ロバート・B・パーカー『ゴッドウルフの行方』読了。
本作『ゴッドウルフの行方』は、1973年(昭和48年)に発表された長篇小説である。
原題は「The Godwulf Manuscript」。
この年、著者は41歳だった。
ロバート・B・パーカーの小説家デビュー作であり、「私立探偵スペンサー・シリーズ」のシリーズ第一作品である。
私立探偵スペンサーと村上春樹との共通点
デビュー当時の私立探偵スペンサーのキャラクター造形は、どのようなものだったのだろうか?
ボストン市警察から真っ先に来たのは、パトカーの二人のお巡りだった。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
スペンサーは、マサチューセッツ州ボストン市で暮らす私立探偵である。
その年は、パブリック・ガーデンから二ブロック上ったマールボロ通りに住んでいた。夕食にハッシュ・アンド・エッグズを作って、食事をしながら『ニューヨーク・タイムズ』の朝刊を読んだ。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
名前の綴りにこだわる癖があった。
「 c でなくて s だ。イギリスの詩人と同じだ。S-p-e-n-s-e-r」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
「イギリスの詩人」とあるのは、16世紀後半に活躍した「エドマンド・スペンサー(Edmund Spenser)」のことで、代表作に『妖精の女王』(1590)がある。
詩人と同じ名前のせいか、詩を愛誦するなど、文学にも造詣が深い。
詩の一節を思い出した。「恐れ多い殉教者の運命といえども、行く先は決まっている/いずれにせよ、どこか隅の、みすぼらしい場所へ」誰の詩だったか、覚えていない。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
前職は警察官だった(「私は、このようなみすぼらしい警官集合室で過ごした歳月を思い起こしていた」)。
「くびになるまでは、かなり優秀な警察官だったそうだな。なんでくびになったんだ?」「命令不服従。おれのいちばんの取り柄だ」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
生活は決してゴージャスではない。
ボストンへ帰る途中、一週間に二カ所から受け取った依頼料について考えた。ヨットを買ってもいい。それより、コンヴァーティブルも屋根の破れを直した方がいいかもしれない。テイプを張ったが雨が漏る。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
趣味は料理。
私は料理が好きだし、料理をしながら飲むのが好きだ。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
後に『スペンサーの料理』(1985)なるマニア本が出版されるほど、スペンサー・シリーズには食事の場面が多い。
厚く切った新鮮なパンとオムレットを食べ、さらにコーヒーを三杯飲みながら『グローブ』の朝刊を読んだ。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
自分で料理をする場面も丁寧に描かれている。
台所へ行った。米を炊くなべに火をかけると、冷凍庫からトリの骨なしの胸肉を四つ取り出した。ワイン、バター、クリーム、マッシュルームと一緒にトリ肉を煮た。火が通るのを待つ間にサラダの材料を準備し、ライム・ジュース、ハッカ、オリーズ油、蜜、ワイン酢でドレッシングを作った。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
1980年代の村上春樹の作品にも料理をする場面がたびたび登場するが、これは、スペンサー・シリーズの影響だったと考えていい(村上春樹はスペンサー・シリーズの愛読者だった)。
もちろん、食材にもこだわっている。
台所へ行ってコーヒーを沸かし、自家製ドイツ・ソーセージを六本フライパンに入れた。大きく太いソーセージで、自分の店の裏で作っている男から買うために、わざわざノース・ショアまで行かなければならない。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
タフなマッチョマンで、体力と腕力には強い自信を持っている。
「腕を放せ、さもないと、顔をへこませるぞ」「お前さん、一人でか?」彼のその言葉で緊張がふっきれた。「うまい文句だ。非番の時は、家へ来て科白のコーチをしてくれないか?」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
本作『ゴッドウルフの行方』では、関係者を助けるため、二人の殺し屋を射殺し、一人のギャングを絞め殺した(「おれは、お前のような人間の屑の命を救うために、人を三人殺した」)。
フィルを絞め殺すことにすべてを集中していた。自分の全人生が、彼の喉を締めつける腕の力にかかっているのだ。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
正義感が強いので、少々の怪我では仕事を休むことはできない。
顔を真っ赤にした看護婦の横を通った。「気にしなくていいんだよ、お嬢さん。きみはできるだけのことをした。しかし、おれはやらねばならないこと、守らねばならない約束があるんだ。それに、おれほど精力溢れる男だ。弾の傷なんかなんでもないよ」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
(男性として)当然だが、女性の誘惑には弱い。
本作『ゴッドウルフの行方』では、夫婦生活に満足できない人妻(マリオン・オーチャド)と、その娘(テリイ・オーチャド)という二人の女性と(一度ずつ)セックスをしている。
彼女は途中でローブを脱ぎ捨てており、今は二人の飲み物を作るのに裸でバアの方へ歩いて行った。真っ白な尻とブラジャーのストラップの細い跡を除いて、全身が日焼けしたすばらしい体をしている。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
夫婦生活に満足できない美人妻(マリオン)は、レイモンド・チャンドラーの名作『長いお別れ』に登場する人妻(アイリーン・ウェイド)のイメージに重なる。
テリイは、両親との不和から家出する、ちょっとインテリの女子大生だ(20歳)。
「愛して」喉がつまったような声で言った。「抱いて、感じさせて、愛して、感じさせて」頭の一部を「なんということだ、初めは母親で、今度は娘だ」という考えがチラッとよぎったが、頭の残りの寛容な部分が「よし、よし、よし」と言い、ベッドに寝かせてカバーをはぎ取った。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
結婚はしておらず、時々、独身の寂しさを感じている。
つまらない独り言をつぶやく癖があった。
湿地の中からベーオウルフがとび出してきて何かの腕をちぎりとるのが目に浮かぶような気がした。「たいへんだ、ホームズ、これは巨大な足跡だ……」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
コナン・ドイル「シャーロック・ホームズ」シリーズのパロディは、村上春樹の作品にも見られる手法だ。
ポップ・カルチャーの引用も、村上春樹との共通点である。
フィルは後ろの座席で身動きもせずに黙っていた。「どっちか、ゴッドファーザーを見たか?」私が言った。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
人妻(マリオン)とセックスした後には、ダスティン・ホフマンの映画『卒業』(1967)を思い出している。
私たちは再び、きちんと身なりを整えた雇い人と雇い主の状態に戻った。乾杯、ミセズ・ロビンスン。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
BGMは、サイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」だったかもしれない。
精神的にタフな一匹狼で、くだらない軽口を叩いては相手を怒らせる。
料理が好きで、文学にも造詣が深いが、ポップ・カルチャーにも興味を持っている。
こうしたスペンサーの人物造型は、『羊をめぐる冒険』や『ダンス・ダンス・ダンス』といった(1980年代の)村上春樹作品にも大きな影響を与えたはずだ。
「若い」と思われる時期を過ぎた中年男性というところも、共通点のひとつである(「時折、自分はもはやこのような仕事には年をとりすぎてしまった、と考えることがある」「四十に近づくにつれて、そのような考え方が以前よりしばしば頭に浮かぶようになってきた」)。
多少、ビールの酔いを感じていたし、人の話をまともに受けず、それがなんであるのか、わけのわからない若者たちに悲しみを感じた。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
特に『ダンス・ダンス・ダンス』が好きな人に、本作『ゴッドウルフの行方』は非常にお勧めの小説だと言っていいだろう。
ロバート・B・パーカー「スペンサー・シリーズ」の面白さは、初期・村上春樹の面白さでもあるのだ。
現代アメリカ社会への絶望
私立探偵スペンサーのミッションは、大学から盗まれた稀覯本「ゴッドウルフ写本」を取り戻すことだった。
「カール・タワーだ」彼が言った。「大学の警備主任だ。四日前に十四世紀の非常に貴重な彩飾写本がここの図書館から盗まれたのだ」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
「彩飾写本」とは、修道士によって書かれた手書きの本で、多くの場合、赤と金色を使った色付きの挿し絵が、余白に描かれている。
「ゴッドウルフ」は教会の名前だ。
「盗まれた写本はラテン語で書いてあって、十四世紀のイギリスの神秘主義者、リチャド・ロゥルに対する風刺が書いてある。四十年前に、ゴッドウルフ大僧院の正面の装飾的な壁の後ろから見つかったのだ。ヘンリイ八世のローマとの関係断絶後に修道院略奪が続いた頃、隠されたもの、と考えられている」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
犯人(ロゥエル・ヘイドン)は、中世文学の研究者だった。
「英文学の教授はどうだ? その辺がいちばん筋が通るんじゃないか? 中世の写本だ。中世の作家に言及しているから重要視されている代物だ。あれをもっていて金を要求することなど、英文学の教授がいちばん考えそうなことじゃないかな?」「写本が言及してる作家は誰なの?」「リチャド・ロゥル」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
リチャード・ロールは、14世紀前半に活躍したイングランドの詩人であり、神秘家でもある。
ロゥエル・ヘイドンの授業に絡んで、たびたび「チョーサー」の名前が出てくる。
「はっきりとは知らないわ。チョーサーを教えてるってことはわかってる。わたし、彼のチョーサーの講義を受けたから」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
ジェフリー・チョーサーは、14世紀後半に活躍したイングランドの詩人である。
ロゥエル・ヘイドンは、チョーサーの研究者でもあった。
「キトリッジのマリッジ・サイクル論の問題点は」深みのある講義口調で喋っている。「『カンタベリ物語』の構成の順序が不明瞭な点だ。簡単に例をあげれば、「バースの女房の序詞と物語」より「学生の物語」が先に書かれたのかどうか、われわれにはわかっていないのだ」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
ジョージ・ライマン・キトリッジは、チョーサーの代表作『カンタベリー物語』に関する重要な研究として知られる『キトリッジ カンタベリー物語』の著者である。
探偵小説の中で、なぜ中世英文学が語られているのか?
それは、この作品のテーマと密接に関係していることだっただろう。
本作『ゴッドウルフの行方』のテーマは、腐敗する現代アメリカ社会への絶望である。
三階下で、先の尖った靴を履いたプエル・トリコ人のやせた若者が、バケツをもってコーヒー・ショップの裏口から出てくると、汚れた湯を道にぶちまけた。寒さで湯気がすぐ消えた。私は腕時計を見た。六時四十分。この時間に店へ来て床をモップで拭くには、あの若者はずいぶん早く起きたにちがいない。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
アメリカは、決して豊かなだけの国ではなかった。
氷点下七度近い寒さの中で男を魅惑するのは容易ではないな、と思った。そのような寒さの中で欲情をかきたてられるのも、そう簡単にはいかない。売春婦たちは不景気だ。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
主人公(スペンサー)は、世の中の暗い部分に注視している。
一方で、依頼人(ロゥランド・オーチャド)は、裕福な暮らしをしていた。
ロゥランド・オーチャドは金持ちの中の金持ちのようであった。丘を上って近づくにつれ、大きく、白く、そそり立っているような家が見える。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
貧富の格差社会は、この物語の大きな背景となっている。
大富豪ロゥランドの娘(テリイ)は、そんな格差社会に疑問を抱いて、左翼運動に参加していた。
「わたしたちは革命的組織なの。意識改革に努めてる。社会の変革が目的なの。富の再配分。たんにボスたちや巧みに搾取する連中だけでなく、あらゆる人間の真の解放を実現することだわ」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
自分の属する組織「SCACE」に裏切られたテリイは、神秘主義を標榜する宗教団体「モレクの儀式」へと救いを求める。
「風変わりな連中だ。長衣、像、ろうそくの光。そういったくだらないことをやってる。モレクというのは、人間のいけにえを要求したフェニキアの神かなにかだ。『失楽園』の中で、ミルトンは、彼をサタンやベルゼルブと一緒に堕落天使に加えている」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
しかし、彼女は怪しい儀式の中で、レイプされようとしていた。
その十字架に、キリストのはりつけをちゃかすように、テリイ・オーチャドが物干し網で縛りつけられていた。全裸で、ろうそくの明かりで見ると何色ものマジック・マーカーで描いたような、占星やオカルト的な印が体一面に見える。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
格差社会に絶望して、極左的革命集団や神秘主義者たちの間でさまよっている女子大生(テリイ)は、まさに「現代アメリカの犠牲者」として機能している(「このくだらない、畜生だらけの世の中で、あなたただ一人……」)。
「わたしは一生であなたと四度しか会っていないのに、この世の中全体でわたしが信頼できるのは、あなたただ一人なのよ。わかる?」言い終わる頃には、目に涙が浮かんでいた。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
混沌としたアメリカ社会で強く生きているのが、学生新聞の編集者(アイリス・ミルフォルド)だった。
「呆れた話だわ。あの連中はみんな、すごくみじめな気分でいるのよ。人種差別、性差別、帝国主義、軍国主義、資本主義について、いつもひどく憂うつな気分でいるわ。わたしゃね、ミシシッピ州フェイエットで、ほかに十人の子供と一緒にタール紙張りの家で育ったのよ。わたしたちは生きてるのが精一杯だった。あんなに世を嘆くような暇なんかなかったわ」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
彼女は、貧しい黒人女性という立場から、現代アメリカの真実を語っている。
「学生たちは、とくにわたしには、誇張した話をするのよ。わたしがロックスベリイに住んでるから。わたしたち黒人はみんな麻薬や犯罪と関わりがあると思ってるし、わたしたちはあんた方白人(ホンキイ)の悪徳家主に苦しめられてる、と思ってるから」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
真犯人(ロゥエル・ヘイドン)は、現代アメリカ社会の腐敗を象徴する存在だった。
「わたしが運動そのものなのだ」また夢見るような笑みを浮かべ、目がぎらぎらしていた。彼が全く別のドラマーの音に耳をすませていることは確かで、曲は「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」だ。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
狂ったヘイドンが研究しているのは、中世の英文学『カンタベリー物語』である。
中世文学を愛する者が、現代社会の腐敗を象徴しているという自己矛盾こそが、本作『ゴッドウルフの行方』の大きなトリックだったのだ。
穏やかな雰囲気と、別の時代の別のアメリカの面影が残っている。しかし、考えてみると、もともと別のアメリカなどというものはなかったのかもしれない。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
根底にあるのは、古き良きアメリカへのノスタルジーだったかもしれない。
私立探偵スペンサーは、アメリカの原点とも言うべきボストンを、強く愛している。
アイリスは整然と並んだ小さな煉瓦造りの家を眺めていた。「適当な距離をおくと、きれいに見えるわね。秩序は離れて見る場合にのみ存在する。そばへ寄ると何事も汚ならしい」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
黒人女性(アイリス)は、まるで「アメリカという国」の外側にいる傍観者のように泰然としている。
彼女にとって問題は「アメリカがどうなるか?」などということではなかったのだ。
二人で学生会館のカフェテリアへ行った。カフェテリアの入り口の上に、誰かが紫色のマジック・マーカーで書いていた。<ここに入る者ども、希望をすべて放棄せよ>「あれは、ダンテじゃないかな?」私が言った。「お見事。『地獄篇』第三部で、地獄の入り口の上に書いてあるの」(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
彼らにとってアメリカ社会は、「地獄」とあまり変わらなかっただろうか。
「ゴッドウルフ写本」という道具を使って、中世と現代との対比を描きながら、同時に、貧しい者と裕福な者が共存する現代格差社会の問題を浮き彫りにしたこの物語は、かなり社会的な小説だったと言っていい。
アイリスの「適当な距離をおくと、きれいに見えるわね。秩序は離れて見る場合にのみ存在する。そばへ寄ると何事も汚ならしい」という言葉は、やがて『約束の地』(1976)の中で大きなテーマとして再登場してくるものだ。
そして、アメリカ社会の矛盾と同時進行で語られる主人公(スペンサー)の孤独。
ステーキを半分ほど食べた頃、バアの後ろの鏡に映っている自分が目についた。一人で食事するのが当然のような人間に見えた。二度と鏡を見なかった。(ロバート・B・パーカー「ゴッドウルフの行方」菊池光)
スペンサーの孤独は、絶望のアメリカ社会を生きる若者たちの孤独と、絶妙にシンクロしていた。
本作『ゴッドウルフの行方』は、何度読んでも切ない小説である。
この切なさは、村上春樹の小説の切なさと通じるものだったのではないだろうか。
書名:ゴッドウルフの行方
著者:ロバート・B・パーカー
訳者:菊池光
発行:1984/10/15
出版社:早川書房


