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【原作比較】『火垂るの墓』小説版から紐解く真実|清太クズ説と「おばさん正論論」の本当の答え

【原作比較】『火垂るの墓』小説版から紐解く真実|清太クズ説と「おばさん正論論」の本当の答え

野坂昭如『火垂るの墓』の季節が近づいている。

「以前は、毎年、夏になると地上波で観ていたのに、最近テレビでやらなくなったな……」

スタジオジブリの名作アニメ映画『火垂るの墓』に対して、そんな寂しさを抱えている方も多いのではないだろうか。

なぜなら、アニメ映画『火垂るの墓』は、何度も繰り返し観たくなる「モヤモヤ」とした感情を、視聴者の心に残す作品だからだ。

「なぜ清太はプライドを捨てて働かなかったのか?」
「親戚のおばさんの言うことって、実は正論なんじゃない?」
「清太のわがままのせいで、節子は死んでしまったのでは……」

ネット上でも定期的に大論争となる「清太クズ・自業自得説」や「おばさん悪くない論」。

こうした疑問やモヤモヤに対する解答は、野坂昭如の原作小説を読みこむことにより、ある程度まで解決することができる。

今回は、アニメ映画と原作小説との違いを比較しながら、本作『火垂るの墓』が伝えているメッセージを読み解いていきたい。

Contents
  1. 【基本情報】『火垂るの墓』はどんな話なのか?
  2. 『火垂るの墓』簡単なあらすじ(ネタバレ要約)
  3. 『火垂るの墓』主要キャラクター解説
  4. 【考察1】『火垂るの墓』アニメ映画と原作小説の違い
  5. 【考察2】「清太クズ・自業自得説」を読み解く
  6. 【考察3】「西宮のおばさん悪くない論」を読み解く
  7. 【考察4】なぜ「蛍の墓」ではなく「火垂るの墓」なのか?
  8. まとめ│『火垂るの墓』が伝えているもの

【基本情報】『火垂るの墓』はどんな話なのか?

本作『火垂るの墓』は、野坂昭如の書いた短編小説である。

① 野坂昭如『火垂るの墓』│直木賞受賞作

本作『火垂るの墓』は、1968年(昭和43年)3月に刊行された短編集『アメリカひじき 火垂るの墓』に収録された短篇小説である。

初出は、1967年(昭和42年)10月『オール讀物』。

この年、著者は37歳だった。

1967年(昭和42年)、「アメリカひじき」「火垂るの墓」の両作品により、第58回(昭和42年度下半期)直木賞受賞。

② スタジオジブリのアニメ映画『火垂るの墓』

本作を有名な作品にしたのは、1988年(昭和63年)4月公開のスタジオジブリ制作アニメ映画『火垂るの墓』である。

高畑勲監督の長編アニメーション映画第6作で、同時上映は『となりのトトロ』だった。

『火垂るの墓』『となりのトトロ』共通のキャッチコピーとして、「忘れものを、届けにきました」が付けられている。

③アニメ映画『火垂るの墓』のストーリーやBGM

アニメ映画『火垂るの墓』は、ほぼ原作小説に忠実に製作されている。

ただし「それドロップやない、おはじきや」(正しくは「これおはじきやろ。ドロップちゃうやんか」「滋養なんかどこにあるんですか!」など、原作小説にはないアニメ映画オリジナルのセリフも含まれている。

また、BGMとして『埴生(はにゅう)の宿』が使用されるなど、アニメ映画ならではの工夫が施されている。

④『火垂るの墓』の時代設定、舞台となった場所は?

本作『火垂るの墓』は、1945年(昭和20年)6月の神戸大空襲から終戦直後の9月までを描いた、ひと夏の物語である。

物語の舞台となっているのは、神戸市三宮で、御影、石屋川、六甲道、西宮などの地名が登場している。

『火垂るの墓』簡単なあらすじ(ネタバレ要約)

本作『火垂るの墓』は、アメリカ軍による空襲被害で死んだ家族の物語である。

① 昭和20年の神戸大空襲

海軍大尉の父親に支えられて、不自由な思いをせずに暮らしていた清太の一家。

しかし、昭和20年6月5日の神戸大空襲で母親は亡くなり、清太は妹(節子)とふたり、みなしごになってしまう。

海軍に勤務する父親の行方は、とうに知れなかった。

②「西宮のおばさん」の家での暮らし

遠い親戚(西宮のおばさん)の家に引き取られた二人。

しかし、惨めな居候の暮らしに二人は我慢することができない。

それは、誰もが生きるだけで精一杯の時代だったのだ。

③ 飢えた戦災孤児たちの最期

親戚の家を出た二人は浮浪児として生活するが、暮らしはたちまち困窮してしまう。

最初に幼い妹(節子)が亡くなり、やがて、兄(清太)も命を落とす。

節子の白い骨の欠片が、蛍の群れの中に転がっていた。

『火垂るの墓』主要キャラクター解説

本作『火垂るの墓』は、空襲に砕け散った家族の物語である。

主人公(清太)一家を中心に、主要キャラクターについて紹介していこう。

① 清太(せいた)の年齢・死因・死んだ場所・死亡シーン

本作『火垂るの墓』の主人公は、兄「清太(せいた)」である。

神戸大空襲を受けた1945年(昭和20年)6月、清太は旧制「中学三年」で、年齢は15歳だった。

妹(節子)の死を看取った清太は、1945年(昭和20年)9月21日、三宮駅構内で野垂れ死にする。

死因は妹と同じ「栄養失調症による衰弱死」だった。

「今、何日なんやろ」何日なんや、どれくらいたってんやろ、(略)何日なんやろな、何日やろかそれのみ考えつつ、清太は死んだ。(野坂昭如「火垂るの墓」)

清太の死亡シーンは、驚くほどあっさりとしている。

「生き続けたい」、そんなことを考える余裕もないほど、清太は何もかもを失ってしまったいた。

② 妹(節子)の年齢・死因・死んだ場所・死亡シーン

先に死んだ「節子」は、四歳になる清太の妹だった。

八月二十二日西宮満地谷横穴防空壕の中で死に、死病の名は急性腸炎とされたが、実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るようにみまかったので、兄と同じ栄養失調症による衰弱死。(野坂昭如「火垂るの墓」)

死因は兄と同じ「栄養失調症による衰弱死」で、浮浪児となった果ての惨めな最期だった。

八月二十二日昼、貯水池で泳いで壕へもどると、節子は死んでいた。(野坂昭如「火垂るの墓」)

母を失った兄(清太)と妹(節子)が、どのように死んでいったのか。

その過程が、本作『火垂るの墓』には描かれている。

③ 母親(お母さん)の死因・包帯とウジ虫の死亡シーン

清太の母親は、節子を産んで以来、心臓を患い、病弱の体だった。

1945年(昭和20年)6月5日、神戸大空襲の夜、清太は病弱な母を消防署裏にある防空壕へ避難させてから、父親の写真を持ち出し、妹(節子)と二人で避難する。

空襲で焼けた防空壕から運び出された母は、全身に重い火傷を負っていた。

母は上半身をほうたいでくるみ、両手はバットの如く顔もぐるぐるまきに巻いて眼と鼻、口の部分だけ黒い穴があけられ、鼻の先は天婦羅の衣そっくり(略)(野坂昭如「火垂るの墓」)

死因は「火傷(やけど)による衰弱」だった。

亡くなった母の顔を見たいと申し出る清太に、医者は「みない方がいいよ、その方がいい」とつぶやく。

びくとも動かぬほうたいだらけの母の、そのほうたいに血がにじみ、おびただしいハエがむらがって(略)(野坂昭如「火垂るの墓」)

母親の遺体は、無残な姿をさらしていた。

荼毘に付すという母親の死体、手首のほうたいをとって針金で標識を結び、ようやくみる母の皮膚は黒く変色していて人のものとも思われず、担架にのせたとたんころころと蛆虫がころげおち、気がつくと幾百、千という蛆虫が工作室をはいずり、委細かまわず踏みつぶしながら死体搬出され(略)(野坂昭如「火垂るの墓」)

包帯に包まれた母親の遺体には、無数のハエの卵が産みつけられ、包帯の下で何千匹という蛆虫(ウジ虫)に成長していた。

「このシーンがトラウマになった」という人も多くいるほど、母親の死亡シーンはあまりにも凄惨すぎるため、地上波による放映の際にはカットされた。

④ 父親(お父さん)は戦死したのか?

清太の父親は、日本海軍所属の海軍大尉で、1935年(昭和10年)10月の観艦式では、巡洋艦「摩耶」に乗船している。

しかし、戦況が悪化する中、父からの音信は途絶えており、「連合艦隊」の敗北とともに戦死した可能性が高い。

⑤「西宮のおばさん」一家

母親に先立たれ、戦災孤児となった二人は、西宮にある「父の従弟の嫁の実家」へと引き取られる。

父の従弟は、四年前に結婚したばかりだった。

「おばさん」は夫を亡くした未亡人で、商船学校に在学中の「息子」(幸彦)と、女学校四年(15歳)で中島飛行機へ動員している「娘」が一緒に暮らしていた。

【考察1】『火垂るの墓』アニメ映画と原作小説の違い

アニメ映画『火垂るの墓』は、小説「火垂るの墓」を原作とする作品だが、この二つには大きな違いがある。

それは、制作された時代背景が大きく異なっている、ということだ。

①「政治の時代」に発表された小説『火垂るの墓』

原作小説「火垂るの墓」は、1967年(昭和42年)10月に発表されている。

それは、ベトナム戦争が泥沼化する「戦争の時代」だった。

1966年(昭和41年)には「ベトナムに平和を! 市民連合」が本格的に発足し、政治に参画する若者たちは「反戦・反米」を叫んだ。

敗戦から22年。

多くの日本人にとって「戦争」は、遠い国の出来事ではなかったはずだ。

清太や節子のような戦災孤児たちが、日本の高度経済成長を支えていたのである。

②「バブルの時代」に生まれたアニメ映画『火垂るの墓』

一方、アニメ映画『火垂るの墓』は、日本中がバブル景気で沸き立つ1988年(昭和63年)4月に公開された。

高度経済成長で生まれ変わった日本は、既に「戦争に負けた国」ではなかった。

大空襲の記憶が風化する中で製作された『火垂るの墓』は、そのため「現代社会とのつながり」を強調して描かれている。

戦争の中で死んでいった清太や節子が、まるで「僕たちを忘れないで」と訴えかけているように。

③ アニメ映画『火垂るの墓』はなぜ高く評価されているのか?

アニメ映画『火垂るの墓』の高い評価の背景には、「豊かな経済大国」となった日本の成長がある。

まるで「嘘のような話」だからこそ、『火垂るの墓』にはリアリティがあり、「遠い昔の出来事」だからこそ、人々は劇中キャラクターに感情移入することができる。

空襲被災や激しい飢餓、なにより戦災孤児たちの孤独。

そこには、原作小説にはなかった「物語と実社会との大きなズレ」がある。

その「ズレ」を埋めるために、視聴者は映画の中の世界に没頭しているのかもしれない。

【考察2】「清太クズ・自業自得説」を読み解く

本作『火垂るの墓』は、節子の兄(清太)による「懴悔録」として読むことができる。

① なぜ清太は働かなかったのか?

空襲で被災するまで、中学三年の清太は、勤労動員でにより神戸製鋼所へ通っていた。

しかし、神戸大空襲により街が壊滅的な被害を受けた後は、働く場所さえなくなってしまう。

それは、多くの大人たちも同じ状況だっただろう。

戦災の非常時に中学生の清太を雇うような余裕のある職場が、神戸市内にあったかどうか。

②「預金7,000円」はお金持ちなのか?現在の価値との比較

亡き母は、清太に預金を遺している。

神戸銀行六甲支店、住友銀行元町支店で確認した預金残高は「七千円」だった。

しかし、いくら「お金持ち」であっても、戦災下の非常時において「現金」はもはや意味をなさない。

原作小説には「都会に近いから、農家もずるく、金では米を売らず」と書かれている。

食べなあかんといっても、母の着物ももはや底をつき、タマゴ1箇三円油一升百円牛肉百匁二十円米一升二十五円の闇は、ルートつかまねば高嶺の花。(野坂昭如「火垂るの墓」)

直売の農家はもちろん、闇屋でさえ、現金よりも「物々交換」を歓迎した。

つまり「預金7,000円のお金持ち」であっても、物資を入手する闇ルートを確保しなければ、満足に食料を入手することも難しかったのだ。

必要なものは、お金ではなく人脈(コネ)である。

それでも、節子には近郷近在歩きまわり、ポケットには預金おろした十円札を何枚も入れ、時にはかしわ百五十円、米はたちまち上って一升四十円食べさせたがすでにうけつけぬ。(野坂昭如「火垂るの墓」)

コネを持たない清太は、食べものを求めて歩き回るが、簡単なことではない。

終戦直後、農家は売り惜しみを激しくさせて、物々交換にさえ簡単には応じなくなっていたのだ。

③ 節子が死んだのは「清太の責任」だったのか?

どれだけ嫌な思いをしても、我慢して「西宮のおばさん」の家で暮らしていれば、二人とも餓死することはなかったかもしれない。

それでも「節子を守るため」に、清太は「おばさん」の家を出た。

節子は常にはなさぬ人形抱いて、「お家帰りたいわあ、小母さんとこもういやや」およそ不平をこれまでいわなかったのに、泣きべそかいていい、「お家焼けてしもたん、あれへん」しかし、未亡人の家にこれ以上長くはいられないだろう(野坂昭如「火垂るの墓」)

清太ひとりなら、惨めな暮らしを耐えることができたかもしれない。

しかし、清太は妹を守るために家を出た。

死んでなお清太が後悔し続けているのは、節子を守り切ることができなかった自分を責め続けているからだ。

「清太はクズ」で「死んだのも自業自得だ」と割り切ることができるほど、簡単な時代ではなかったのかもしれない。

【考察3】「西宮のおばさん悪くない論」を読み解く

それでは「未亡人(西宮のおばさん)」には、どのような役割が与えられていたのだろうか?

①「西宮のおばさん」は何を象徴していたのか?

とりわけ「意地悪」にも思える「未亡人(西宮のおばさん)」は、すべての日本国民を象徴した姿として読むことができる。

台所ではいつも、焦げた雑炊の底をお玉でがりがりけずる音がし、さぞかし味がしみて香ばしく歯ごたえのあるそのお焦げ、未亡人のむさぼる姿思うと腹が立つよりつばきがにじむ。(野坂昭如「火垂るの墓」)

食べものが惜しいがために、戦災孤児二人は家を追い出され、路頭に迷わなければならない。

物語の根底にあるものは、日本国民の「徹底的な飢え」だった。

②「おばさん正論説」が正しい理由

家族を守るために縁戚の「みなしご」二人を追い出した「西宮のおばさん」だけが、決して悪かったわけではない。

作者がとらえているものは、「西宮のおばさん」の背後にある、もっと大きな「闇」だ。

「わあ、きたない』「死んどんのやろか」「アメリカ軍がもうすぐ来るいうのに恥やで、駅にこんなんおったら」(野坂昭如「火垂るの墓」)

今にも死にそうな浮浪児たちにも、戦後の世の中は冷たかった。

なぜなら、浮浪児たちに愛情を施すことができるほどの余裕は、世の中にはなかったからだ。

誰もが生き延びるだけで精一杯の時代だった。

駅の構内で「死にかけている戦災孤児」を見捨てた世の中は、つまり「西宮のおばさん」である。

彼らは「正論」によって自分たちの暮らしを守り、自分たちの家族を守ろうとしていた。

だから、多くの視聴者が「西宮のおばさんは正論を言っているにすぎない」と感じる感覚は、決して間違いではなかったはずだ。

なぜなら「映画を観ている我々自身」こそ、実は「西宮のおばさん」の正体だったのだから。

③「清太」が象徴するものは何か?

戦後の復興は、そんな「正論」を唱える「正しい世の中」によって進められた。

やがて高度経済成長の波に乗った日本は、奇跡的な復活を遂げる(「もはや戦後ではない」という有名な言葉がある)。

飢え死にした清太が向き合っているのは、そんな「戦後のニッポン」である。

昭和二十年九月二十日午後、三宮駅構内で野垂れ死にした清太は、他に二、三十人はあった浮浪児の死体と共に、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納骨堂へおさめられた。(野坂昭如「火垂るの墓」)

清太や節子の背後には、10万人以上とも言われる「戦災孤児」の姿が隠れている。

惨めな思いをしたのは、清太や節子たちだけではなかった。

戦争によって両親を奪われたすべての子どもたちの象徴として、清太は西宮駅構内に死んでいったのかもしれない。

【考察4】なぜ「蛍の墓」ではなく「火垂るの墓」なのか?

本作『火垂るの墓』は、そのタイトルが印象的な作品である。

①「特攻機」が象徴しているものは何か?

作中で「蛍(ホタル)」は重要な意味をもって登場している。

寝苦しいままに表ででて二人連れ小便して、その上を赤と青の標識点滅させた日本機が西へ向う、「あれ特攻やで」ふーんと意味わからぬながら節子うなずき、「蛍みたいやね」(野坂昭如「火垂るの墓」)

空を横切って飛んでいく特攻機を見て、節子は「蛍みたいやね」とつぶやく。

まるで、まもなく死んでしまう自分の運命を予言していたかのように。

②「蛍の墓」は何を意味しているのか?

濠の暗闇を恐れた清太は、蚊帳の中に蛍を放った。

朝になると、蛍の半分は死んで落ち、節子はその死骸を濠の入口に埋めた、「何しとんねん」「蛍のお墓つくってんねん」(野坂昭如「火垂るの墓」)

節子が埋めているのは「死んだ蛍の死骸」であり、空襲で死んだ「母親の魂」である。

闇夜を漂う「蛍の光跡」は、あるいは「霊魂の軌跡」でもあったかもしれない。

やがて、ドロップの缶に入れられた「節子の白骨」は、無慈悲な駅員の手によって、蛍の群れの中へと放り捨てられる。

(ただし「サクマドロップ」は映画オリジナルの設定だった)

「蛍の墓」は、いずれ死んでいく「節子自身の墓」でもあったのだ。

③ なぜ「火垂るの墓」なのか?

彼らの運命を決定づけたものは、6月5日の神戸大空襲である。

それまで天井屋根裏でくすぶっていたらしい焼夷弾、いっせいに火の手上げて庭木のバチバチはぜる音、軒端を走る火やら燃えながらはずれておちる雨戸、視界は暗くなりみるみる大気は熱せられ(略)(野坂昭如「火垂るの墓」)

焼けていく街の光景は強いトラウマとなり、夢の中にまで子どもたちを襲った。

全身大やけどで死んでいった母親の黒焦げの遺体にも象徴されるように、彼らは空襲で「焼かれた一家」である。

空襲がもたらした「激しい火災」と、はかない「蛍の光」は、物語の中で印象的に対比させられていた。

炎が垂れ下がる街。

空襲の中で死んでいった彼らにとって、墓はあくまでも「火垂るの墓」だったのだ。

まとめ│『火垂るの墓』が伝えているもの

原作小説を読み、アニメ映画を観るたびに、「一体、この作品は何を訴えているのだろうか」と考える。

神戸を空襲した「アメリカ軍の凶悪さ」か、アメリカ軍に負けた「日本軍のだらしなさ」か。

アメリカ相手に戦争を始めた「愚かな日本政府」か、それとも、戦災孤児の救済に立ち遅れた「役立たずの日本政府」か。

あるいは、二人の戦災孤児を死へと追いやった「無慈悲な日本社会」か。

おそらく、そのどれもが正解であり、その上で、清太は「戦争の時代」に生きなければならなかった「自分たちの運命」を呪ったことだろう。

本作『火垂るの墓』は、戦災で死んだ子どもたちの「呪い」のような小説である。

同時に、これは「社会告発の小説」でもあった。

戦災孤児が、どのようにして生まれ、どのようにして死んでいったのか。

ドロップの缶もて余したようにふると、カラカラと鳴り、駅員はモーションつけて駅前の焼跡、すでに夏草しげく生えたあたりの暗がりへほうり投げ、落ちた拍子にそのふたがとれて、白い粉がこぼれ、ちいさい骨のかけらが三つころげ、草に宿っていた螢おどろいて二、三十あわただしく点滅しながらとびかい、やがて静まる。(野坂昭如「火垂るの墓」)

「やがて静まった」のは、幼くして死んだ「節子の霊魂」だったのだろうか。

あるいは、本作『火垂るの墓』は、悲しく死んでいった多くの「戦災孤児たちの鎮魂歌」だったのかもしれない。

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文学ブログ『時空標本』では、『火垂るの墓』と同時代に発表された昭和文学の紹介に力を入れています。

詳しくは、別記事「昭和文学の名作おすすめ30選+α|時代と個人の不安を描いた小説たち」をご覧ください。

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