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開高健「ずばり東京」戦後オリンピック前夜の東京ルポタージュ

開高健「ずばり東京」あらすじと感想と考察

開高健「ずばり東京」読了。

タイトルが良い。

これこそ「ずばり東京だ」という本質を見極めようとする、強い意志がある。

東京という大都市の腸をさらけ出して太陽の元で観察してやろうという、強い覚悟を感じる。

時代は1963年(昭和38年)。

1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックを境に、東京の街は激変していくが、そのオリンピック前夜で揺れる東京の街を、著者(開高健)はまさしく這いずり回りながらルポタージュし続けた。

著者の言葉を借りれば「小説が書けないくせに生まれつき好奇心だけ旺盛で、バルザックや西鶴やドス・パソスがそうだったのだと弁解しながら、せっせと東京のあちらこちらに首をつっこんでまわり、なにやらかやらとチョンの間かいま見の見聞録」の集大成ということになる。

実際、著者の東京ルポは、東京という都市の本質をえぐり出すべく、神出鬼没の動きを見せる。

「空も水も詩もない日本橋」からスタートした東京放浪は、錦糸町や新宿あたりの深夜喫茶や「”戦後”がよどむ上野駅」、銀座七丁目並木通りの屋台に佃島の渡船場、大森にある労災病院と、目まぐるしく視点を変えてゆく。

オリンピック前夜の東京で目に付くのは、とにかく、その貧しさだ。

上野駅の地下道には浮浪者が集い、労災病院はどんとぶつかれば倒れそうなバラック二階建てで、ニコヨンのおばさんたちの昼弁当はオカズなしのにぎりめし。

戦後18年を迎える東京は、これほどに貧しかったのかと驚くくらい、あちこちに「貧しい」といった形容詞が繰り返される。

東京の大変革を支えたのが、多くの出稼ぎ労働者であったことは「酸っぱい出稼ぎ 東京飯場」に詳しい。

三宅坂のところにはオリンピックの高速道路をつくるための大群落があって、三千人の労働者が住む町は「飯場部落」と呼ばれている。

鉄骨二階建ての組立式バラックの、裸電球がぶら下がる部屋に、秋田や新潟や青森や岩手や山形や福島からやって来た、農閑期のお百姓さんたちが暮らし、東京改造に汗を流す。

食事は味噌汁と福神漬けとサンマの開きの簡単式で、豪勢な飯場の場合、御飯だけは食べ放題というところもあったらしい。

オリンピック前夜を端的に表現しているものが、こうした工事現場で働く出稼ぎ労働者たちのための飯場ではなかったか。

「”出稼ぎ”の現象はあまりにも深く日本国の背景に食いこむ酸っぱい現象である」と、著者は、この章を締めくくっている。

「書けない小説家」だった開高健は、この東京ルポタージュの中で様々な技巧を駆使しながら、時にはあたかも散文詩を読ませるような文学的表現を披露してみせる。

午前8時。よきサマリア人の会社員の軍団がふたたび黙々とヒツジの歩みを歩んでゆく。バタ屋のおじさん、おばさんが塵芥の車をひいてゆく。屋台でラーメンをすする少女がある。革ジャンパーのポケットに両手をつっこんで少女に狙いをつける少年が、もう、人影少ない舗道にキノコのようにたっている。夜の影とも、朝の影とも、私には判断がつかない。日が始まる。新しい狂乱が、正気のうちにざわめきの背を起してはじめられる。

東京をえぐるルポタージュは、ルポタージュを越えて美しい詩の世界を織りなしている。

美しい詩の顔をしたルポタージュに、東京の生々しい素顔をさらけ出されてゆく。

1963年。

東京も開高健も、まだ若かったのだ。

書名:ずばり東京
著者:開高健
発行:1982/10/25
出版社:文春文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。