映画

『カセットテープ・ダイアリーズ』ブルース・スプリングスティーンが支えた父親との和解

『カセットテープ・ダイアリーズ』を観た。

イギリス在住のパキスタン人の男子高校生が、ブルース・スプリングスティーンに影響を受けながら成長していく青春映画だ。

全部観終わったときには、すごく奥の深い映画だと分かったけれど、スプリングスティーンに触発されて家を出るあたりまでは、浜田省吾の歌みたいな話だと思っていた。

「日本のブルース・スプリングスティーン」浜田省吾

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「日本のブルース・スプリングスティーン」と呼ばれた浜田省吾は、『Home Bound』『愛の世代の前に』『PROMISED LAND』『DOWN BY THE MAINSTREET』あたりまでは、本当にスプリングスティーンみたいに、家を出て、街を出ていく、少年の歌が多かった。

例えば、新興住宅街の中産階級の家庭で育った少年が、独立を夢見る「マイ・ホーム・タウン」。

今夜 誰もが 夢見ている いつの日にか
この街から 出て行くことを

(浜田省吾「マイ・ホーム・タウン」)

あるいは、家出少年のテーマソングとも言える「反抗期」。

ボストンバッグに
ラジオと着がえ 押し込み
退学届けと手紙 ポケットに入れて
今夜 お前は 世界を相手に
戦い始める ティーンエイジブルー

(浜田省吾「反抗期」)

デビュー曲「路地裏の少年」が、そもそも家出から始まる少年の物語だった。

真夜中の校舎の白い壁に
訣別(わかれ)の詩 刻み込んだ
朝焼けのホームにあいつの顔
探したけど涙で見えず
「旅に出ます」書き置き 机の上
ハーモニカ ポケットに少しの小銭

(浜田省吾「路地裏の少年」)

俵万智のデビュー歌集『サラダ記念日』には、「「路地裏の少年」という曲のため少し曲がりし君の十代」という歌があって、我々世代に対する浜田省吾の影響力の大きさを感じさせてくれる。

だから、主人公のジャベドが父親に反抗して家を出て、アメリカへ渡ってしまうあたり、どこの国にも浜省少年はいるんだなあという感じを受けたわけだ。

そのとき、ふと、映画の舞台が1987年(昭和62年)だということに気がついた。

1987年(昭和62年)といえば、僕は大学2年生で、あるいは、ジャベドと、ほぼ同世代だったのかもしれない。

ジャベドのモデルとなっているサルフラズ・マンズールは、1971年(昭和46年)生まれなので、正確には僕たちよりも4つ年下ということになる。

考えてみると、僕もジャベドと同じように、父親に反発して、家を出て、故郷を出た、少年の一人だった。

自分を励ましてくれた音楽が、ブルース・スプリングスティーンではなく、浜田省吾だったというだけの違いだ。

どうして、あの頃の僕たちは、あんなにも家を出たかったのだろうか。

とにかく早く独立したかったので、憧れの一人暮らしを始めたときは、本当に嬉しかった。

松任谷由実の「気ままな朝帰り」という曲の主人公の気持ちが、僕にはよく分かる(男性だけれど)。

家なんか出てしまおう
なんとかくらして
もう二度としばられない

(松任谷由実「気ままな朝帰り」)

とにかく、家を出て、故郷を出る。

それが、僕たちの時代の青春だったのだ。

そう、石橋凌が歌ったみたいに。

おふくろが きらいになったんじゃない
この家が いやになったんじゃない
今は ただ
この灰色に褪せた街を出てゆきたいだけ

(ARB「淋しい街から」)

意外だったのは、主人公のジャベドが、故郷ルートンへ戻って来て、父親と和解する展開だ。

つまり、この映画は、少年の成長物語であると当時に、父親の(あるいは家族の)成長物語でもあったということなのだろう(『北の国から』の黒板五郎と純のように)。

全編にブルース・スプリングスティーンの曲が流れて、そういう意味では爽快感に溢れる映画だけれど、当時の高校生にとって、ブルース・スプリングスティーンは、あまり人気のあるミュージシャンとは言えなかったらしい。

「今は1987年だぜ? ブルースなんて親父の聴く音楽だ」という台詞に代表されるように、トレンディな高校生は、ブルース・スプリングスティーンなんか聴かなかったのだ(「シンセサイザーこそ未来だ!」)。

ボブ・グリーンの「ブルース・スプリングスティーン現象」

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ところで、1980年代に日本でも大人気だったアメリカのコラムニスト、ボブ・グリーンは、ブルース・スプリングスティーンに熱狂したアメリカ国民の姿を「ブルース・スプリングスティーン現象」というコラムに綴っている。

それは、1986年(昭和61年)11月10日、ライブ・アルバム『The “Live” 1975-1985』が発売されたときのことだ。

5枚組のボックス・セットは、発売初日で100万セット以上も売れたという。

発売日の月曜日、ブルース・スプリングスティーンがベッドから起きだす前、彼はすでに、たいていの人が100年かかって貯めたいと願っている以上の金を、あっさり稼ぎだしていたのだ。(ボブ・グリーン「スプリングスティーン現象」菊谷匡祐・訳)

アメリカ中がスプリングスティーンに熱狂している中、著者のボブ・グリーンは「ぼくはスプリングスティーンを買わない」と宣言している。

なぜなら「まったくのところ、ぼくは彼の音楽の魅力がわからない」からだ。

ぼくはスプリングスティーンをこれまでラジオでしか聴いたことがないが、彼の歌声が流れてくると、たいていは他の局にダイヤルを回してしまう。彼の音楽は、僕にとって何でもないのだ。(ボブ・グリーン「スプリングスティーン現象」菊谷匡祐・訳)

1986年(昭和61年)のボブ・グリーンは39歳だった。

「ブルースなんて親父の聴く音楽だ」という、その「親父の世代」で、ボブ・グリーンは生きていたのだ。

どんな人気アーティストにもアンチが存在するということを、このエピソードは証明しているのではないだろうか。

アメリカに到着後、入国審査の担当者から入国の目的を訊かれたとき、ジャべドは「ブルース・スプリングスティーンの故郷へ行くためだ」と答える。

すると、入国審査係の男性は「ボスの故郷を訪ねるなら、もちろんオーケーだ!」と言って、審査をパスさせるのだが、こういうのは、いきなりアメリカっぽくていいなあと思った。

父と息子の物語を軸に、移民問題(民族問題)を絡めたりして、この映画は、単なるブルース・スプリングスティーン讃歌の映画ではない。

そこには、現代社会の持つ課題が、スプリングスティーンという音楽のフィルターを通して、しっかりと描かれている。

ノスタルジーから観た映画だったけれど、この映画は、決して過去を映しているのではないと思った。

僕たちは、1987年(昭和62年)のイギリスを観ると同時に、未来の地球をも観ていたのだ。

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