男は「オンナ」と「うんちく」が好きな生き物だ。
斎藤美奈子『男性誌探訪』を読むと、今まで見えていなかった「男性像」が見えてくる。
これは雑誌で読み解く「男性論」だった。
「男性誌」とは何か?
ファッション雑誌は、男女の性差がはっきりしている。
そもそも、男女のターゲット別に開発されているのがファッション・アイテムだから、ファッション雑誌も男女別に製作されることになるのは必然だろう。
ところが、趣味の雑誌というものに、本来男女の性差はない。
女性が『週刊プロレス』を読んでいれば、それは、プロレスの好きな女性として認定されるだけのことだ。
それでも、なお、趣味の雑誌にも、男女の性差は生まれてしまう。
実際、斎藤美奈子『男性誌探訪』でも、『ナンバー』や『サライ』『ニュートン』『鉄道ジャーナル』『山と渓谷』などが「男性誌」として採りあげられているのだ。
なぜ、スポーツ雑誌や科学雑誌、鉄道雑誌が「男性雑誌」として区分されてしまうのか?
それは、テーマではなく、誌面作りが男性をターゲットとしたものとなっているからだ。
トレンドに包まれた男性像を探る
本書『男性誌探訪』を読んでいると、これまで気がつかなかった「男性像」が見えてくる。
男性向けの雑誌である「男性誌」は、男性諸氏の購買意欲を煽るための誌面作りをしているから、そこには男性のニーズが深く関わっているはずだ。
男性のニーズに応える誌面作りの結果が、市場に流通している男性誌ということになる。
つまり、男性誌を読み解くことで、世の中の男性が欲しているものが把握できるし、それによって、現代を生きる「男性像」を理解することができるということだ。
もちろん、雑誌の誌面は編集方針によって大きく変わる場合があるし、流行に合わせた誌面作りも必要になってくる。
むしろ「時代性」を把握することこそ、雑誌に求められる役割だと言っていい(だから古い雑誌を読んでいて楽しいのだ)。
トレンドという時代性に包まれた男性像を探る──
それが、本書に託された本当のミッションだったのではないだろうか。
オンナとエピソード
本書には『週刊ポスト』『ダカーポ』『週刊ゴルフダイジェスト』『日経おとなのOFF』『エスクァイア』『レオン』『月刊へら』『丸』『東京ウォーカーシリーズ』など、様々な「男性誌」が採りあげられている。
多くの雑誌に共通しているのは「オンナ」だ。
男性誌は「オンナ」が好きな雑誌だと言っていい。
表紙に美女が載っているのも、巻頭に水着美女のグラビアが載っているのも、性的な記事が載っているのも、すべては男性読者のニーズに応えるためのものだ。
「オンナ」抜きにして「男性誌」は成立し得ない。
釣り雑誌にしろ、ゴルフ雑誌にしろ、若い女性の釣り師やゴルファーには必ずスポットライトが当てられる。
オンナが嫌いなオトコなどいない、という最強原理が、そこにはある。
もうひとつ、男性誌の好きなものがある。
それは、どんなジャンルにおいても、男性は「エピソード」が好きだということだ。
エピソードとは、「それ」を語るための歴史や背景のことであり、早い話が「うんちく」である。
スーツにはスーツのうんちくがあり、山登りには山登りのうんちくがある。
男性誌にとって重要な役割は、男性が(女性の前で披露することのできる)素敵なエピソードを提供することである。
「オンナ」と「エピソード」は、男性誌における誌面作りの核だった。
それは、世の中の男性が、いかに「女性」と「蘊蓄」が好きな生き物であるかということを示している。
男として生きていくこと
「女性」と「蘊蓄」が好きな生き物というのは、なんのことはない、つまりは我々(男性)自身のことである。
斎藤美奈子の『男性誌探訪』は、我々の気付いていない男性性(マスキュリニティ)にスポットライトを当てて「男性とは何か」を解剖していく。
八〇年代バブル期のボーイズ雑誌だって、読んでいるのはカントリーボーイだった。おしゃれな都市生活に憧れるシティボーイは、シティにはいない。(斎藤美奈子「男性誌探訪」)
シティボーイがシティに憧れるのは、そこにはかわいいシティガールがいて、いつかは自分も彼女たちと楽しいシティライフが送れると信じていたからだ。
そのために彼らはボーイズ雑誌で勉強をして、ラコステのポロシャツやブルックス・ブラザーズのボタン・ダウン・シャツのエピソードを仕込み、女の子たちの前で華麗に披露してみせたのだ。
時代は変わり、みんな年を取っていったけれど、男という本質的な部分はあまり変わらないものらしい。
僕らは相変わらず女の子が好きで、素敵なエピソードを探し続けている。
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