川端康成『雪国』あらすじと考察|結末の天の川と「異世界」の真相
川端康成『雪国』は、雪国の温泉町で暮らす女性に惹かれた、中年男性の物語である。
主人公・島村と芸者・駒子とは、実際どのような関係だったのだろうか?
この記事では、本作『雪国』のあらすじを整理するとともに、謎の結末の意味について、独自の視点から考察していきたい。
3行でわかる『雪国』
発端(雪国の汽車と鏡の娘)
雪深い温泉町へと向かう汽車の中で、島村は夕景の窓ガラスに浮かび上がる美しい娘・葉子の瞳と灯火の光に心を奪われる。
事件(温泉街での逢瀬と「徒労」の愛)
逗留先の温泉街で芸者の駒子と再会した島村は、彼女のひたむきな情熱と献身を「徒労」と知りつつ、その純粋さに強く惹かれていく。
結末(燃える繭倉と天の川の虚無)
繭倉の火災で落下した葉子を前に、島村の意識の中へと巨大な天の川が凄まじい音を立てて流れ落ちていく。
『雪国』簡単なあらすじ(要約)
親の遺産で定職も持たず、西欧の舞踊研究などで無為に暮らす有閑知識人の島村は、初冬の汽車に乗って越後湯沢の温泉街を目指していた。夕暮れの車中、彼は窓ガラスに映る夕景の中に、病気の男に付き添う美しい娘・葉子の瞳が重なり合う幻想的な光景に目を奪われる。
温泉宿に逗留した島村は、以前訪れた際に出会った芸者・駒子と再会を果たす。駒子は病に冒された許婚・行男の医療費を工面するために芸者へ身を落としながらも、几帳面に読書日記を付け、ひたむきに純粋な心を保ち続けていた。島村は彼女の情熱や懸命な生き方を「徒労」であると冷徹に見つめながらも、その報われない姿にこそ至高の純粋美を見出し、逢瀬を重ねていく。
しかし、駒子の一途な愛情が深まるほど、家庭を持つ島村の傍観者的なニヒリズムは際立ち、二人の隔たりは埋まらない。駒子とは対照的な葉子の存在も影を落とすなか、島村が温泉町を去ろうとする夜、村の繭倉で火災が発生する。
燃え盛る二階から地面へと落ちてきた葉子の身体を抱き起こして狂乱する駒子。その光景を前にした島村の頭上には、冷たく澄み切った巨大な天の川が広がり、ガラガラと音を立てて自らの体内へと流れ落ちてくるのを感じるのだった。
【考察】『雪国』が伝えていること
本作『雪国』は、日本美を描いた抒情的な小説として知られている。
だが、「あらすじ」だけではわからない「隠れた物語」を、この作品からは読み取ることができる。
①「雪国」とは何か?
『雪国』は、妻子ある中年男性・島村が、東京から遠く離れた「雪国の温泉町」を訪れる物語である。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という冒頭の有名な一文は、いかにも、主人公が新しい世界へと入りこんでいく様子を描き出している。
つまり、この作品は、東京の男性が「雪国という異世界」へ迷いこんでしまう、パラレルワールド物語だったのだ。
しかも人物は透明のはかなさで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。(川端康成『雪国』)
夕闇に映る夜汽車の窓ガラスや、温泉宿の鏡の中には「もうひとつの世界」がある。
あの夕景色の鏡や朝雪の鏡が、人工のものとは信じられなかった。自然のものであった。そして遠い世界であった。(川端康成『雪国』)
その「もうひとつの世界」を描いた作品が、本作『雪国』だった。
東京での日常に満足できない男性の心理的逃避が、あるいは「雪国」を生み出したのかもしれない。
②「駒子」の役割
ところが、異世界へ迷いこんだ主人公・島村の内面は、作中でほとんど描かれていない。
物語の軸となっているのは、彼が惚れこんだ芸者・駒子の心理描写である。
考えてみると、駒子の生きる「雪国」において、主人公の島村こそが「異世界からの侵入者」だった。
島村の登場によって「雪国」という閉鎖的な空間で生きる駒子は、自分の人生を見つめ直すことができる。
「泣いたわ。うちへ帰ってからも泣いたわ。あんたと離れるのこわいわ。だけどもう早く行っちゃいなさい。言われて泣いたこと、私忘れないから」(川端康成『雪国』)
つまり、この小説の本当の主人公は、芸者・駒子だったということなのだろう。
駒子は、異世界からの侵入者・島村との交流の中で、自分という存在を確かめつつあったのである。
③「葉子」とは誰か?
むしろ、この物語で最大の謎は「葉子」の存在である。
島村の心は、駒子と葉子との間で揺れ動いていたのだろうか?
おそらく、答えは「ノー」だ。
島村は、葉子の中に駒子を見出し、駒子の中に葉子を見出していたのである。
なぜなら、「葉子」は「駒子」の分身として描かれているからだ。
表面からは見ることのできない駒子の内面が、葉子の中にはある。
つまり、ここにも「鏡の中と外」という二つの対称的な世界が構築されていたのだ。
駒子の叫びが島村に聞えた。「この子、気がちがうわ。気がちがうわ」(川端康成『雪国』)
本当に壊れそうだったのは、「気がちがうわ」と叫んだ駒子自身の心だった。
駒子は、島村を通して自身の内面を探りつつ、葉子の中に自分の内面を映し出していたのだろう。
④「火事」という結末の意味
「雪国」は、主人公・島村が生み出した仮想の異世界である。
駒子との関係が、これ以上ないところまで進んだとき、島村はもはやこの「異世界」に留まることはできなかった。
繭倉の火災は、「雪国」という異世界の破綻を示唆している。
一目で失神していると分った。(略)新しく燃え移ってゆく火と古い燃えかすに起きる火との中程に落ちたのだった。(川端康成『雪国』)
葉子が落ちた場所は「新しい火(生)」と「古い火(死)」との境界線である。
それは、島村が生きる「あちら側の世界」と、駒子が生きる「こちら側の世界」との境界線でもあったに違いない。
つまり、島村の創りあげた「雪国」は、「死」を象徴する世界でもあったということだ。
「天の河」は異世界の象徴である。
ああ、天の河、島村も振り仰いだとたんに、天の河のなかへ体がふうと浮き上ってゆくようだった。(略)島村は自分の小さい影が地上から逆に天の河へ写っていそうに感じた。(川端康成『雪国』)
巨大な反射鏡として機能している「天の河」は、やがて島村が戻るべき「あちら側の世界」だった。
繭倉の火災は、この「天の河」の下で起き、葉子はこの「天の河」の下に失神するのである。
「さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちた」とき、島村は、もはや異世界の住人ではいられなかった。
駒子は島村のいない世界で、葉子という「もう一人の自分」を抱いて、生き続けていかなければならなかったのだ。
【解説】駒子の実在モデル
本作『雪国』は、作者・川端康成の実体験を素材として創られたフィクションである。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という出だしの「トンネル」は上越国境の清水トンネル、したがって「雪国」は越後(新潟県)で、温泉場は湯澤です。(川端康成「『雪国』について」)
川端康成は、越後湯沢にある「高半」という温泉旅館の二階「かすみの間」で、本作『雪国』を執筆した。
「かすみの間」は、小説の中では「椿の間」として登場している。
「駒子」には、実在モデルの存在があった。
モデルがあるという意味では駒子は実在するが、小説の駒子はモデルといちじるしくちがうから、実在しないと言うのが正しいのかもしれぬ。島村は無論私ではない。(川端康成「『雪国』の劇化」)
ヒロイン「駒子」のモデルとなったのは、温泉芸者・小高キク(芸名は松栄)である。
小高キクについては、和田芳恵『おもかげの人々─名作のモデルを訪ねて』(1955)に詳しい取材がある。
きくは、川端康成という人を、「あの方は、これまで知った多くの人たちから感じられない独特な雰囲気を持っていました。川端さんに黙っていられると、なんでも見透かされるように思われ、気がつまってきて、どうしても、いらいらしてくるんです」と言いました。(和田芳恵『おもかげの人々─名作のモデルを訪ねて』)
作者・川端康成は「小高キク」という女性をモデルとして、小説の中の「駒子」を創りあげたらしい。
『雪国』の駒子にしたところで、あの女があのまま実在するなどと思ったら大間違いである。(川端康成「作家に聞く」)
『雪国』のヒロインとして有名になった「小高キク」を訪ねる人も多かったが、「駒子」のイメージと違うので、がっかりして帰る人もあったという。
それでも、川端康成の日記には、「駒子」との交流が記されている。
十月二日 朝、七時ごろに起される(註、駒子が来て)。夜、駅まで行く、宴会の後で。(川端康成「『雪国』の旅」)
「駒子」は『雪国』という小説の中でだけ生き続けることのできる、幻のヒロインである。
あるいは、作者・川端康成にとってさえ、『雪国』は「幻想の異世界」だったのかもしれない。
まとめ│日本の美から生まれた異世界譚
本作『雪国』は「日本の美」から生まれた異世界譚である。
あまりにも美しすぎるその世界観は、世界各国で翻訳出版されて、川端康成がノーベル文学賞を受賞する大きな源となった。
日本の近現代文学を代表する作家・川端康成の、その代表作が、まさにこの『雪国』なのだ。
つまり、『雪国』は「日本の近現代文学を代表する作品」と言って間違いがない作品である。
我々に求められているのは、この歴史的名作の中から「何を発見するか」ということではないだろうか。
本作『雪国』は「新しい発見」を与え続ける小説である。
新しい時代の、新しい『雪国』を、我々は読み続けていかなければならないのだ。
***
文学ブログ『時空標本』では、近代文学の紹介に力を入れています。
詳細は、次の記事からご覧ください。
▶ 日本近代文学の名作おすすめ50選|中高生・初心者でも楽しめる傑作を徹底解説
