庄野潤三「モヒカン州立公園」読了。
「モヒカン州立公園」は、昭和55年1月号の「群像」に掲載された短篇小説である。
作品集では『屋上』(1980年、講談社)に収録された。
アメリカの小さな大学町ガンビアで暮らしていた時のエピソードを綴った、いわゆる「ガンビアもの」の一つである。
ガンビア滞在中、庄野さんはニコディム夫人に誘われてモヒカン州立公園へ行ったことが三度ある。
ニコディム夫人は、ケニオン大学で数学を教えているニコディム教授の妻で、庄野夫妻を自動車に乗せて、あちこちに連れて行くことが大好きだった。
隣り町まで買い物に行く時も映画を観に行く時も、とにかく頻繁に声をかけてくれる。
自動車を持たない庄野夫妻にとっては、非常に親切で頼りがいのある住民だった。
ちなみに、庄野夫妻が日本へ帰国するとき、庄野家の三人の子どもたちの写真を見ながら「これがナツコ、これがタチア、、、」と言って、千壽子夫人を泣かせてしまったのが、このニコディム夫人である(『懐しきオハイオ』参照)。
さて、最初にモヒカン州立公園を訪ねたのは、二月初めの珍しく天気の良い日だった。
ドライブの帰り、ニコディム夫人の運転する自動車は道に迷って、プレザント・ヒル・レークの横を走るが、庄野さんは「迷った代りに湖とその岸の村を見ることが出来たのは有難い」と綴っている。
次にモヒカン州立公園を訪れたのは四月九日で、このときはハワイ出身の学生のトムが一緒だった。
モヒカンでニコディム夫人とトムは絵を描き、庄野さんは夫人と一緒に下の川まで歩いて下りている。
ニコディム夫人は、魔法瓶入りの紅茶やセラチン、牛肉、ポーランドからの輸入品のハム、茹で玉子、チキン入りのライスなどをふるまってくれた。
最後にモヒカン州立公園へ行ったのは、卒業式をあと四日に控えた五月末の晴れた日で、短篇小説としては、このときのエピソードが中核となっている。
物語全体にふくらみがある短篇小説の味わい
このときは、ケニオン大学の教授や学生、隣町に住む友人などで、参加メンバーは総勢十五人、三台の自動車に分乗して出かけるという盛大なピクニックとなった。
公園の頂上はまだうすら寒く、コンツ夫人が「おお寒い。ぶるる」と大きな声で言って、ニコディム夫人に嫌な顔をさせた、というところがおかしい。
ローズ・スカラシップの銓衡試験に合格したばかりのジニイは、合格祝いにもらったドイツ製の小さなカメラ「ヴィラッサ」で、川で遊ぶ女性たちの写真を撮った。
ジニイが写真を撮っている間、庄野さんは、鳥打帽をかぶって立っているコンツ博士とマイクを写生した。
ピクニックのランチには、パン、チーズ、バター、オリーブ、ピックルズ、サラダ、ミートボール、スパゲッティ、ソーセージ、豆を煮たものなどが並べられた。
どれもニコディム夫人が用意してくれたものである。
デザートのアイスクリームとケーキを食べ終わって、庄野さんは学生たちと一緒に「ケニオンの学生が芝生の上でよく飛ばしているプラスチック製の薄い板のようなもの」を投げっこして遊び、さらにその後でマイクが持って来たソフトボールでキャッチボールを始めた。
事件が起こったのはこのときで、崖下に転がったボールを取ろうとしたマイクが、崖から転落してしまったのである。
マイクが転落した瞬間、コンツ博士は「ジェントルメン、来たまえ」と言うなり、崖を滑り降りた。
幸いマイクは何か所か擦り傷を負った程度で大事には至らなかったが、メキシコ出身のリンダなどは、マイクが落ちた瞬間「死んだ」と思ったほど、あわや大惨事となりかねない危険な事件だった。
このピクニックを楽しみにしていたニコディム夫人は「万事上首尾であったのに、突然、おじゃんになってしまった」と、マイクの軽率な行動を苦々しく感じていたらしい。
このエピソードは、後年に発表される長編小説『懐しきオハイオ』でも紹介されているが、短篇小説としての醍醐味は、ひとつひとつのエピソードの枝葉が多く、物語全体にふくらみがあるということだろう。
クリスマス休暇を庄野さんたちと一緒にワシントンで過ごしたトムが、その後、ユティカでのジニイの家へ行った話とか、ジニイのローズ・スカラシップ合格祝賀会の様子とか、ストーリーとは直接には関わらない肉付け的な部分に、こうした短篇小説の味わいがある。
ガンビアものの短篇小説だけを集めた作品集なんていうものがあっても良かった。
書名:屋上
著者:庄野潤三
発行:1980/2/15
出版社:講談社