子どものときに読んで感動し、大人になって読み返してまた感動する、と言われる永遠の名作『星の王子さま』。
この物語は、なぜ、子どもばかりでなく、大人の心にまで響いてくるのだろうか。
その理由は「バラ」や「キツネ」、さらには「ちいさな王子」などといった、謎の登場人物たちに隠されている。
そして、こうしたメタファー的な難問は「村上春樹的な読み方」をすることで、意外と謎が解けたりするものだ。
今回は、野崎歓の新訳『ちいさな王子』をもとに、村上春樹的アプローチから「バラ」や「キツネ」「バオバブ」といったメタファーの意味や「ちいさな王子」が象徴するもの、あるいは作者が伝えようとしているメッセージなどについて考察していきたい。
作品タイトル|『星の王子さま』から『小さな王子』へ
本作『ちいさな王子』は、フランスの作家サン=テグジュペリによる児童文学作品で、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に出版された。
英語訳は「The Little Prince」
フランス語の原題「Le Petit Prince」、英語でも「The Little Prince」と訳されている本作は、1953年(昭和28年)の内藤濯による翻訳以降、日本では「星の王子さま」として定着してきた。
もちろん、現代に「星」という言葉はないから、「星の王子さま」は日本版の意訳である。
原題に忠実な「ちいさな王子」
今回読んだ光文社古典新訳文庫版『ちいさな王子』は、フランス文学者・野崎歓の翻訳によるもの。
これまでも『小さな王子』『小さな星の王子さま』『小さい王子』などの訳があるが、本作ではあえて平仮名の「ちいさな王子」が使われている。
物理的な「小ささ」だけではないニュアンスを、「ちいさな」という言葉が表現している。
3分でわかる『星の王子さま』のあらすじ
本作『ちいさな王子』(星の王子さま)は、不時着した飛行士が、砂漠で謎の王子と出会う物語だ。
生死の境界線に現れた「ちいさな王子」
物語は、語り手の「ぼく」の回想によって語られている。
六年前、サハラ砂漠で飛行機が不時着し、生死の境目をさまよった「ぼく」は、そこで小さな星からやってきたという、不思議な王子さまと出会った。
つまり王子がやってきた星は、せいぜい一軒の家くらいの大きさしかない星だったんだ!(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
誰もいない砂漠の真ん中で、「ぼく」は王子との交流を深めていく。
バラの星から逃げ出してきた旅人
王子は、自分の星から逃げ出してきた旅人だった。
彼の星にはプライドの高い「バラ」がいて、バラの相手に疲れた彼は、あちこちの星を訪ね歩いていたのだ。
命令しかしない王様の星、うぬぼれ屋の星、のんべえの星、ビジネスマンの星、点灯係の星、地理学者の星。
彼が七番目にたどりついた星、それが地球だった。
「人間はどこにいるの? 砂漠って、ちょっとさびしいところだね……」「人間たちのところにいたって、さびしいさ」(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
砂漠で王子は「キツネ」と出会う。
キツネや人間との交流の中で
キツネは、簡単には心を許してはくれなかった。
「きみとは遊べないな」とキツネはいった。「だってぼく、まだなつかせてもらっていないもの」(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
キツネとの友情を深めた王子は、やがてキツネと別れて、人間(ぼく)と出会う。
砂漠で遭難した「ぼく」は、生きるか死ぬかという状況の中で、王子との交流を深めていく。
やがて、王子は、どこか遠くへ出発しようとしているのだった。
考察│「ちいさな王子」と「六つの星」が意味するもの
この物語を村上春樹的に読み解いていったとき、何が分かるだろうか。
キーワードは「心(深層心理)」である。
「砂漠」が象徴するもの|主人公の深層心理を描く
物語の語り手「ぼく」は、サハラ砂漠での遭難という臨死体験の中で「ちいさな王子」と出会っている。
「砂漠」は、薄れゆく意識の中でたどりついた、彼自身の深層心理である。
つまり、彼は自分自身の心の奥底深いところまで降りていくことによって、砂漠へとたどり着いたのだ。
村上春樹の小説では、心の深いところまで潜りこむために「井戸」の中へと降りていく。
同じように『ちいさな王子』では、「砂漠」へ不時着することで、自分の心の中の深いところへと降りていったのだろう(そして砂漠には「井戸」があった)。
「ちいさな王子」が象徴するもの|もう一人の主人公
深層心理に登場する「ちいさな王子」は、もう一人の彼自身である。
言い方を換えると、それは、大人になった彼の心の中に取り残されていた、少年の日の彼自身である。
「まるで大人みたいな口のききかたをするんだね!」(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
本作『星の王子さま』は、大人と子どもとの対立を描いた物語と知られている。
それは、少年時代の彼自身(ちいさな王子)が、大人になった彼自身(ぼく)を批判する物語ということでもあったのだ。
六つの星が意味するもの|主人公の隠れた心
地球にたどり着くまで、王子は六つの星に立ち寄っている。
人間の醜さを象徴する小さな星は、いずれも彼自身の心の中に潜む星だったに違いない。
恥ずかしさを忘れるために酒を飲む「のんべえ」が住む星があった。
「何が恥ずかしいの?」ちいさな王子は、力になってあげたくてたずねた。「酒を飲むことがさ!」(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
そこにいるのは、自分の生き方を恥ずかしく思っている、彼自身の姿だ。
所有欲にまみれたビジネスマンや、命令ばかりしている王様も、すべては彼自身の心の中に潜む、隠れた彼自身の姿だった。
ちいさな王子の「小さな星」が意味するもの
この物語に登場する星は、地球を除いていずれも小さな星ばかりだ。
それは、我々(人間)が生きている世界の小ささを象徴したものではなかっただろうか。
「その人がどんな人かによって、星は別なものになるんだよ」(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
小さな星は、我々の心を可視化した存在だ。
壮大な人生を過ごしているようでいて、我々が生きている星は、自分一人が暮らしていくだけで精一杯の大きさしかなかったのかもしれない。
【キャラクター考察】バラとキツネ、そしてバオバブが象徴するもの
こうして読んでいくと、彼(王子)の周りに登場するキャラクターたちの役割が、少しずつ明らかになってくる。
わがままな「バラ」の正体|愛着と不器用な人間関係
プライドの高いわがままな「バラ」は、彼の心を傷つける。
そういうわけでちいさな王子は、本気で花のことが好きだったのに、たちまち相手を疑うようになってしまった。なんでもない言葉を真にうけたりして、とてもふしあわせになってしまったんだ。(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
心から信じあうことの難しさを、バラの花は象徴していた。
だからこそ、彼は、この疲弊した人間関係から逃れたくて、自分の星から逃げ出してしまったのだ。
知恵を授ける「キツネ」│友情と「なじむ(絆を結ぶ)」ことの意味
一方で「キツネ」は簡単にはなつかないものの、少しずつ距離感を縮めていく。
キツネは、人生に迷っている彼を救ってくれる存在だった。
「じゃあ、秘密を教えてあげよう。とてもかんたんだよ。心で見なくちゃ、ものはよく見えない。大切なものは、目には見えないんだよ」(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
『星の王子さま』屈指の名言として知られる「大切なものは、目には見えないんだよ」は、キツネが与えてくれたものだった。
バラの花の美しさとは違って、キツネとの友情を目にすることはできない。
少しずつ育んだキツネとの絆を通して、王子(=ぼく)は「目に見えないもの」の大切さを学んだのだ。
星を破壊する「バオバブの木」│心に巣食う小さな悪意
小さな星を破壊する「バオバブの木」は、心に巣食う「悪意の芽」として読むことができる。
どんな人の心の中にも「バオバブの木」はあった。
もしかすると、それは放っておくことで、巨大な戦争にまで発展してしまうものだったかもしれない。
このあたりの考え方は、ドストエフスキーの長編『悪霊』にもつながる思想を感じる。
ドストエフスキーの『悪霊』については、別記事「ドストエフスキー『悪霊』解説|村上春樹が認めた「総合小説」の謎を解く」で詳しく解説しています。
小さなうちは分からないけれど、大きくなってしまってからでは、始末するにも手遅れになってしまう、心の中の悪意。
だからこそ王子は、「ぼく」から「ヒツジ」を手に入れたのだ。
大人になった「ボク」の心に潜む「バオバブの木」を取り除くために。
【最大の謎】ちいさな王子はなぜ「死(ヘビに噛まれること)」を選んだのか?
物語のラストシーンは謎に満ちている。
運んでいくことのできない「重すぎる体」
物語の語り手「ぼく」との交流を深めたちいさな王子は、「ぼく」の飛行機の修理が完了したことを見届けて、遠くへ去っていく。
「わかるでしょう。遠すぎるんだよ。あそこまでこの体を運んではいけない。重すぎるんだよ」(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
飛行機の修理が完了したということは、「ぼく」が大人の世界へと戻っていくことを意味している。
そこは「ちいさな王子」が生きていくことのできない世界だ。
ちいさな王子は、どこへ行っったのか?
ちいさな王子は、どこへ行ってしまったのだろうか?
でも、王子が星に戻って行ったんだということは、よくわかっている。なぜなら、夜が明けてみると、王子の体はどこにも見つからなかったからだ。(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
ちいさな王子は、彼がやってきた星へと戻っていったのだ。
つまり、「ぼく」の心の奥底深くに潜んでいる、深層心理という名の「星」の中へ。
ヘビがもたらした「死」は悲劇なのか、帰還なのか
ヘビがもたらした「死」を悲観的に考える必要はない。
なぜなら、星へ戻ったことによって、ちいさな王子は、これからも「ぼく」の心の中に留まり続けているからだ。
「ぼくの星はきみにとって、たくさんある星のうちの一つ。それならきみはきっと、どの星を見ても嬉しくなると思うんだ……。どの星もみんな、きみの友だちだよ」(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
ちいさな王子の星も、うぬぼれ屋の星も、地理学者の星も、すべては彼(ぼく)自身の星だ。
自分の中の葛藤を抱えたままで、彼は生きていかなければならない。
大人の世界へ戻っていく「ぼく」と別れて、彼は心の奥深いところで、今も「バラ」と一緒に暮らし続けているはずだ。
『星の王子さま』が伝えているメッセージを読み解く
本作『ちいさな王子』は、大人になった自分自身への励ましの物語である。
サン=テグジュペリの実体験がモデル
本作『ちいさな王子』は、作者(サン=テグジュペリ)の実体験がモデルになっていた。
飛行機の操縦士だった彼は、リビア砂漠に不時着して、生死の境をさまよっている。
「友だちになってよ、ぼく、ひとりぼっちなんだ」「ひとりぼっちなんだ…… ひとりぼっちなんだ…… ひとりぼっちなんだ……」とこだまがこたえた。(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
孤独の中で彼は、自分の中の自分自身と向き合っていたに違いない。
「ぼくはぼくのバラに責任がある」の真意
臨死体験の中、彼の心は常に「バラの花」から離れることがなかった。
ちいさな王子の「バラの花」は、この物語のもう一人の主人公と言っていい。
「ぼくはぼくのバラに責任がある……」ちいさな王子は、忘れないようにくりかえした。(サン=テグジュペリ「ちいさな王子」野崎歓・訳)
「ぼくはぼくのバラに責任がある」からこそ、彼は必死で生き続けなければならなかった。
ちいさな王子が小さな星へと戻っていったのと同じように。
なぜ大人は『星の王子さま』に感動するのか?
児童文学でありながら、本作『ちいさな王子』は、大人の心に潜む葛藤を描いた物語でもある。
少年の日に思い描いていた未来とは異なる現実に、誰もが失望していた。
「ちいさな王子」は、少年の日の希望である。
大人になった自分の中の「少年」を確認するために、大人はこの物語を読み返すのだ。
そして、自分の中の「ちいさな王子」が失われていないことを知って、少しは安心するかもしれない。
それだけのことで僕たちは、大人になったこの世界を生き延びていくことができるのだから。
まとめ│大人になった僕たちへ
本作『ちいさな王子』は、少年の日の「僕たち」から、大人になった「僕たち」へと届けられた、懐かしい手紙のような物語だ。
そして、少年の日の僕たちは、大人になった僕たちの中で、今も静かに生き続けている。
小さな星の小さな火山を掃除して、プライドの高いバラの花と一緒に暮らしながら。
僕たちは、自分の中の「小さな星」を決して忘れてはいけない。
小さな火山と小さなバラしかない小さな星も、それは僕たちにとって大切な星であることに違いはないからだ。
むしろ、この「小さな星」で、大人になった僕たちは生きていけなければならない。
伸び続けるバオバブの木と戦いながら、自分だけのキツネを探して。
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