喜多嶋隆は、80年代後半のバブル時代を代表する作家のひとりだ。
1989年(平成元年)に40歳だった彼は、80年代の爽やかでオシャレな空気感を「ショート・ストーリー」と呼ばれる短い小説の中で表現した。
そこには、バブル時代の日本が持っていた、華やかでちょっと切ない日常が描かれている。
リゾート地で生きる健康的な女性たち
本作『水平線ストーリー』には、全部で34篇の物語が収録されている。
舞台は南の島のリゾート地
多くの作品は、ホノルルやプーケット島、セイシェル、モルディヴ、クック諸島、ミクロネシア、ポリネシア、サイパンなど、南のリゾート地が舞台になっている。
まれに、ニューヨークやロス・アンゼルスが登場すると、ちょっと意外な感じがするかもしれない。
CFディレクターやカメラマンの男性がいて、彼らは地元の女性たちと簡単な恋をする。
長くてまっすぐな脚。バニラ・アイスクリームのように白い肌。薄茶色の瞳。(喜多嶋隆「貝殻ジンジャーの花」)
映画『フラッシュ・ダンス』の主人公ジェニファー・ビールスや、オリビア・ニュートン・ジョンに似ていると表現される女性たちは、みな美しく、爽やかで、健康的だった。
Tシャツとスニーカーが似合う女性たち
『水平線ストーリー』に登場する女性たちには、Tシャツとスニーカーが似合う。
よく灼けた肌に、白いタンクトップ、薄いピンクのショートパンツ。エイヴィアのテニスシューズでHONDAのアクセルをふんでいた。(喜多嶋隆「若いビールにはかなわない」)
「L・Aギア」のスニーカーや「Kスイス」のテニスシューズ。
若者たちに人気のブランドが、女性たちのキャラクターを表している。
10代後半から20代前半にかけてと思われる彼女たちは、南の島のリゾート地と同じくらいに健康的だった。
華やかなバブル時代の影
喜多嶋隆が描こうとしているのは、陽気なリゾート地で暮らす女性たちの「ほろ苦さ」だ。
南国で生きる女性たちの光と影
華やかな暮らしの陰で、彼女たちは、それぞれの葛藤を抱えている。
親に認められない恋もあれば、最愛の恋人と別れなければならない恋もあった。
異国の都会を夢見る少女は、現実から抜け出そうともがいている。
考えてみれば、僕らの少年時代もそうだった。U・S・Aの3文字に、わけもなく憧れたものだった。それがアメリカでなくてもいいのだ。誰もみな<ここではないどこか>を夢見る。(喜多嶋隆「U・S・A」)
この「ほろ苦さ」が、喜多嶋隆という作家の魅力だったかもしれない。
あえて眩しいリゾート地を舞台に据えながら、そこで生きる女性たちの光と影を、喜多嶋隆は描き続けた。
まるで、華やかなバブル時代の影を切り取ろうとするかのように。
大人の男性のための物語
34編のうち11編は、男性誌『MEN’S CLUB』に連載されたもので、三菱DCカードPR誌『THE CARD』に発表された作品も10本含まれている。
『MEN’S CLUB』や三菱DCカードPR誌『THE CARD』への発表
つまり、ここに収録された作品のほとんどは、大人のために書かれた作品である、ということだ。
短いフレーズと短いセンテンス。
5~6ページで終わるショート・ストーリーは、バブル時代にぴったりの表現ツールだったかもしれない。
なにしろ「24時間、働けますか?」と言われるくらいに忙しい時代だったから、仕事に追われるビジネスマンたちは、日常生活の隙間で、こんな物語を読んでいたのだろう。
頻繁にリゾート地へ現れる大人の男性たちと、地元の美しい女性たちとの出会い。
ときに、それは十代の少女だったりしたけれど、大人の男たちは彼女たちの葛藤を受け容れ、優しく慰めてくれる。
大人の洋楽シティポップ(AOR)がBGM
そんな大人のラブストーリーを演出してくれるのは、オシャレで都会的な音楽だった。
窓の外では、ヤシの葉が狂ったように揺れている。ちょっと感度の悪いラジオから、G・マイケルの新曲が流れていた。(喜多嶋隆「ハリケーン」)
ボブ・スキャッグス、ジョージ・マイケル、ライオネル・リッチーのバラード、バングルスの唄う「Eternal Flame」、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「The Power of Love」、ケオラ・ビーマーの「Honolulu City Lights」。
もしかすると、当時の男性たちは、こんな物語で、大人の男性としてのセンスを磨いていたのかもしれない。
南の島のリゾート地、地元美女との簡単なキス、ラジオから流れる洋楽ヒット曲。
バブル時代の幻想が、この作品集には化石のように閉じこめられている。
まとめ│バブル時代を生き残るために
あの頃、日本中の男たちが南の島のリゾート地を訪れて、現地の美女と簡単な恋をしていたのだろうか?
それは、バブル時代を彩る伝説のようにも思われる。
なぜなら、どんな時代にも、生きるということは決して簡単なことではなかったからだ。
本作『水平線ストーリー』は、バブル時代の伝説を集めた物語である。
そして、当時の男たちが、そんな「伝説」を夢見ながら毎日働いていたことも、やはり事実だった。
そうでもしなければ、それは生き残ることもできないくらいに、シビアな時代だったのだ。
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文学ブログ『時空標本』では、バブル時代の文学作品にも力を入れています。
村上春樹をはじめ、80年代の都市生活やシティポップ的な空気感を描いた名作小説をまとめて知りたい方は、別記事「80年代文学のおすすめ|村上春樹からシティポップ、ミニマリズムまで名作小説を網羅」もご覧ください。
