディ派は、ウディと結婚した、ミアの養子<スンニ・プレヴィン>と、ウディの養子となった<モーゼフ・ファロー>。
ミアから虐待を受けて育ったスンニは、復讐のために、母親の恋人であるウディを寝盗った、とする説もあるが、スンニは「復讐だけで結婚生活は続かない」と、これを否定している。
ミア・ファローによる子どもたちへの虐待には、多くの証言があるとともに、養子のうち3人までが、若くして不幸な死を迎えているといった事実も痛ましい。
そのような環境は、他の養子たちを苦しめた。タムが21歳の若さで亡くなった時、メディアは死因を心臓麻痺だと報じたが、本当の理由は薬物の過剰摂取による自殺だった。タムはその前から欝を抱えていたのだが、ミアは「気持ちの波が激しいだけ」と治療を受けさせなかったのだ。タデウスも、車の中で拳銃自殺した。ラークも長い間精神の病と依存症に苦しみ、貧困の末エイズで、35歳で亡くなった。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
同じく養子の<モーゼフ>から見ると、ウディと結婚したスンニは、この地獄のような場所から抜け出すことができて幸運だったということになるらしい。
もうひとつ、注意したいのが、ミア・ファローの育った家庭環境である。
問題は、ミア自身が育った家庭環境にもあった。モーゼスは、ミアが過去に家族の誰かから性的虐待に遭いそうになったことを、本人の口から聞いている。ミアの弟ジョンは複数の子供に性的虐待を加えた罪で刑務所入りをした。皮肉なことに、ミアが、ジョンの被害者を気遣う言葉を言ったことは一度もない。また、ミアの兄パトリックは、2009年に自殺をしている。(猿渡由紀「ウディ・アレン追放」)
彼女の父親は、映画監督の仕事が順調でなくなってから、泥酔して妻にDVを働くことも少なくなかったという。
ミア・ファローの父親は、映画監督のジョン・ファロー。母親は『類人猿ターザン』(1932)の<ジェーン>役などで知られる女優のモーリン・オサリヴァン。
こうした家庭環境が、多くの養子たちと暮らす家庭の中で、何らかの歪みを生じさせたとしても、不思議には思えないような気がする。
ヒステッリクな感情論争ではなく、冷静な考察を
各種の証言を積み重ねながら、最終的に筆者は結論めいたものを一切導き出していない。
相反する証言が輻輳する中で、ウディ・アレンによる性的虐待があったか否かを判断することは不可能であるというのが、筆者の結論だろう。
むしろ、筆者は、多分に間隙のある双方の主張を明らかにすることで、ヒステリックな感情論争となっているウディ・アレンの性的虐待疑惑を、冷静に考察するよう呼びかけているのではないだろうか。
そもそも、これだけの証言を列挙しても、真実を導き出すことができないのが、ウディ・アレンの性的虐待疑惑である。
それでも、ウディは「性的虐待の疑いがある人物」として、アメリカ映画界を追われた。
『レイニー・デイ・イン・ニューヨーク』の出演料を寄付すると宣言した主演の<ティモシー・シャラメ>は、「『君の名前で僕を呼んで』でアカデミー賞を取れるかもしれないから、今はこうしなければならないのだ」と告白したことが明らかとなっている。
もしかすると、アメリカには、真実よりも、もっと大切なものがあるのだろうか。
それは、いかにも不思議な社会だという気がするけれども。
書名:ウディ・アレン追放
著者:猿渡由紀
発行:2021/6/10
出版社:文藝春秋