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ヘレーン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」イギリス文学が築いた友情

ヘレーン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」イギリス文学が築いた友情

ヘレーン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」読了。

本書は、1970年(昭和45年)にアメリカで刊行された書簡集である。

この年、著者は54歳だった。

日本では、1972年(昭和47年)に日本リーダーズダイジェスト社から刊行されたのが最初で、訳者の江藤淳は、この年、40歳だった。

「チャリング・クロス街84番地」が、アンソニー・ホプキンス主演で映画化されたのは、1986年(昭和61年)のこと。著者のハンフ役はアン・バンクロフトだった。

人と人との心の交流の温かさ

本書の主軸となっているテーマは、人と人との心の交流の温かさである。

ディテールとしては、大戦直後の社会情勢とか(とりわけイギリスの貧しさ)、アメリカとイギリスとの国民性の違いとか(図々しいアメリカ人と慎ましいイギリス人)、アナログな郵便によるやりとりとか(商品の代価も郵便で受け渡ししていた)、情緒たっぷりの希少な古書とか(蔵書家なら垂涎モノばかり)、若干やり過ぎると思われるくらいの工夫がたっぷりと凝らされているが、本書が伝えるテーマが、人間同士の心の交流であるということに間違いはないだろう。

作中、著者のハンフが古書店に宛てた手紙の中で「私はそもそも、物語ってきらいなのです」と綴っているくだりがある。

Qの好きなものは何でも好きになっちゃうんだわ。作り話(フィクション)は別にしてね。架空の人物の身の上に起こった出来事になんか、ぜんぜん興味をひかれませんので。(ヘレーン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」江藤淳・訳)

実際、彼女は、随筆を中心に、日記や伝記など、人間の生きた記録とも言うべき書物を中心にオーダーしている(後半、ジェイン・オースティンを読むようになるが)。

現代アメリカでテレビドラマの脚本を書いている人間が、「作り話はきらいだ」と主張するあたり、ユーモラスでさえあるが、理想と現実生活との隙間を埋める術を、彼女はイギリス文学に見い出していたのかもしれない。

著者が、人間同士の繋がりに救いを求めていると思われる文章は、随所に散見されていて、殊に、古本との付き合い方には、彼女自身の人生哲学が感じられて興味深い。

例えば、ハンフは、古書店から贈られた古本に「献辞カード」が入っていたことについて、カードではなく「本の見返し」に献辞を書いてほしかったと、礼状の中で綴っている。

私は見返しに献辞が書かれていたり、余白に書き込みがあるの大好き。だれかほかの人がはぐったページをめくったり、ずっと昔に亡くなった方に注意を促されてそのくだりを読んだりしていると、愛書家同士の心の交流が感じられて、とても楽しいのです。(ヘレーン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」江藤淳・訳)

古本愛好家と言えば、とかく美品を求めたがるものだが、この本の著者は、古本にさえ「愛書家同士の心の交流」を求めている。

だから、彼女は、新品同様の美品を入手したときでも、後生の愛書家のために「魅力的な文章に鉛筆で印を付けておこう」などと考えているのだ。

本書が普遍的に支持される作品となっているのは、時代も国境も越えて、透明なくらいに純粋な心の交流が描かれているからだろう。

心を通わせた人間同士の交流

本作最大のポイントは、20年間に及ぶ書簡での交流を持ちながら、ついに著者が現地を訪れることなく物語が終わってしまうという、そのラストシーンにある。

いつかはイギリス文学の地を訪ねたいという希望を抱きつつ歳月を経るうちに、彼女の文通相手だった古書店の店員<フランク・ドエル>が急逝してしまう。

それは、1949年(昭和24年)から始まったヘレーン・ハンフと古書店<マークス社>との交流に、一つのピリオドを打つ出来事となった。

最後に、著者は書簡の中で、こう記している。

何年か前、私の知り合いのある男性が、イギリス旅行をする人は、見ようという目的のものが必ず見られる、って言ったのを覚えています。で、私ならイギリス文学のイギリスが見たいわって言ったら、彼、うなずいて、あるともって言ってたわ。あるかもしれないし、ないかもわからない。今私がすわっている敷物のまわりをながめると、一つだけ確実なことが言えます。イギリス文学はここにあるのです。(ヘレーン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」江藤淳・訳)

どうやら、現地を訪れるよりもずっと確かなものが、20年の歳月を通して築き上げられていたらしい。

それは、優れた古本の持つ魅力であり、心を通わせた人間同士の友情でもある。

どんなに時代が変わっても、人間が人間として生きているかぎり、こうした心の交流が失われることは、きっとないだろう。

書名:チャリング・クロス街84番地
著者:ヘレーン・ハンフ
訳者:江藤淳
発行:2021/4/25
出版社:中公文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。