読書体験

細野不二彦『うにばーしてぃBOYS』みんな一生懸命だったバブル時代の大学生たち

細野不二彦『うにばーしてぃBOYS』みんな一生懸命だったバブル時代の大学生たち

細野不二彦『うにばーしてぃBOYS』読了。

本作『うにばーしてぃBOYS』は、1989年(平成元年)に小学館ビッグコミックスから刊行された漫画である(全1巻)。

この年、著者は30歳だった。

初出は、1988年(昭和63年)『ビッグコミックスピリッツ』(不定期連載)。

バブル時代のキャンパス・ストーリー

本作『うにばーしてぃBOYS』は、バブル時代の大学生たちを描いたキャンパス・ストーリーである。

ただし、ストレートに80年代的な大学生像が描かれているわけではない。

「サボテン愛好会」という非80年代的な文化サークルを主軸に据えて、その周辺に集まる大学生を登場人物としながら、本作はバブル時代を生きる若者たちの日常を浮かび上がらせている。

それは、「サボテン愛好会」と「バブル文化」との化学反応と言ってもいい。

「サボテン愛好会」の会長(越ヶ谷)は、サボテン同様に「非80年代的な存在」を象徴するキャラクターで、華々しい青春とは縁のない日常を過ごしている。

「でもなァ、おれ背ないし、トッチャンボーヤだし、話題貧しいし……」(細野不二彦「烏羽玉ナイト」/『うにばーしてぃBOYS』)

会員のイケメン(駒田)は、金持ちの御曹司で、女遊びが激しく、いわば「バブルの申し子」的な存在である。

主人公役の久太郎(きゅうたろう)は、バブル時代的大学生に憧れながら、優柔不断な性格が災いして、トラブルに巻きこまれることが多い。

この3人の男子大学生が送る青春とは、いったい、どんな青春だったのだろうか。

物語は、主人公(久太郎)が、恋人(越ヶ谷愛)にフラれる場面から始まる。

「見損なわないでほしいわね!」「久太郎には、そーゆーすぐ寝てくれる軽い女がお似合いよっ!」(細野不二彦「烏羽玉ナイト」/『うにばーしてぃBOYS』)

越ヶ谷や駒田と酒を飲んだ久太郎は、ツマミの「烏羽玉」を食べて悪酔いし、泣きながら愛に絡む。

「愛~~~」「オレを見捨てないでくれよォ~」「やっぱし、オマエがいないとダメなんだよ~」「コンパの娘は方向がいっしょだから、途中まで送ってやっただけだって!」「そりゃあ~、オレもけっこうタマッてるよな~。オマエ、なかなかさせてくれないしさァ~」「でも、あの日、なにもなかったんだって!」「やっぱり、愛とがいいンだよォ~!」「愛でなきゃやだあ~」(細野不二彦「烏羽玉ナイト」/『うにばーしてぃBOYS』)

アルカロイドを含むサボテン(烏羽玉)を食べると、ドラッグをやったようにハイになる。

久太郎は、酔って愛に絡んだことを記憶していないが、情けない久太郎の告白は、愛との関係を「友だち以上恋人未満」の関係で維持していくことになる。

本作全体を通して、ストーリー上の大きな柱となっているのは、こうして培われた、久太郎と愛との「微妙な男女関係」だ。

号泣しながら元カノ(愛)に復縁を求める久太郎の姿は、軽くて、あっさりとしたコミュニケーションを求める80年代的な男女関係とは相容れないものだっただろう。

しかし、カッコ悪い久太郎の姿にこそ、真実の告白を見たような気がして、愛は久太郎に心を戻し始める。

いわゆる時代の創りだす「バブル的なイメージ」と「現実の大学生」との誤差を、この物語は描き出しているのだ。

愛の友人(吉元園子)は、久太郎と良い関係になりながら、愛の本心を察知して、久太郎から離れていく。

「明るく楽しい青春しようね! それが、あたしのモットーなんだわ!」「ギリだとか、友情だとか、ドロドロした三角関係だとか、そういうしがらみ、いっさいパスしたいわけ!」(細野不二彦「クリスマス・カクタス」/『うにばーしてぃBOYS』)

「明るく楽しい青春しようね!」は、本作『うにばーしてぃBOYS』を象徴するキャッチフレーズとして読むことができる。

「恋愛とは?」とか「男と女とは?」のように重たい議論はいっさいなく、彼らは(バブル時代の)現在を、ひたすら一生懸命に生きていく。

バブルの申し子(駒田)に対して、女性陣でバブルを代表するのが、愛の友人(森下由加里)である(森川由加里ではない)。

抜群のスタイルでボディコンを着こなすソバージュの由加里は、いわゆる「高めの女」だが、非バブル的な越ヶ谷と一緒にいることで、素の自分に戻ることができる。

「会って、どういう顔をしろっていうの?」「最後になんて言ったらいいの?」「一年前、別れるときだってつらかったよ」「死ぬほどつらくてつらくて」「でも、あいつのジャマになるのだけはイヤで」「だから…笑ってサヨナラしたのに……」「みんな、カン違いしてるのよ」「あたしは、そんな強い女じゃないよ……」「冷血でもたくましくもなんともないのよ……」(細野不二彦「the Cool Lady」/『うにばーしてぃBOYS』)

クールな由加里が涙を見せるのは、越ヶ谷(コッシー)の前だけだ。

ここにも「サボテン」との「バブル文化」との化学反応がある。

『男女7人夏物語』(1986)で、浅倉千明(池上季実子)が大沢貞九郎(片岡鶴太郎)に惹かれたのも、あるいは、そんな化学反応みたいなものだったかもしれない。

80年代のバブル文化は、若者たちの恋愛を大きく変容させたというが、実際のところ、本質的な部分において、何も変わっていないのではないだろうか?

本作『うにばーしてぃBOYS』が描き出しているのは、時代を超えて普遍的な永遠の若者像だったのだ。

バブルの王道をあえて描かないことによって、『うにばーしてぃBOYS』は、バブル社会を客観視していたのかもしれない。

特別じゃない普通の青春

『あどりぶシネ倶楽部』(1986)と『BLOW UP!』(1989)に挟まれて、『うにばーしてぃBOYS』(1988)は、細野不二彦「青春三部作」のふたつめの作品となる。

映画関係者の支持が熱い『あどりぶシネ倶楽部』や、ジャズ愛好家に支持される『BLOW UP!』と異なり、サボテン愛好会を軸とする『うにばーしてぃBOYS』は、一見テーマがぼんやりとしていて、いかにも地味な作品だ。

この作品については「普通の大学生物」を描きたいと思っていましたから、それでいいんです。一見、何もない作品に思えるかもしれませんが、むしろその「何もない」ということ自体がある種のテーマだという。(細野不二彦青春三部作インタビュー/『細野不二彦本』

ある意味で、大学生は時代を写す鏡のような存在と考えることもできる。

『ビッグコミックスピリッツ NO.33』(1988/07/25)より『ビッグコミックスピリッツ NO.33』(1988/07/25)より

『うにばーしてぃBOYS』が描き出すのは、バブル社会(を生きる大学生)そのものだった。

連載が始まったのは『男女7人夏物語』が流行ってた頃で、いつものように「ああいうのを描けないのか」と編集者に言われたのがきっかけなんですけど(笑)(細野不二彦青春三部作インタビュー/『細野不二彦本』)

背景となっているのは、やはり、人気ドラマ『男女7人夏物語』である。

誰もが「明るく楽しい青春」に憧れを見出している、そんな時代だったのだ。

今にして思うと「青春の思い出づくり」に、やたらこだわる時代だったかもしれない。

ええ、バブル全盛期か終焉が見えてきた頃か……。いずれにしても大学生がいちばんイケイケだった頃ですよね。やはりいま思い返してもバブル期というのは異様なパワーがあって(略)『うにばーしてぃBOYS』は地に足がついた青年漫画だったので、それとは違う風刺的な視点でバブルの空気を取り入れようと考えました。(細野不二彦青春三部作インタビュー/『細野不二彦本』)

『うにばーしてぃBOYS』の登場人物が、実に生き生きと、バブル期の大学生を演じていることは、決して偶然ではない。

ミス・キャンパスの水着審査、ディスコのコンセプト・デザイン、スピリチュアル・サークス、夏休みのグアム旅行、女子大生の裏ビデオ出演、冬休みのスキー旅行、学部主催の合コン、クリスマス・パーティー、謎の覆面バンド「神宮マスク」。

とにかく、当時の大学生は元気だった。

『ビッグコミックスピリッツ NO.47』(1988/10/31)より『ビッグコミックスピリッツ NO.47』(1988/10/31)より

そして、そんな破天荒なキャンパス・ライフの中に、学ぶべきものがあったことも、また確かだ。

「由加里さん、きっと後悔しますよ、今、空港に行かなかったら……」「体裁ばっかとりつくろってどうするんです!」「とり乱しちゃったっていいじゃないですか!」「彼氏に弱いとこ見せたって、かまわないじゃないですか!」「そんなもん、一生後悔してるより、ずっとマシですよ!」(細野不二彦「the Cool Lady」/『うにばーしてぃBOYS』)

バブル時代とは、決して空虚な時代ではなかった。

浮き足立つ空気感の中、時代からこぼれ落ちることのないように必死で踊り続けていたのが、当時の若者たちだったのだ(それはそれで大変な時代だった)。

もしかすると、本作『うにばーしてぃBOYS』の功績は、「特別じゃない青春を描いた」ということだったかもしれない。

『ビッグコミックスピリッツ NO.39』(1988/09/05)より『ビッグコミックスピリッツ NO.39』(1988/09/05)より

特別な才能を持っているわけではない普通の大学生の普通の青春。

そこでは、誰もがヒーローであり、誰もがヒロインでもある。

「オレがリークしたことは、あくまで秘密だぜ。ヤツはちょっと運が悪かっただけさ」「そうまでして……あいつらにアゴで使われてていいのか、武中?」「安心しろ。最後にアゴで使うことになるのは……オレのほうだ!」(細野不二彦「Take me out to Guam」/『うにばーしてぃBOYS』)

彼らを支えているのは、「若さ」という無限大の可能性である。

未来を信じて彼らは、それぞれの青春を、精一杯生きていたのだ。

『うにばーしてぃBOYS』の中には、バブル時代がある。

それも、創られたイメージとしてのバブル時代ではない、等身大のバブル時代が。

今読んで本当に懐かしい物語というのは、あるいは、こんな漫画のことを言うのではないだろうか。

書名:うにばーしてぃBOYS
著者:細野不二彦
発行:1989/02/01
出版社:小学館ビッグコミックス

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懐究堂主人
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。