「♪今夜だけでもシンデレラボーイ~」なんていう曲で女子高生がバブリーダンスを踊り、1980年代がにわかに脚光を浴びたのは、まだコロナ前だった2017年(平成29年)のこと。
久しぶりに荻野目洋子の踊っているところをテレビで観たけれど、その活躍も予定どおり一瞬だった。
まあ、一瞬とはいえ、1980年代のヒット曲が2010年代に復活するっていうのがすごいことなんだけどね。
厚生年金会館の最前列センターで観た荻野目洋子
ハナからトレンドと関係ないところで生きている自分は、80年代の復活とかなんとかとは関係なく、ひたすらバブリーなダンスミュージックを聴き続けている。
荻野目洋子なんて、やっぱり最高だね。
北海道厚生年金会館でナマの荻野目ちゃん観たのは1986年(昭和63年)で、あのときは最前列センターという最高のポジションニングだったんだよなあ。
ユーミンのチケット買うのに徹夜で並ぶっていう友だちに頼んで買ってもらったチケットが最前列のセンター。
友だちのユーミンは2階席だったっていうから、ちょっと申し訳ないような気持ちになったけれど、当時の荻野目ちゃんは、そんなに気合い入れずともチケット取れるくらいのアイドル歌手だったのだ。
なにしろ、持ち歌はヒット中の「ダンシング・ヒーロー」くらいで、1時間ちょっとのコンサートで2回も歌ってたんだから。
みんな「ダンシング・ヒーロー」聴きに、厚生年金まで行ってたみたいもんだよね。
当時のライブ(というかコンサート)は昼と夜の二部制で、1時間で終わったときには、さすがに当時としても「早すぎじゃね?」なんて思ったもんだ。
それでも、あの頃はレコード買うくらい、荻野目ちゃんが好きだったからね(理由はたぶん髪が短かったからって、なんだ、そりゃ)。
いちばん好きだったのは、1986年(昭和63年)発売のミニ・アルバム『ハートビート・エクスプレス』。
全6曲入りで、シングル「Dance Beatは夜明けまで」が収録されていた。
あの夏は、本当にノリノリで荻野目ちゃん聴きまくってたからね(まあ、当時はまだティーンエイジャーだったし、一応)。
こうして振り返ってみると、自分にとって、1986年(昭和63年)というのは、「荻野目ちゃんの86年」でもあったんだなあ。
荻野目洋子で本当に一番良い曲は「ユア・マイ・ライフ」
今も、週末になると、荻野目ちゃんのバブリーなダンス・ミュージックを聴いている。
もちろん、サブスクで。
Apple Musicのプレイリストには、「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」「フラミンゴ in パラダイス」「Dance Beatは夜明けまで」「六本木純情派」「湾岸太陽族」「ストレンジャーtonight」「スターダスト・ドリーム」「湾岸ハートブレイク」と、当時のノリノリな曲がたっぷり。
別にディスコとか好きじゃなかったけど、荻野目ちゃん聴くと、バブル時代の女の子のこととか、思い出すんだよなあ。
あんまり感傷に浸ってると仕事にならないので、荻野目ちゃんのバブル・ビートな懐メロ聴くのは週末限定にしてるんだけど。
ただ、ひとつ言っておく必要があるのは、荻野目洋子の作品で本当に一番良い曲は「ユア・マイ・ライフ」だっていうこと。
しっかりと聴かせる曲で、忙しい毎日に疲れたときに、この曲を聴いたりなんかすると、なぜかほろりとさせられてしまう、謎の名曲だ。
原曲がPATTY RYAN の「YOU’RE MY LOVE,YOU’RE MY LIFE 」だっていうのはガセだけどね(それは長山洋子の「ユア・マイ・ラブ」)。
何にしても、7cmのシングルCDは、今も昔も永久保存版だ。