芥川龍之介『羅生門』は、近代社会の闇を描いた物語である。

平安時代の物語が、なぜ近代社会へと繋がっていくのか?

この記事では『羅生門』の時代背景やあらすじを整理するとともに、主人公・下人の心境変化を検証しながら、この物語が伝えているメッセージを読み解いていきたい。

『羅生門』時代設定

本作『羅生門』では、平安時代末期の京都が舞台となっている。

それは、地震や辻風、火事、飢饉などにより都が荒廃し、庶民が大変苦しい生活を強いられている時代だった。

この厳しい時代を、どのように生き延びるかということが、この物語の重要な背景となっている。

『羅生門』主な登場人物

下人
失職したばかりの若者。右頬のにきびを気にしてばかりいる。

老婆
死体置き場と化した羅生門の二階で、若い女の死体から髪の毛を抜いている。

若い女の死体
生前、蛇を干し魚と称して売っていたが、病気で亡くなり、羅生門に捨てられた。

『羅生門』簡単なあらすじ (ネタバレ要約)

秋雨の降る、ある日の夕暮れ、平安京にある羅生門の前に、失職したばかりの若者(下人)がたたずんでいた。

荒廃した都で、羅生門は死体の捨て場所となっている。

行くあてもなく若者は、このまま飢え死にするか、盗人となって生き延びるか、決めかねているが、ともかく一夜の宿を求めて、羅生門の二階へと上がったところ、そこで恐ろしい光景を目撃してしまった。

松の明かりのもと、一人の老婆が、若い女の死体から髪の毛を一本一本抜き取っていたのである。

激しい憎悪にかられた彼は、老婆に刀を突きつけて、何をしているのかと問い質した。

老婆は「かつらを作るために、女の髪の毛を抜いているのだ」という。

老婆の言うところでは、「この女は生前、蛇を干し魚と称して売っていた悪人なので、髪の毛を抜かれたところで文句はあるまい」とのことだった。

老婆もまた生き延びるために、死体の髪の毛を抜いていたのだ。

その話を聞いた若者は「それでは俺が生き延びるために、おまえの服を剥いでも文句はないな」と言って、老婆の服を剥ぎ取って逃げてしまう。

その後、若者の行方は知れない。

【考察】下人の心情変化を読み解く

この物語を読み解くためには、主人公である若者(下人)の心情変化に着目する必要がある。

失職した彼は、このまま飢え死にするか、生き延びるため盗人になるかで悩んでいたが、老婆が若い女の死体から髪の毛を抜き取っているのを目撃したとき、激しい怒りにかられ、「餓死してもかまわない」と憤る。

しかし、老婆の口から「生き延びるため」という平凡な理由を聞いたとき、彼はがっかりとして、先ほどの憎悪を忘れてしまう。

そして、「この女は悪人だから、自分の行為も許されるのだ」という彼女の言葉を聞いた瞬間、彼は追剥へと豹変し、老婆に襲いかかる。

盗人になるだけの覚悟を持たない若者の背中を押したのは、老婆の利己的な一言だった。

面皰(にきび)とサンチマンタリスム

①「にきび」が象徴するもの

若者の勇気のなさは、右頬にできた「にきび」に象徴されている。

ある意味で「にきび」は、彼にとって善意の象徴だった。

「不意に右の手を面皰から離したとき」に、彼が追い剥ぎへと変貌するのは、決して偶然ではない。

老婆の自分勝手な理屈が、彼の気を奮い立たせ、もはや「にきび」のあることさえも忘れさせたのである。

②「サンチマンタリスム」が意味するもの

「秋雨の降る夕暮れ」という舞台背景も、若者の「Sentimentalisme(サンチマンタリスム)」に影響していた。

昼と夜の境目である夕暮れは、生と死との境界線でもある。

しかし、雨を逃れて羅生門の中へと足を踏み入れたとき、そこは既に「死の世界」だった。

死体の転がる「自分自身の暗闇」の中で、彼は老婆と対峙しなければならない。

言ってみれば、そこは、剥き出しになった彼のエゴだったのだ。

意識を取り戻した老婆が門の下を覗きこんだとき、外には「ただ、黒洞々としたる夜があるばかり」とあるのは、そこが「若者の(あるいは自分の)エゴ」であることを象徴している。

彼女は門の外に「人間という暗黒」を見ていたのかもしれない。

『今昔物語集』との違いが意味するもの

もともと、この物語は『今昔物語集』に収録された説話のひとつだった。

芥川龍之介は、若い女の死体に「生前の罪」を重ねるとともに、主人公・下人の葛藤を脚色することで、この物語を「平安時代の昔話」から「近代社会への批判」へと昇華させたのである。

原作では「プロの犯罪者」だった主人公を、「善と悪の狭間で迷う若者」へと設定することにより、『羅生門』は一般の読者が向き合うべき普遍的な葛藤となった。

『羅生門』最後の一文が変更された理由

本作『羅生門』の最後の一行は、作品発表後も、作者・芥川龍之介によって修正されたことで知られている。

初出の雑誌掲載時に「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。」だった一文は、作品集『羅生門』出版時に「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働き急いでいた。」となり、次に作品集『鼻』が出版されたときに、現在の「下人の行方は、誰も知らない。」となった。

この修正により、死体置き場の羅生門で「悪人へと再生」した若者は、彼自身の暗闇の中へと消えてしまうことになる。

「行方が知れないところ」に、我々が読み取ることのできない「人間の深層心理の不気味さ」が付与されたと言ってもいい。

「心の闇」を探ることも、また、近代文学に与えられた使命だった。

まとめ│『羅生門』が伝えていること

本作『羅生門』が伝えているのは、途絶えることのない利己主義の連鎖である。

若い女は「客が喜んでいる」ことで自身の行為を正当化し、老婆は「死んだ女が悪人だったから」という理由で、自身の行為を正当化する。

そして、老婆と向き合った若者もまた「老婆が自分の行為を正当化したから」という理由によって、自身の行為を正当化してみせた。

そこにあるのは、正義も正論もない、自分勝手な空論ばかりである。

羅生門を包んだ夕闇は、まさしく「近代社会の闇」そのものだったのかもしれない。

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