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三浦哲郎「せんべの耳」庄野潤三は散歩が好きで将棋は苦手だった

三浦哲郎「せんべの耳」あらすじと感想と考察

三浦哲郎「せんべの耳」読了。

本書は三浦哲郎2冊目の随筆集である。

何と言っても、「庄野さんの足」が良かった。

「庄野さんの足」は、第一随筆集『おふくろの妙薬』に収録されている「庄野さんの酒」の続篇とも言うべき随筆である。

「庄野さんの酒」には、酒を飲んでいるとき、庄野さんの手が小刻みに震えるというエピソードが出てくる。

『おふくろの妙薬』を庄野さんに進呈したところ、庄野さんから「(前略)庄野さんの手、最もわろし」という葉書が届いた。

庄野さん自身も、なんだか薄気味悪いことのように感じているらしく、先日も「もう手のことは書くなよ」と念を押された。

だから今度は庄野さんの足のことを書く、というのが、「庄野さんの足」の始まりの部分である。

庄野さんの作品には、登場人物が歩く場面がよく出てくるが、作者の庄野さんも歩くことが好きな人だ。

東北の蔵王へ旅をしたとき、一行で刈田岳という山へ登ったことがある。

急勾配の上に足場の悪い山道を苦労しながら登り始めたところで、庄野さんの姿が見えなくなった。

みんな途中で引き返したのだろうと思っていたが、やっと山頂へたどり着いたとき、庄野さんは山小屋の炬燵の中で、笹カマボコを肴に冷や酒をちびりちびりやりながら、小屋の主人に刈田岳の気象や植物のことを質問していた。

普段から歩きつけない連中を待つことなく、庄野さんは自分のペースで山頂目指して歩き続けていたのだ。

いつか、将棋好きの仲間たちが、庄野さんに将棋を教えてあげようと試みたことがある。

庄野さんも初めは努力していたが、稽古台にしていた奥さんの方が強くなってしまったのに嫌気がさしてやめてしまったらしい。

「要するに、僕には将棋の才能がないんだよ」と庄野さんは苦笑していたが、将棋に限らず、碁でも麻雀でもポーカーでも、部屋の中にたむろして、しんねりむっつりと勝ち負けを争うような遊びは、庄野さんの性には合わないのだろう、と著者は綴っている。

「そんな暇があったら、外を歩いた方がいいと庄野さんは思っているかもしれないし、実際、将棋盤を前に腕組みなどして眉を顰めているよりも、ピケ帽と運動靴ですたすた歩いている姿の方が、庄野さんにはよく似合うような気がする」。

このときの著者の印象は、晩年の庄野さんが習慣にしていた一日二回の散歩をする姿へとつながっていく。

若い頃から歩くことが好きだったからこそ、庄野さんは最晩年まで歩き続けることができたのだろう。

故郷へとつながる回想記

『せんべの耳』には、青森県の故郷で過ごした日々を回想する文章がたくさん入っている。

これは、三浦哲郎の文学が、故郷の東北と密接に関係していることを現すものだと思われる。

「この夏の蝉」では、東北のはずれに近い山間の故郷で死んだ父のことが出てくる。

父が倒れたという電報を受け取ったとき、妻と二人で三軒茶屋のどぶ川べりのアパートで極度に貧しい暮らしをしていた著者は、一晩あちこちを駆け回って旅費を作り、翌朝の一番列車で故郷へ向かったという。

真夏の蝉の鳴くのを聞きながら、著者は父が死んだ日のことを思い出している。

表題作「せんべの耳」が、著者の故郷で昔からの名物として知られている八戸煎餅の耳のことで、著者は子どもの頃から煎餅よりも耳の方が好きだった。

八戸の煎餅屋では、この耳だけを売ってくれたらしく、子どもだった著者は「せんべの耳くんせ」と言って、煎餅の耳だけを買って食べたという。

著者の随筆に登場する東北地方の暮らしは、何とも絵になる日本の情景だなと思った。

書名:せんべの耳
著者:三浦哲郎
発行:1975/1/24
出版社:講談社

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。