芥川龍之介『歯車』考察とあらすじ|ドッペルゲンガーと心の闇
芥川龍之介『歯車』は、自分という不安定な存在への脅えを描いた短篇小説である。
果たして、主人公は何に対して、それほど怯えていたのだろうか。
この記事では『歯車』のあらすじを整理するとともに、主人公が抱える「歯車」という心の闇の意味について考察していきたい。
3行でわかる『歯車』
日常(幻視と不安)
知人の結婚披露宴のために上京した作家の「僕」は、視界の隅に回り続ける半透明の歯車の幻影と激しい頭痛に脅かされ始める。
事件(死の暗号と包囲網)
街で見かける黄色いレインコートの男や義弟の事故死など、日常のあらゆる偶然が自らの死を告げる不吉な暗号に見え、激しい恐怖に追い詰められていく。
結末(極限の疲労と願望)
ホテルの部屋に閉じこもり、幻覚と関係妄想の地獄に身も心もすり潰された「僕」は、眠っている間に誰か首を絞めて殺してくれないかと絶望の中で願う。
『歯車』簡単なあらすじ(要約)
知人の結婚披露宴に出席するため、東京の帝国ホテルに滞在していた作家の「僕」。彼の視界には、いつからか半透明の「歯車」が回る奇妙な幻影が現れるようになり、その出現とともに耐えがたい偏頭痛に苛まれる日々が続いていた。
やがて「僕」の周囲では、不気味な出来事が連鎖し始める。夏でもないのに季節外れのレインコートを着た男の姿、義弟が黄色いタクシーに轢かれて不審な死を遂げた知らせ、街中で見かける復讐や狂気を連想させる書物の題名。
日常のあらゆる偶然の記号が、すべて自らを追い詰める「死の予告」へと反転していく恐怖に、「僕」の精神は休まる暇を奪われていく。丸善の洋書フロアやホテルの部屋へと逃げ込み、睡眠薬で眠りを求めながらも、ドッペルゲンガーの気配や死の幻覚から逃れることはできない。
ついに逃げ場を失い、身動きの取れない精神の牢獄に閉じ込められた「僕」は、生きることそのものの疲労に耐えかね、 「だれか僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」と独白して物語は幕を閉じる。
【考察】「歯車」が意味するものは何か?
本作『歯車』は、狂人が狂人であることを追究する物語である。
自分が「狂人」であることを証明するため、主人公は自分の中の様々な異変を明らかにしていく。
①「レエン・コオト」という呪い
例えば、彼は「レエン・コオト」に異常なまでに固執した。
彼にとって「レエン・コオト」は不吉の象徴であり、そのまま「死」へと直結する「呪いのアイテム」である。
もちろん「レエン・コオト」に特別の意味があるはずもないが、自分が狂人であることを求める主人公は、偶然の符合の中にも「呪い」の意味づけをしないではいられない。
彼を追いこんでいるのは、「いつか発狂するかもしれない」という自分自身への恐怖である。
心の深いところに巣くう疑念は彼を追いつめ、やがて「狂人」へと確定させてしまう。
いわば「自分で自分を追いこんでいく構造」が、この物語にはある。
②「歯車」の正体
恐怖の背景となっているのは、「自分という曖昧な存在」への不安である。
まるで、何か「機械の歯車」のような人生への諦めが、この物語からは感じられるのだ。
もしかすると、少しの不具合で簡単にズレてしまう我々の人生こそ、つまり「歯車」だったのではないだろうか。
「歯車」は、狂人の頭の中にだけあるのではない。
それは、誰の頭の中にもあるものであり、正常に回り続けているかぎり、人は自分の中の「歯車」に気づくことはないだろう。
大切なことは、始まりは「ほんの少しのズレだった」ということだ。
もしかすると、主人公は、我々だったかもしれないのである。
【解説】主人公は「芥川龍之介」なのか?
一般に『歯車』は、作者・芥川龍之介自身の体験を綴った「私小説的な作品」として受け止められている。
①「予言」としての『歯車』
『点鬼簿』(1926年)には「僕の母は狂人だった」との告白があるし、本作『歯車』を発表することなく、芥川龍之介は、1927年(昭和2年)7月24日に自殺してしまった。
そのため、『歯車』は、作者の死後に発表された遺稿となっている(『文藝春秋』1927年10月号に発表された)。
『歯車』が、芥川龍之介の自死を予言したものだったのかどうか、それは永遠に分からない。
しかし、『歯車』を執筆することによって、芥川龍之介が自分自身を追いつめていったことは、きっと確かなのだろう。
『歯車』の主人公は、作者自身というより、むしろ、作者・芥川龍之介の「ドッペルゲンガー」だったのだ。
小説の中の「分身」に「歯車」を語らせることによって、作者は「歯車」からの脱出を試みていたのかもしれない。
②「ドッペルゲンガー」に殺されるまで
あるいは、作者は、小説の中の「自分」を殺してしまうべきだったのではないか。
しかし、彼に「自分自身のドッペルゲンガー」を殺すことはできなかった。
それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だった。――僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こういう気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?(芥川龍之介『歯車』)
結局『歯車』の執筆から3か月後に、芥川龍之介は自殺してしまった(7月24日未明、睡眠薬を飲んで服毒自殺)。
作者・芥川龍之介を「絞め殺した」ものは、小説の中のドッペルゲンガーである。
「生き残った自分」と「死んでいく自分」。
そして、作者が死んだ今も、『歯車』の中の「自分」は生き続けている。
まとめ│見えない「歯車」の中で
本作『歯車』は、少しの不具合で簡単に破滅してしまう、我々の人生を象徴する物語だったのではないだろうか。
現代は生きづらい時代である。
どんなに順調に見える人生でも、「呪いの歯車」は我々を放置しておいてはくれない。
ほんの少しのズレさえ、それは「命取り」になりかねないのだ。
もっとも、「歯車の噛み合わせ」をいちいち気にしていては生きてはいけないことも、また事実である。
見えない「歯車」の中で、我々は、自分なりに頑張っていくしかないのではないだろうか。
文学ブログ『時空標本』では、芥川龍之介の紹介に力を入れています。
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