庄野潤三「バングローバーの旅」読了。
「バンクローバーの旅」は、1955年(昭和30年)4月、「文芸」に発表された短篇小説である。
作品集としては、『バングローバーの旅』(現代文芸社/1957)のほか、『佐渡』(学習研究社/1964)にも収録されている。
ある日、主人公・佳子のところへ、女学校時代の友人・ミミコから航空郵便が届く。
ミミコは、米軍の獣医大尉として働いていたアメリカ人と結婚し、現在はアメリカのハンフォードで暮らしているという。
ちなみに、ハンフォードについて「彼女が前に読んだアメリカのW・Sという作家の短篇小説の中に出て来た町なのだ」とあるのは、ウイリアム・サローヤンの「わが名はアラム」のことである。
彼女の夫はウォルター・バングローバーという名前で、したがって「バングローバーの旅」というこの作品名は、バングローバー氏の旅(あるいはバングローバー家の旅)、という意味を示している。
ウォルターは獣医として開業したいという希望を持っていたが、まだ経験が足りないため、現在は政府の衛生の嘱託のような仕事をしているらしかった。
この学生時代の友人と、佳子は頻繁に手紙をやり取りするようになるが、手紙の中でミミコは、何度も「日本に帰りたい」と書いていた。
しかし、子ども二人を連れた家族が、アメリカから日本まで移動して、そのうえ、日本で暮らしてゆくということは、経済的なことを考えても、決して簡単なことではなかった。
ミミコの話によると、日本で米軍の軍人と結婚してアメリカへ渡った戦争花嫁のほとんどが、悲惨な生活を強いられているということだったが、彼女たちに比べると、ミミコの暮らしはささやかとはいえ恵まれている方だったらしい。
やがて、ウォルターは意を決して日本への移住を決意し、住宅を売却して必要な資金を用意することになったと、ミミコからの連絡が来る。
同じころ、日本では、佳子の夫が東京の支店へ転勤することが決まり、佳子一家も東京への急な移転をすることになった。
丁度、その頃、佳子の夫は東京の支店へ転勤することが決ったので、大急ぎで家を見つけなければならなくなった。夫はそのために上京したが、恰好な売家はなかなか急に見つかるわけはなし、結局は無理しても新しく建てた方がいいという友人たちの一致した勧めで、通勤にはかなり不便ではあるけれども地所の値段がまだ安いSに土地を買って建築にかかることにしたのだった。(庄野潤三「バングローバーの旅」)
これは、もちろん、庄野一家が大阪から東京の石神井公園へ引越しをしたときのエピソードのことだろう。
やがて、バングローバー一家は念願の日本移住を実現するが、果たして、日本での暮らしは、彼らが思い描いていたようなものとは違っていた。
かつてウォルターが日本に滞在していたときは、米軍の関係者ということで様々な便宜を図ってもらうことができたが、今度は、日本に職を求めてやってきた身の上である。
日本で仕事を見つけることは簡単ではなく、想像以上に物価の高い暮らしに、ウォルターは絶望してしまったらしい。
バングローバー一家は、日本での生活をあきらめて、アメリカへ帰ろうと考えていた。
大阪から東京へ移住してきた「庄野家の旅」
この小説は、日本への移住を夢見るバングローバー一家が、ささやかな暮らしの中で移住資金を用意して日本へやって来るという物語だが、その対になっているのが、日本国内における佳子一家の東京移転の話である。
体裁としては、バングローバー家のアメリカから日本への移住がテーマではあるものの、時折差しはさまれる佳子の東京移転のエピソードが浮かび上がるところに仕掛けがあると言える。
佳子たちの家族は、東京へ引越して来てからまる一年になった。最初の内は育って来た関西とあらゆる点で違うので、佳子はどうしてもこの都会に馴染むことができなかった。彼女は買物に行った先で、関西弁をよく笑われた。土地の小学校へ通っている長女は、学校ではすっかり東京言葉になっているらしいが、家に帰って来ると元へ戻った。(略)大阪にいた時は街中の静かなところに住んでいたが、ここへ来てからは不便な田舎の畑の真中にポツンと淋しく暮して、夫の帰りの遅い夜などは本当に泣き出したくなるくらい恐かった。一年たつが、彼女にはどうしてもこの都会は親しめなくて、彼女は少し意固地に関西の言葉を変えようとしなかった。(庄野潤三「バングローバーの旅」)
庄野一家が大阪から東京の石神井公園へ移住したのは、昭和28年の秋である。
昭和30年頃の石神井公園は「不便な田舎の畑の真中にポツンと淋しく暮して、夫の帰りの遅い夜などは本当に泣き出したくなるくらい恐かった」暮らしだったことが伺える。
何より重要なことは「一年たつが、彼女にはどうしてもこの都会は親しめなくて、彼女は少し意固地に関西の言葉を変えようとしなかった」と綴られているように、佳子が東京での生活に馴染めていないという部分で、これは、おそらく、当時の庄野夫妻の気持ちを表現しているのではないだろうか。
「バングローバーの旅」は、バングローバー氏、あるいは、バングローバー一家の、アメリカから東京までの旅行を書いた物語だが、もう少し広く考えると、「旅」とは、バングローバー氏の人生そのものであると考えることもできる。
米軍の一員として日本に滞在して、日本の女性と結婚し、帰国後は獣医を開業する。
大きな邸宅を持つが、やがて、すべての資産を売却して日本へやって来る。
ところが、日本での暮らしは想像とは異なっており、彼らは再びアメリカへ帰ることを決意する。
こうしたバングローバー氏の生き方そのものを「旅」と考える方が、この小説は理解しやすいのかもしれない。
そして「バングローバー氏の旅」と対を成す形で描かれているのが、日本で暮らす「佳子一家の旅」、つまり「庄野潤三一家の旅」だ。
東京支社への転勤という形ではあったが、小説家を志して上京した庄野さんの人生が、バングローバー氏の人生によって浮き彫りにされているのが、この「バングローバーの旅」という作品である。
少なくとも僕はそのように読んだ方が楽しいし、むしろ、そのように読むことこそ、この小説を理解する重要なポイントだと思った。
折りしも、練馬区立石神井公園ふるさと文化館では、特別展「生誕100年記念 作家・庄野潤三展――日常という特別」が開催中である。
石神井公園時代の庄野さんの作品に触れてみる、良い機会かもしれない。
書名:佐渡
著者:庄野潤三
発行:1964/11/20
出版社:学習研究社・芥川賞作家シリーズ