庄野英二「レニングラードの雀」読了。
本書は、1970年(昭和45年)の夏に、著者がソビエト旅行をした際の紀行随筆である。
「画文集」とあるように、随筆の間に旅先で描いたスケッチが収録されている。
旅行記は日記形式で日付ごとに綴られていて、「8月12日 出発前夜」に始まり、「9月7日 土佐沖を通って」で終わる。
なにしろ、現代のように、海外旅行が簡単ではなかった時代に、まして東側のソビエトを旅行するということには、多くの苦労が伴ったことだろう。
本書は、そんなソビエト旅行の苦労を綴った記録ということもできる。
ソ連での旅行は、「イントゥーリスト(国営旅行社)」を通しているのだが、どこのホテルに泊まるのか、それぞれの滞在地のイントゥーリストと話をするまで分からない。
ソ連国内での移動も、現地のイントゥーリストにチケットの手配を任せることになるが、なにしろ、満足に言葉が通じない一人旅である。
鉄道のチケットが予約できているのか、滞在地で宿泊先は確保できているのか、著者は、常に不安を抱えながら旅を続ける。
もっとも、一人旅とはいえ、現地では、イントゥーリストがガイドを案内してくれるから、その点は便利のようである。
若くて美しい女性がガイドに付いたときなどは、まるで恋人同士デートするような気持ちで、ソビエトの街を歩いたり、レストランで食事をしたりしている(ちなみに、著者はこのとき55歳だった)。
トルストイの『戦争と平和』のナターシャは美人であるし、先年、映画にもなった「戦争と平和のナターシャ」も気品のある美しい女優であったが、いま目の前にいるナターシャも「戦争と平和」の女優以上の美人であった。総じて未婚のロシア娘には美人が多いが、このナターシャは目をみはるほどに美しい。東京オリンピックの花チェコの体操選手チャスラフスカをもっと美しく愛くるしくしたような娘である。(庄野英二「レニングラードの雀」)
まして、ナターシャには「ものをいう時には顔をそば迄すり寄せてくるくせ」があったから、筆者はソ連の街並みよりも、この若くて美しい女性の方に意識を持っていかれていたらしい。
弟・庄野潤三とそっくりとアルメニア人
ところで、著者の庄野英二は、芥川賞受賞作家・庄野潤三の実兄である。
庄野さんの作品にも「英ちゃん」として度々登場する(「英二伯父ちゃんのバラ」でも有名)。
本書には、実の弟・庄野潤三に関する記述が一箇所だけあった。
開館時刻が近づいたので、ミューゼの前へいって待っていると、よく日に焼けた私の弟の潤三とそっくり同じ顔つきをして、ほほひげを生やした男が娘を連れて通りかかった。市場の帰りらしく娘は籠をさげていた。その男は私の顔を見るなり陽気に笑いかけてきた。そして、「お前の顔と俺とそっくりだ」というように自分の顔を指さし、握手を求めてきた。私たちは握手した。ごっつい手である。私と弟の顔は他人から見れば非常によくにているらしい。東京で開かれる文学関係のパーティーに出席すると、弟と間違えられることが度々ある。そしてその都度「失礼しました。お兄さんでしたか」と言われるのであった。(庄野英二「レニングラードの雀」)
著者は、自分の弟によく似た(つまり自分によく似た)アルメニア人の男と、その娘を写真に撮る。
そして、スケッチブックを出して、小学生ぐらいの娘に住所を書いてもらった。
日本に帰国してから、写真を送ってやろうと思ったのだ。
著者の一人旅は、こんなふうにして、現地の人々と触れ合う旅である。
小さな子どもを連れた美くて若い主婦をスケッチに描かせてもらったとき、その主婦は、わざわざブスコフ市のバッジを買ってきて、お土産にと贈ってくれた(「美しい主婦からのスーヴニア」)。
見知らぬ国の旅行は、不安と感動が共存しているものらしい。
書名:レニングラードの雀
著者:庄野英二
発行:1971/11/10
出版社:創文社