1985年(昭和60年)、高校3年生のとき、突然の「メイクアップ・ブーム」があった。
クラスで一番かわいいと評判のアイドル女子が「わたし、メイクアップ好きなんだ~」と、突然の「メイクアップ宣言」を行ったのだ。
男子の混乱ぶりは相当なもので、男子の大半は「メイクアップって何だ?」という反応ではなかったかと思う。
アイドル女子の「メイクアップ宣言」
ちょうどその頃、僕はメイクアップの12インチシングル『FIND OUT』を買ったばかりで、もちろん、既発のアルバム3枚は、既に自分の愛聴盤となっていた。
あるいは、彼女も『FIND OUT』を購入したという話から、「メイクアップ大好き宣言」に及んだのかもしれない(1985年6月21日発売)。
言わなきゃいいのに「オレもメイクアップ全部持ってるよ」などとカミングアウトしたその日から、クラス中の男子が次々と我が家を訪れては、貴重なメイクアップのレコードを借りていくようになってしまった。
あの頃、メイクアップのレコードを持っている男子は、もしかすると、クラスに自分くらいしかいなかったのかもしれない。
僕がメイクアップを聴くようになったのは、中学校時代の友人の影響だった。
高校生になった彼は、突如ヘヴィメタに目覚め、メタル・バンドのボーカルなどを担当するようになってしまったが、「何か聴きやすいやつないの?」と言った僕に、彼がリコメンドしてくれたのが、アースシェイカーとメイクアップだった。
本当は、もっとたくさんのレコードを借りたのだが、当時の僕の心に刺さったバンドが、この二つだったということかもしれない(X-RAYとかブリザードとかアルージュとか)。
1983年(昭和58年)にメジャーデビューしたアースシェイカーは、既に「MORE」や「RADIO MAGIC」などが学園祭ライブの定番レパートリーとなっていた一方、1984年(昭和59年)デビューのメイクアップは、まだまだ無名の存在だった(なにしろ、田舎の炭鉱町だった)。
高校2年生のときに、『HOWLING WILL』(1984)、『STRAIGHT LINER』(1984)とメイクアップのアルバムを買った僕は、高校3年生になったばかりの5月、メイクアップのサードアルバム『BORN TO BE HARD』を買った。
12インチシングル『FIND OUT』が発売されるのは、その直後の6月のことである。
その年の学園祭では、当然だけれど、メイクアップのレパートリーが曲目リストに並んだ。
高校生男子の意識変革を行うには、女子のひと言が一番効果的だと学んだのは、たぶん、このときだったと思う。
その後、12月に4枚目のアルバム『ROCK LEGEND OF BOYS AND GIRLS』が発売される頃には、僕はすっかりと、クラスにおける(あるいは校内における)メイクアップの中心的なエバンジェリスト(伝道者)となっていた。
コーチャンフォーの「メイクアップ……でございますか?」
次に、僕がメイクアップのCDを買ったのは、2004年(平成16年)12月1日のことだ。
デビュー20周年記念企画のボックスセットを買うため、僕はコーチャンフォー・ミュンヘン大橋店を訪れた。
コーチャンフォーのミュンヘン大橋店は、2004年(平成16年)9月27日にオープンした大型書店である。
広大なCD売り場のレジで、僕は、スタッフの若い男性店員に「メイクアップのボックス・セットをください」と言った。
「メイクアップ……でございますか?」
若い男性店員は、聞いたことのない名前に明らかな動揺を見せながら、それでもお店の在庫を確認してくれた。
「1セットのみ、在庫がございます」
発売日に、たったひとつしか在庫のなかったボックス・セットを買って、僕は部屋に戻った。
商品名は『MEMORIES OF BLUE』。
メイクアップのアルバムは、ファーストの『HOWLING WILL』しかCD化されていなかったから、これは間違いなく貴重なボックス・セットだった。
音楽を聴きながら甦る思い出は、高校3年生のときのアイドル女子による「メイクアップ宣言」と、その後の右往左往する男子の動揺ぶりばかり。
みんな、どうしているんだろう?と思った、そのときからでさえ、既に20年の時が流れた。
今、メイクアップのボックス・セットは、僕にとって、オープンしたばかりのコーチャンフォー・ミュンヘン大橋店の思い出と密接に絡み合っている。
「メイクアップ……でございますか?」とつぶやいた、若い男性店員の小さな動揺ぶりとともに。
80年代シティメタルのメイクアップは日本版TOTOだった?
メイクアップは、1980年代のジャパメタ・ブームを代表するロックバンドのひとつである。
キーボードを入れた5人編成のバンドが織りなすキラキラしたメロディアスな楽曲は、タフなヘヴィメタ・ファンからは「歌謡メタル」とさえ揶揄された。
しかし、今になって思うのは、メイクアップの生命線は、やはり、あのキラキラしたサウンドと、メロディアスなメロディにあったということだ。
メイクアップのサウンドは、まるで洋楽のようにオシャレである。
はっきり言ってしまえば、「日本版のTOTO」こそがメイクアップの本質であって、ヘヴィメタルとかジャパメタとか、そんなカテゴリにとらわれる必要性なんて、何もなかったのだろう。
ファースト『HOWLING WILL』(1984)では、スケールの大きな「LOVE & HATE」が印象的。
うつむく姿の お前を見ると
今にも涙がこぼれ落ちそう
Now I’m here
何故に気づかない
Lost my time day after day
Love & Hate 今 甦る
Love & Hate oh Love & Hate
(MAKE-UP「LOVE & HATE」)
高校3年生時代を思い出す、象徴的なナンバーだ。
セカンドの『STRAIGHT LINER』になると、スマートでオシャレな楽曲が増えて、いかにも女子受けしそうな雰囲気が前面に出てくる。
ファーストシングル「FOX ON THE RUN」は、イギリスのロックバンド、スウィート(The Sweet)のカバーで(1975年の作品)、メイクアップというバンドのイメージを定着させた作品と言える。
印象的なのは、やはり「LADY ROSIE」や「CITY LIGHTS」などの日本版TOTOとも言える作品群だろう。
これは「歌謡メタル」というよりも、シティ・ポップならぬ「シティ・メタル」で、キラキラしたサウンドが80年代っぽくて心地良い。
一方で、「ENERGY ONE」や「HEART OF IRON」などのロックンロール・ナンバーも絶好調で、アルバム『STRAIGHT LINER』は、初めてメイクアップに入門する人にも、お勧めのアルバムだ。
実際、当時、多くのリスナーが、このアルバムからメイクアップ入門したのではないだろうか。
サードアルバム『BORN TO BE HARD』は、メイクアップの代表作と言っていいほど完成度の高いアルバムだ。
日本版TOTO路線を走る「Mr.TOKYO CITY」や「SHE LIED」は、最近のシティポップ・ブームの中へ放り込んでしまいたいくらいに<ポップ・メタル>している。
Lonely Night
思い出が闇にとけてゆく
あいつの作り笑い
まるで映画のヒロイン気どり
慰めのグラス 壁にたたきつけ
砕け散ったかけらは She Said No
MAKE-UP「SHE LIED」
当時、雑誌のインタビューで、キーボードの河野陽吾が「グラスの砕け散る音が良い」と自画自賛していたことを思い出す(以来、グラスの音ばかり気になるようになった笑)。
元気なロックンロール・ナンバー「GET UP! WAKE UP! MAKE UP!」は、メイクアップのテーマ・ソング的な歌詞がいい。
ライブで盛り上がる「COME ON EVERYBODY TONIGHT」も、受験生(高校3年生)の心には痺れる楽曲だった。
A to Z 微分積分
春はあけぼの
もう爆発しそうさ
いつも 胸の奥に暖め続けた
そう 大切な箱の鍵を
開ける時がやってきたぜ
Teen Agers Festival 幕開けさ
恋も授業中も
中途半端なお前たちも
何も恐れるな
俺も眠れぬ夜はあったさ
誰のために時は過ぎてるの
その答えを 今夜こそ
MAKE-UP「COME ON EVERYBODY TONIGHT」
もしかすると、自分は一番良いタイミングで、メイクアップの音楽に触れることができたのかもしれない。
1985年(昭和60年)12月に『ROCK LEGEND OF BOYS AND GIRLS』が発売されたとき、もう自分はメイクアップどころではなかったような気もする(一応、受験生だった)。
それでも、クラスの友だちと「MACHINE BABY」とか聴きながら「ちょっとイエスっぽくね?」なんて会話をしていた記憶があるから、実際には相変わらず、教室でもメイクアップの新譜を聴いていたのだろう。
1986年(昭和61年)、アニメ『聖闘士星矢』の主題歌「ペガサス幻想」がヒットしたとき、僕はもう誰とも、メイクアップについての話をすることがなかった。
高校時代の仲間はバラバラになっていたし、何より僕は、アニメの主題歌を歌うメイクアップについて、誰かと話をしたいなどとは思っていなかったからだ。
あれから40年。
相変わらず高校時代の仲間たちはバラバラのままで、僕はひとり、遠い故郷のことを考えている。
いろいろなことがありすぎた高校時代の記憶がよみがえる、あの頃のメイクアップの音楽を聴きながら(結局、昨年もクラス会には参加しなかった)。