文学世界とも関わりの深い街・札幌のニッチな歴史を紹介する「さっぽろ標本室」。
今回は、中島みゆきの名曲「南三条」の舞台となった街を紹介します。
中島みゆき「南三条」はどんな歌だったのか?
中島みゆきの名曲「南三条」をご存じだろうか?
1991年(平成3年)発売のアルバム『歌でしか言えない』に収録されたアルバム曲だが、自由劇場『ラヴ・ミー・テンダー』で劇中歌に使用されるなど、人気が高い。
野沢尚の脚本で、1992年(平成4年)にフジテレビで放映されたドラマ『親愛なる者へ』でも、この曲は重要なモチーフとして引用されていた(主演は浅野ゆう子と柳葉敏郎だった)。
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「南三条」にはどんな意味があるのか?
中島みゆきの「南三条」に歌われている「南三条」とは、札幌市中央区にある通りの名前である。
明治になって開発された札幌の街づくりは、京都をモデルにしたとされており、1881年(明治14年)には、札幌市街に「条丁目」が設定されている。
大通公園を中心とする南北の通りを「条」として、創成川を中心とする東西の通りを「丁目」として定めたのが、札幌の街づくりの原点だった。
だから「南三条」は、大通公園から南へ向かって「三本目の通り」ということになる。
この地域の概要を簡単に説明すると、大通公園から南へ一本進むと「南一条(電車通り)」があり、南二条を越えて南三条との間に商店街の「狸小路」がある。
南三条は「狸小路」の裏側にある静かな通りだ。
もっとも、中島みゆきの「南三条」に歌われている「南三条」は、そんな漠然とした「南三条」ではない。
なぜなら、中島みゆきは「南三条」に青春の日の特別な思いをこめて、この作品を歌っているからだ。
なぜ中島みゆきは「南三条」を歌ったのか?
中島みゆきの「南三条」に歌われている「南三条」とは、(東西に長い)南三条通りの中でも、「西4丁目の駅前通りから西7丁目くらいまでのエリア」を歌った作品だと推測される。
中島みゆきが札幌で暮らしていた1970年代、この辺りは若者たちによって支えられるカルチャーの街だった。
和田由美・編集の『札幌青春街図』(1977)によると、当時、この一帯には音楽関係のお店が多かったらしい。
1970年(昭和45年)創業の「アクト」をはじめ、「鳩首協議」「MOJO」「ニカ」「A&M」「ハンプティ・ダンプティ」など、個性的なジャズ喫茶が、南三条には集まっていた。
「ぽっと」「祐天堂」「異間人」などのロック喫茶や、「ソウル・トレイン」のようなソウル喫茶、ライバハウス「びーどろ」があったのも、この「南三条」である。
つまり、1970年代の若者たちにとって「南三条」は「音楽の街」だった、ということだ。
ミュージシャンを志す女子大生・中島みゆきも、当然「南三条」に足を運んでいたのではないだろうか。
現在の「南三条」に1970年代の面影を探す
あれから50年の月日が過ぎて、「南三条」はもちろん、あの頃の街ではない。
1991年に中島みゆきが歌ったように「あの街並はあとかたもない」街だったのだ。
南三条 泣きながら走った
胸の中で あの雨はやまない
南三条 よみがえる夏の日
あの街並みは あとかたもないのに
(中島みゆき「南三条」)
それでも、駅前通りの喧騒から離れて西へ向かうと、そこには今も1970年代の断片が残されている。
全国チェーン店の進出が進んだ駅前通り周辺と違って、西側エリアは比較的開発の波が緩やかだったらしい。
あの頃の雰囲気を味わいながら散策するなら、南三条の西側エリアは要注目のスポットと言える。
「UNPLUGGED (アンプラグド)」や「ARCH(アーチ)」など、個性的なファッション・ストアが並んでいるのも、この通りの特徴と言っていい。
「ヤエカ」や「エンダースキーマ」「クレプスキュール」などのドメブラのほか、「パラブーツ」や「オールデン」などといったオーセンティックなファッション・アイテムを求めるこだわり派の人たちが、このあたりには集まってくる。
かつては「遺族の家」の金属プレートが貼られていた「しゃみ靴店」も、南三条にある。
三条美松ビル、三川屋会館、大洋ビルなど、古いビルが残っているのもうれしい。
西7丁目にある「Kaku imagination」の建物は、大正から昭和初期に建てられた歴史的建造物。
戦後は「北海道栄養学校」を経営する鶴岡学園の本部として使われていたこともある。
中島みゆきが「南三条」を歌った1991年、ここはまだ鶴岡学園だった。
お店は入れ替わったけれど、この建物の前を、きっと中島みゆきも歩いたに違いない。
泣きながら走ったかどうかまでは、さすがに分からないけれど。
まとめ│生まれ変わった「新しい街」で
西4丁目にある「アーバン札幌ビル」の前で、歩いていく人波を眺めていた。
1986年(昭和61年)に建築された「アーバン札幌ビル」でさえ、もはや「あの頃の街並み」ではない。
そこは、バブル経済の中で生まれ変わった「新しい街」だ。
街を行く人波も、あの頃とは変わった。
今や札幌は、インバウンドの外国人観光客が闊歩する街なのだ。
「南三条」が若者たちの街だった時代は、遠い昔の伝説となったらしい。
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