サリンジャー「テディ」読了。
本作「テディ」は、1953年(昭和28年)1月『ザ・ニューヨーカー』に発表された短編小説である。
この年、著者は34歳だった。
作品集としては、1953年(昭和28年)にリトル・ブラウン社から刊行された『ナイン・ストーリーズ』に収録されている。
求められる論理的思考からの解放
『ナイン・ストーリーズ』最後の作品「テディ」は、『ナイン』の中でもとりわけ解釈の難しい短編小説だ。
主人公<テディ>は10歳の少年だが、まるで老熟した年寄りのように、人生を達観している。
ヨーロッパからアメリカへと帰国する船の中、旅行鞄やライカの値段を気にする父親と、全裸にシーツで惰眠を貪る母親とのいさかいに、まったく動じることなく、海上に浮かび、やがて沈んでいく「オレンジの皮」に興味を惹かれている。
「オレンジの皮が浮いているのが面白いんじゃない」と、テディは言った。「オレンジの皮があそこにあるのをぼくが知ってるってことが面白いんだ」(サリンジャー「テディ」野崎孝・訳)
もちろん、両親は、テディの発する言葉の意味を理解できない。
この物語は、前世の記憶を持つ早熟の少年を主人公にした、輪廻転生の物語である。
少々発想が飛躍しているような気もするが、テディにとって「輪廻転生」は特別におかしな考え方ではない。
船上で出会った青年<ニコルソン>との会話の中で、テディは輪廻転生について、次のように発言している。
ニコルソンはデッキ・チェアの横から片脚を下ろし、身を乗り出して煙草の火を踏み消した。それからまた椅子に背を沈めながら「ぼくの理解するところでは」と、言いだした。「きみはヴェーダンタ哲学の輪廻説を固く信奉してるようだね」「輪廻説は説なんてもんじゃない、むしろそれは──」(サリンジャー「テディ」野崎孝・訳)
ヴェーダーンタ哲学は、インド哲学・ヒンドゥー教における学派の一つで、ウパニシャッドの梵我一如思想を主軸としている。
実際に前世の記憶を有するテディにとって、輪廻は「学説」などではなく、歴とした事実だった。
東洋思想の影響は、本作における最大のポイントとなっている。
「今でも覚えてるけれど、あれは日曜日だった。そのころ妹はまだ赤ん坊で、ミルクを飲んでたんだけど、全く突然に、妹は神だ、ミルクも神だってことが分ったんだな。つまり、妹は神に神を注いでたにすぎないんだ」(サリンジャー「テディ」野崎孝・訳)
ここの部分を理解しないと、この作品を理解することが難しくなる。
もちろん、教育学者であるニコルソンは、テディの話を理解できないが、それはニコルソンが「論理的であろうとするからだ」と、テディは指摘する。
聖書に出てくる<エデンの園>で、<アダム>が食べたりんごの中に入っていたのは、論理とか知性とかいったもので、物事をありのままに見ようと思ったら、そいつを吐き出してしまわなくてはならない。
こうした論理的思考からの解放こそが大きなテーマとなっているので、本作を理解しようと思ったら、読者にも論理的思考からの解放が求められることになる。
とか言いながら、多くの文芸批評家が、この作品を論理的に説明しようとしているところがおかしいんだけどね。
東洋思想の虜になったアメリカ人
本作「テディ」は、『ナイン・ストーリーズ』刊行の2か月前に発表された短編小説である。
つまり、初めての自選作品集『ナイン』へ収録することが、著者の中では最初から決定していたわけであり、それだけに「テディ」という作品は、『ナイン・ストーリーズ』という作品集をまとめる上での大きな役割を有していた。
「テディ」は、単に「テディ」という短篇小説である以上に、作品集『ナイン・ストーリーズ』の最後を飾るにふさわしい作品でなければならなかったのである。
そのためか、「テディ」には、『ナイン・ストーリーズ』最初の作品「バナナフィッシュにうってつけの日」に呼応すると思われるような場面が少なくない。
例えば、「りんご好きの連中(apple-eaters)」(論理的思考から脱却できない人間たちのこと)は、死んでしまうまでバナナを食べ続ける「バナナフィッシュ(bananafish)」(欲望を我慢できない人間たちのこと)と並べて考えることができるし、そもそも、主人公のテディは、後に『シーモア─序章─』で<バディ・グラス>が発言しているとおり、幼き日の<シーモア・グラス>がモデルになっている(「バナナフィッシュ」で自殺する若者)。
作中では、松尾芭蕉の俳句「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」「この道や行く人なしに秋の暮」が登場したりと、日本人にとっては、とっつきやすいエピソードも多い。
どうせ理屈で理解できない作品なので、東洋思想の虜になったアメリカ人の話を聞くつもりで、気軽に読んでみてはいかがだろうか。
作品名:テディ
著者:J.D.サリンジャー
訳者:野崎孝
発行:1974/12/20(1988/1/30改版)
出版社:新潮文庫