福原麟太郎「昔の町にて」読了。
本書「昔の町にて」は、1957年(昭和32年)に刊行された精選随筆集である。
読書に飽きたとき、福原麟太郎の古い随筆集を読む
福原麟太郎の随筆を読んでいると、思わず「福原先生」と声をかけたくなるときがある。
できることなら、同じ時代に生きて、こんな先生に学びを乞いたかったと思う(落第生になること請け合いだけど)。
何がそんなに良いのかというと、とにかく気品ある文章がいい。
不躾な知識の押し売りがない。
日本人として、しっかりとした主張を持っている。
誠実で謙虚な人柄にも惹かれる。
例えば「書籍と職業」という作品がある。
1929年(昭和4年)に書かれた古い随筆だ。
貧乏な僕は、本箱を買う金がなかった。家を持ってから二三年たった。本はどんどん増えていった。細君が冬になると溜る蜜柑箱をせっせと丸善の包紙──鳶色のハトロン紙で貼ってくれた。それへ十四五冊ずつ本をつめては積み重ねていた。(福原麟太郎「書籍と職業」)
コロナ禍以降、読書を趣味にしている僕の部屋にも、本がどんどん増えている。
本箱を買うお金がないというよりも、そもそも部屋にいくつも本箱を置くスペースもないから、本は本棚の前の床に積み重ねられている。
この随筆を読んだとき、福原さんにも、本箱を買うことができない時代があったのかと、しみじみ共感した。
そして、蜜柑箱にハトロン紙を貼ってくれた奥さんの優しさ。
仲睦まじい夫婦の姿が目に浮かんできて、こちらまで温かい気持ちになることができる。
「教師稼業」という1948年(昭和23年)の作品にも本のことが書いてある。
われわれの国がこれからどうなるかということは実際心配である。私はもう一度カーキ色の帽子は被りたくないし、煙草はもとのように安くてうまいチェリーを喫いたいし、もっと良い書斎に入りたいし、(今これを書いているのは畳の落ちかかった四畳半の茶の間のちゃぶ台の上である。幸いそばに電気コンロがあるから暖い)。本や雑誌も安く買いたい。(福原麟太郎「教師稼業」)
終戦直後の話だから、日本人全員が貧しかった時代かもしれないけれど、「四畳半の茶の間」が書斎だったというところに(そして、そういうことがさらさらと綴ってあるところに)親しみを感じる。
「本や雑誌も安く買いたい」という言葉は切実で、庶民の感覚とズレていない。
その後で「せめて快晴の午後には、大根畠のわきの草地に藤のテーブルを出して、紅茶にサンドウィッチ位で友達と閑談する位のぜいたくを与えて貰えれば有りがたい」とあるのもいい。
紅茶とサンドイッチで友だちで閑談するというのがお洒落だし、それが「贅沢」なんだという謙虚な姿勢は、いつの時代にも大切なことだと思う。
読書に飽きたとき、僕は福原麟太郎の古い随筆集を読む。
僕にとって、福原麟太郎の随筆を読むことは読書ではなく、既に生活の一部なのかもしれないな。
福原麟太郎の随筆集リスト
「後記」によると、本書『昔の町にて』は、過去20年間に出た随筆的な著書に収録された作品を集めた随筆選集である。
出典は全部で13冊、収録作品は41篇となっている。
「後記」には、13冊の著作についての思い出も綴られていて、こういうものを読むのも楽しい。
1957年(昭和32年)時点での福原さんの随筆集のリストにもなると思うので、ここに記しておきたい。
「メリ・イングランド」(1934年)
「春興倫敦子」(1935年)
「新しい家」(1942年)
「英文学旅程」(1948年)
「猫」(1951年)
「われ愚人を愛す」(1952年)
「人間の生き方」(1953年)
「新しい英国」(1954年)
「この世に生きること」(1954年)
「生活の中にある教養」(1955年)
「年々歳々」(1955年)
「改版メリ・イングランド」(1955年)
「芸は流し」(1956年)
「中流人の幸福」(1956年)
「昔の町にて」(1957年)
福原さんの随筆集には、昔の作品を再録したものも少なくない。
異なる書籍で、以前に読んだ作品に出会うと、古い友人に久しぶりで再会したみたいで懐かしくてうれしくなる。
本書『昔の町にて』には、「自分でも快い記憶を持っているもので、しかも余り長くない」作品が収録されている。
福原麟太郎の随筆作品の味わいを知る上で、お勧めの一冊である。
書名:昔の町にて
著者:福原麟太郎
発行:1957/6/20
出版社:垂水書房