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小林多喜二『防雪林・不在地主』北海道の貧しい開拓農民たちの「逆ギレ」という小作争議

小林多喜二『防雪林・不在地主』北海道の貧しい開拓農民たちの「逆ギレ」という小作争議

小林多喜二『防雪林・不在地主』読了。

本作『防雪林・不在地主』は、2010年(平成22年)4月に岩波文庫から刊行された作品集である。

収録作品及び初出は次のとおり。

「防雪林」
・生前未発表

「不在地主」
・1929年(昭和4年)11月『中央公論』


貧しすぎる開拓農民の暮らし

小林多喜二は北海道の郷土作家である。

たとえ、彼が秋田県の小作農家出身で、東京の築地警察署で虐殺されたプロレタリア作家であったとしても、やはり、小林多喜二は北海道の郷土作家だ。

なにしろ、小林多喜二の小説には、隅々まで北海道の匂いが染みついているのだから。

例えば、『防雪林』や『不在地主』は、石狩川流域で暮らす開拓農家の貧しい暮らしを描いた農民文学である。

ちなみに『防雪林』と『不在地主』とは親子のような小説で、生前未発表の『防雪林』を大幅に書き直して、正式に発表された作品が『不在地主』だった。

未成熟な『防雪林』には、北海道の原野に通じる野性味のたくましさがあり、完成された『不在地主』は、スマートで都会的なプロレタリア小説へと生まれ変わっている。

だから、北海道文学を推す立場としては、断然に未成熟の『防雪林』をおすすめしたい(正統派のプロレタリア文学に興味のある人には『不在地主』がおすすめ)。

岩波文庫『防雪林・不在地主』(2010)は、一冊で両方の作品を読み比べるできる素晴らしい作品集だが、残念ながら現在は版元品切れにより入手困難となっている(岩波文庫あるある)。

2008年(平成20年)に発生した謎の「蟹工船ブーム」で小林多喜二が注目される中、岩波文庫も『防雪林・不在地主』を出版したわけだが、ブームが落ち着いた今、本作が重版される可能性は未知数なので、とりあえずは「青空文庫」の活用をおすすめしたい。

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さて、本作『防雪林』の舞台は、岩見沢市の石狩川流域に拓かれた「旧・北村(きたむら)」で、作品中の「停車場のある町(H駅)」は、函館本線「幌向駅」のある「幌向(ほろむい)」がモデルとなっている。

主人公一家が暮らす「東村(S村)」は「北村砂浜」で、小作争議の打ち合わせ会場となった「小学校」は「北村立砂浜小学校」のことだが、この小学校は残念ながら1997(平成9)年に閉校となってしまった。

時代設定について『不在地主』では「1927年(昭和2年)12月23日」に小作争議の勝利が確定したと記されている。

岩見沢市の公式サイトにも、小林多喜二に関する情報がある。

昭和2年(1927年)プロレタリア作家の小林多喜二が取材のため砂浜に立寄る。(「岩見沢市」公式サイトより)

元ネタは、多喜二の残した日記だろうか。

十月十日 「砂浜村」へ九月二十四、二十五日行った。(「日記(1927年)/『小林多喜二全集(第七巻)』)

つまり、この小説に描かれているのは、昭和初期の北村砂浜地区(現在の岩見沢市)における開拓農民たちの暮らしだった、ということだ。

当時、小樽では「富良野磯野農場小作争議」が盛り上がっていて、多喜二も労働農民党小樽支部や小樽合同労働組合との関係を深めつつあったらしい(この辺りの経過は『不在地主』で描かれている)。

源吉は肩に大きな包みを負って、三里ほど離れている停車場のある町から帰ってきた。源吉たちの家は、この吹きッさらしの、平原に、二三軒づつ、二十軒ほど散らばっていた。(小林多喜二「防雪林」)

今から100年前の北海道で、開拓農家の暮らしはまだまだ安定していなかった。

その中央にある小学校を除いては、みんなどの家もかやぶきだった。屋根が変に、傾いたり、泥壁にはみんなひびが入ったり、家の中は、外からちょっと分からない程薄暗かった。(小林多喜二「防雪林」)

彼らの貧しい生活は、この物語の大きなテーマと密接に関連している。

開拓農家の暮らしが、明治時代からいっこう改善していないというところに、この物語の伝えたいものが含まれているからだ。

主人公(源吉)一家は、この貧しい開拓農村を象徴する存在である。

母親は焚火の上にかけてある鍋から、菜葉の味噌汁を皆に盛って出した。(略)せきが、芋と小豆の交った熱い粥をフウフウ吹きながら、叱った。(小林多喜二「防雪林」)

主人公(源吉)一家は、石狩川に遡上する鮭(秋味)を密漁しなければならないほど、生活に困窮していた。

友人(勝)と二人で鮭の密漁に出かける源吉の姿は、開拓移民の粗野なたくましさを象徴しているようにも読める。

仮に、密漁の現場を道庁の役人に押さえられた場合には、その役人を殺してしまいかねないほど、源吉の生活は切迫していた。

彼らの生活を圧迫する者、それを象徴する存在が「地主」だ。

『不在地主』では小樽にいる地主が、『防雪林』では「停車場のある町」(つまり「幌向」)に暮らしている。

父の代から働き続けて、今も穏やかな生活をすることができないままの彼らが望んでいるのは、いつか故郷(国)へ帰ることだった。

初め、「国」を出るときには、百姓たちは、北海道へ行ったら、一働きして、うんと金を作って、国へもどってきて安楽に暮そう、そう考えていた。誰でもそうだった。源吉の父もそうだった。しかし、どの百姓だって、それのできたのが誰もいなかった。(小林多喜二「防雪林」)

彼らは働いても働いても先の見えない暮らしの中で、ただただ働き続けていた。

源吉の父親が、自分の一家をつれて、その頃では死にに行くというのと大したちがいのなかった北海道にやって来、どこへ行っていいか分らないような雪の廣野を吹雪かれながら、「死ぬ思いで」自分達の小屋を見付けて入った。その頃、近所を平気で熊が歩いていた。(略)――その時から二十年近く、源吉の父親達が働きに働き通した。(小林多喜二「防雪林」)

彼らの生活がいつまでも苦しいのは、北海道開拓のシステムから生まれている。

既存のシステムを破壊しなければ、安住の日など訪れるはずがない。

彼らはシステムに盲従してきた歴史を捨てて、昂然と立ち向かっていく。

この物語が描いているのは、貧しい暮らしの中で、巨大な資本主義というシステムに立ち向かっていく、農民たちの姿である。

いわば、それは、追い詰められた百姓たちの「逆ギレ」だったかもしれない(そりゃあキレるだろう)。

集ったどの百姓も長い苦しい生活でどこか、無理矢理にひし曲げられたところがあった。――どこか片輪だった。(小林多喜二「防雪林」)

インバウンドで多くの観光客が訪れる北海道の開拓史を、いったい、どれだけの外国人が知っているというのだろうか。

北海道の開拓を支えたのは、農民や土方や坑夫などのプロレタリアートたちである。

都会のインテリな工場労働者たちのように、彼らは賢くなかったかもしれない。

それでも、彼らは生き続けていた。

彼らなりの未成熟な言葉で資本家たちと戦いながら。

札幌から旭川へと向かう特急カムイが幌向駅を通り過ぎるとき、僕はいつでも『防雪林』のことを思い出してしまう。

青空の下に広がる雪原の向こう側に、遙か遠くポプラ並木の防雪林が、冬枯れたままで立っていた。

それは、開拓原野に生きる農民たちの姿に、どこか似ていたかもしれない。

冬枯れの防雪林は貧しい農民たちの象徴だった

開拓地にこだわり続ける源吉と同時に描かれているのは、都会の暮らしに憧れて村を離れていった若者たちの姿だ。

源吉が好きだった女の子(お芳)は、家計の厳しさを助けるために札幌で女給となり、金持ちの大学生の子どもを妊娠してしまう。

お芳は札幌にいたうちに、ある金持の北大の学生と関係した。そしてお芳が妊娠したと分かったときに、その学生にうまうまと棄てられてしまった。その学生の実家は内地にたくさんの土地をもった地主だった。(小林多喜二「防雪林」)

多くの若者たちが、都会(北海道の場合は札幌だった)の暮らしに憧れていた。

源吉は、お芳が札幌へ行ったと聞かされたとき、本当のところ、別な意味からも「淋しく」された事を思い出した。村ではとてもやって行けないために、女達が都会(まち)へ出て下女になったり、女工になったり、――畠で働かなければならない男でさえ出て行った。だんだん村の人がいなくなる、そう思った。(小林多喜二「防雪林」)

晩秋の夜、一緒に密漁をした友人(勝)も、札幌へ出て行った。

「あ、勝君が苗穂の鉄道の工場へ入ったって、聞いたか」「ほんですか」源吉もひょいと気をひかれた。「やっぱりねえ。んなもんだ」「勝君の家で云ってたよ。――勝君もまた一苦労だ」(小林多喜二「防雪林」)

もちろん、札幌へ出たからといって、貧しい者たちの暮らしが楽になるわけではなかった。

貧しい者たちは、常にギリギリのところで生きていかなければならない。

俺が来てから、仲間の若い男が二人も、機械の中にペロペロとのまれてしまった。ローラーから出てきた人間はまるで大幅の雑巾のようなヒキ肉になって出てきた。一人の方の嬶が、それから淫売をやって子供を育てているという評判をきいた。(小林多喜二「防雪林」)

誰もが生きるために必死だった。

小林多喜二の小説に描かれているのは、必死に生きる人々のリアルな生活である。

北海道民の生活の原点が『防雪林』にはあった。

生き延びていける者は、それだけで幸運だったかもしれない。

妊娠した体で札幌から戻ってきた「お芳」は、生き延びることができなかった。

お芳は入口の少し入った所に、首を縊って、下っていた。さっき、父親が打ち当たったためか、ぶら下がっている身体が、その充分の重みをもって空中でゆるく、その垂直の輪のまわりを、右へ左へと眼につかない程の円転を描いて揺れていた。(小林多喜二「防雪林」)

生き延びるために、農民たちはレジスタンスを起こした。

そこには「賃上げ」とか「処遇改善」とかいう言葉では説明しきれないほどの切迫感がある(それは、文字どおり「生きるか、死ぬか」の闘いだった)。

真冬の極限状態の中で、彼らは戦っていた。

地主の自宅に放火する源吉の怒りは、開拓以来の貧しい暮らしに苦しんできた農民たちの怒りだ。

地主の家は停車場からは離れていた。が、その辺は、ヂリヂリとこげる程熱くなって、白い眩光を発しながら燃えているので、消防の人や、立って見ている人たちの顔の皺一本、ひげ一本までもはっきり見分けがついた。(小林多喜二「防雪林」)

雪原の中に立つ冬枯れの防雪林は、どうにか生きながらえている農民たちの象徴である。

源吉は誰にも気付かれずに、防雪林が鉄道沿線に添って並んでいるところまで走ってきた。防雪林の片側が火事の光を反射して明るくなっていた。(小林多喜二「防雪林」)

資本家(地主)の家が焼け落ちる炎を浴びて輝く防雪林には、貧しい中で必死に働く農民たちの明るい未来が反映されている。

冬の北道を描いたとき、小林多喜二はやはり素晴らしい作家だった。

雪の石狩の平原は、今度こそ、どこを向いたって、涯しもなく真白に、広がっていた。百姓家は所々ポツポツと、屋根だけ見せてうづまっていた。(略)寒気がひどくなると、家の中などは夜中に、だまっていても、カリ、カリ、カリと、何か、ものの割れるような音がした。(小林多喜二「防雪林」)

彼らの暮らしがうらやましいと言うことはできない。

しかし、北海道に生きる者として、我々の生活の源に、彼らのような開拓農民の暮らしがあったということは、決して忘れてはならないと思う。

北海道を築いてきたのは、いつか故郷へ帰ることを夢見る、内地の農民たちだったのだ。

「国ではどうしてるべ」こういう百姓にとっては、たとえ北海道に二十年いたとしても、三十年いたとしても、内地のことは忘れなかった。死ぬ時は、内地で、――昔、自分たちには決していい仕打ちをさえしなかった――村で、なければならない、そう、暗黙に思っていた。(小林多喜二「防雪林」)

荒削りの『防雪林』からは、野性味溢れる主人公像といい、貧しい農民ライフといい、有島武郎『カインの末裔』に対する強いリスペクトが感じられる。

北海道の開拓文学を語るとき、本作『防雪林』は欠かすことのできない作品だった。

率直に言おう。

小林多喜二を「プロレタリア文学」という観点からだけで評価するのは、絶対にもったいないと思う。

小林多喜二は北海道の郷土作家であり、北海道の歴史を語ることのできる開拓文学の作家だった。

そして、本作『防雪林』は、全道民におすすめしたい、小林多喜二の習作である。

作品名:防雪林
著者:小林多喜二
書名:防雪林・不在地主
発行:2010/04/16
出版社:岩波文庫

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懐新堂主人
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。