読書体験

【偏愛解説】庄野潤三「星に願いを」充実した人生の結実を示すたくさんの思い出

庄野潤三「星に願いを」充実した人生の結実を示すたくさんの思い出

庄野潤三『星に願いを』読了。

本作『星に願いを』は、2006年(平成18年)3月に講談社から刊行された長篇小説である。

この年、著者は85歳だった。

初出は、2005年(平成17年)1月~11月『群像』。

「夫婦の晩年シリーズ」最終章

本作『星に願いを』は、「夫婦の晩年シリーズ」最後の作品である。

夫婦の晩年をテーマにした小説をえんえんと書き続けている。これは新潮社から出た『貝がらと海の音』に始まり、「波」に連載された『けい子ちゃんのゆかた』に続く。『けい子ちゃんのゆかた』が十作目だから、十年経ったことになる。(庄野潤三「星に願いを」)

そして、本作『星に願いを』が11作目の作品になった。

シリーズの全作品を並べると、次のようになる。

①貝がらと海の音(1996)
②ピアノの音(1997)
③せきれい(1998)
④庭のつるばら(1999)
⑤鳥の水浴び(2000)
⑥山田さんの鈴虫(2001)
⑦うさぎのミミリー(2002)
⑧庭の小さなバラ(2003)
⑨メジロの来る庭(2004)
⑩けい子ちゃんのゆかた(2005)
⑪星に願いを(2006)

この間、ほぼ途切れることなく、庄野夫妻の(夫婦の晩年の)日常が、作品として描かれることになった。

本作は「ハーモニカ(三月十日)」から始まる。

庄野文学のヒロイン(フーちゃん)は、高校生になっている。

フーちゃんは今では近くの、これも丘の上に建った生田高校の生徒である。入学式のあった日、高校の制服を着てフーちゃんが学校の帰りに私たちの家に寄ってくれた。(庄野潤三「星に願いを」)

「宝塚の一日(四月二日)」では、宝塚90周年記念公演『飛翔無限』を観劇している。

一時半開演。プログラムの第一部の春日野八千代と松本悠里のコンビによる宝塚九十周年の祝舞がとてもよかった。(庄野潤三「星に願いを」)

宝塚90周年記念公演『飛翔無限』は2004年(平成16年)の演目だから、このエピソードは、2004年(平成16年)4月2日のものだと考えていい。

さらに、「四月九日」には『メジロの来る庭』が登場している。

『文学界』に一年間連載した「メジロの来る庭」が本になって、出版の川田さんが届けてくれる。(庄野潤三「星に願いを」)

夫婦の晩年シリーズ9作目となる『メジロの来る庭』は、2004年(平成16年)4月に文芸春秋から刊行されている。

「四月二十日」には、『メジロの来る庭』重版の知らせが届いた。

重版というだけでうれしいのに、しかも「二千部」という。重版といえば、普通は千部。五百部というときもある。それが二千部というから驚いた。今月出たばかりの本である。よほど売れゆきがよかったのだろう。(庄野潤三「星に願いを」)

『メジロの来る庭』重版のエピソードから、作者は「夫婦の晩年シリーズ」を振り返っていく。

「新潮45」に発表して、新潮社から本になった『貝がらと海の音』がその第一回であった。その後、休みなしに続けて、「文学界」に去年一年連載した「メジロの来る庭」が九作目となる。(庄野潤三「星に願いを」)

「小沼丹全集(四月二十一日)」では、未知谷から刊行される『小沼丹全集』に触れられている。

未知谷から小沼の全集が出ることになっていたが、高松さんから全集の内容見本が届いた。監修は三浦哲郎と吉岡達夫と私の三人。(略)編集には、小沼のいちばんの教え子であった大島一彦君の名前が出ている。(庄野潤三「星に願いを」)

未知谷の『小沼丹全集』(全4巻+補巻1巻)は、2004年(平成16年)6月に刊行が始まった。

ここまで連載は既に「第六回」で、「ハーモニカ(三月十日)」から「益膳の会(四月二十二日)」まで、非常にゆっくりとしたスピードで(作品中の)時間が流れていることが分かる。

第七回の「五月十一日」には、講談社文芸文庫版『ピアノの音』が登場した。

午後、二時半に講談社文芸文庫の長田道子さん、今度文芸文庫に入った『ピアノの音』を十冊届けてくれる。(略)『ピアノの音』は、はじめ「群像」に連載したもので、講談社から本になって出た(一九九七年)。それが今度、文芸文庫に入った。(庄野潤三「星に願いを」)

講談社文芸文庫版『ピアノの音』は、2004年(平成16年)5月の刊行だが、『ピアノの音』から「夫婦の晩年シリーズ」を振り返る中で、なぜか『けい子ちゃんのゆかた』が出てくる。

夫婦の晩年をテーマにした小説をえんえんと書き続けている。これは新潮社から出た『貝がらと海の音』に始まり、「波」に連載された『けい子ちゃんのゆかた』に続く。『けい子ちゃんのゆかた』が十作目だから、十年経ったことになる。(庄野潤三「星に願いを」)

『けい子ちゃんのゆかた』は、2004年(平成16年)1月~12月『波』に連載された作品で、単行本は2005年(平成17年)4月に新潮社から刊行されているから、「波に連載された」とあるのはおかしい(正しくは「『波』に連載中」)。

もっとも、本作『星に願いを』の連載は、2005年(平成17年)『群像』なので、作品発表時『けい子ちゃんのゆかた』は確かに出版されていた、という整理もできるかもしれない。

「第十回」の「六月八日」には、再び『小沼丹全集』が登場。

未知谷で小沼丹全集が刊行されることになり、監修者に三浦哲郎、吉岡達夫とともに頼まれてなっていたが、このほど出来上がった第一巻を届けてくれる。未知谷の高松さんと編集委員のワセダの大島さんのお二人。二時半に来る。(庄野潤三「星に願いを」)

この「第十回」は、ほぼ全編が「小沼丹の思い出」に当てられていて、小沼丹のファンにも重要な場面だろう。

連載最後の「第十一回」は、「浜木綿咲く(六月二十二日)」によって幕を閉じた。

2004年(平成16年)3月10日から6月22日までの、まるまる三か月の物語だった。

もちろん、「夫婦の晩年シリーズ」は、『貝がらと海の音』で描かれた「1994年(平成6年)9月」から連綿と続く、庄野家の物語である。

1994年(平成6年)から2004年(平成16年)における庄野家の歴史が、そこには綴られている。

これは、もはや「大河小説」であり、一族の隆盛を題材とする「歴史書」でさえある。

ポイントは、それが、庶民の歴史書であり、庶民の大河小説だったということだ。

歴史に名を残した人物の評伝とは違って、そこに大きなドラマはない。

庄野さんが亡くなったとき、文芸評論家の饗庭孝男は次のようなコメントを寄せた。

日常生活の穏やかな部分を書いていて、いわゆる私小説の枠組みに入る作家だが、材料だけで勝負しているのとは違って、人生に対する透徹した目を持っていた。自分の人生に対する反省が底部にあって、それと誠実に向き合っていたからこそ、日常をどう生きていけばよいのかという問いに示唆を得られ、また、安らぎも得られて深く感銘できた。(饗庭孝男)

ドラマチックな物語ではないからこそ見えてくる「人生のドラマ」。

庄野潤三という作家が生涯を通して書き続けようとしていたものが、それだったのかもしれない。

充実した人生を支えてきた日々の思い出

2004年(平成16年)の庄野さんは83歳になっている。

10年前の73歳のときに書かれたシリーズ一作目『貝がらと海の音』(1994)と比べると、さすがに大きな変化が見られる。

物語の柱となっているのは、充実した人生を支えてきた日々の、鮮やかな思い出である。

まだ三人の子供が小さかったころ──今の生田の山の上の家に住む前の、東京練馬の石神井公園の麦畑のそばの家に一家五人で暮していたころのことだ。子供三人を連れて映画「ピノキオ」を都内の映画館へ観に行った。(庄野潤三「星に願いを」)

若い頃の庄野さんは映画が好きで、映画評の仕事も多かった。

作品タイトル「星に願いを」は、フーちゃんが所属している生田高校吹奏楽部の定期演奏会で聴いた「星に願いを」と、幼い子どもたちを連れて観に行った「ピノキオ」の映画とが、重ね合わせられたものだ。

子どもたち三人は、最後まで庄野文学の主役であり続けた。

家族と同時並行的に語られているのは、親しかった仲間たちの思い出である。

井伏鱒二さんが「くろがね」開店のときからひいきにしておられた。「くろがね」という店の名も井伏さんがつけられたものだろう。私と小沼丹とは、開店以来の常連客であった。(庄野潤三「星に願いを」)

中心にいるのは、井伏鱒二と小沼丹である。

昔は、ここでよく井伏さんをかこむ飲む会がひらかれた。ワセダの先生方が多かった。仏文の新庄、村上さん、露文の横田さんがいた。ワセダではないが、河盛好蔵さんもメンバーであった。英文の小沼丹。皆さん、よく飲まれた。(庄野潤三「星に願いを」)

飲み会メンバーは、まさにいつものメンバー(いつめん)で、新庄嘉章、村上菊一郎、横田瑞穂、小沼丹、河盛好蔵の名前が並ぶ。

時には、生田の庄野邸(山の上の家)を会場とすることもあった。

生田の山の家へ来てもらって会をひらいたこともよくある。たいがい井伏さんとご一緒に来てもらって飲んだ。妻はいつも牛肉を焼いて出した。井伏さんは牛肉がお好きで、ステーキのお皿を前にして、ゆっくりとナイフで肉を切って召上る。(庄野潤三「星に願いを」)

庄野家で供される牛肉のステーキは「庄野焼き」と呼ばれた。

ワセダのフランス文学の村上菊一郎さんも、こんなときの大事なメンバーであった。村上さんは酔っぱらうと、私の長女の名前を呼んで、「夏子さーん」というのがクセであった。まだ長女が青山学院の生徒であったころの話である。(庄野潤三「星に願いを」)

この印象的なエピソードは、物語の後半にも登場している。

村上さんは酔っぱらって、料理やお銚子を運ぶ役をしている、私の長女の名前を覚えて、「夏子さーん、夏子さーん」と呼んだ。長女は、青山学院の高校在学中であった。(庄野潤三「星に願いを」)

早稲田大学のフランス文学者である村上菊一郎は、未知谷の『小沼丹全集』の編集を担当した大島一彦の随筆にも登場している。

大島さんが「くろがね」のことを書いた随筆には今は亡き村上菊一郎さんが登場する。カウンターに大島さんがいると、離れてカウンターで一人で飲んでいる村上さんが、ときどき、「イッヒッヒ」と笑い声を立てるというところがおかしかった。(庄野潤三「星に願いを」)

大島一彦の随筆は、『寄道 試論と随想』(1999)で読むことができる。

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井伏鱒二は、落ち着いた飲み方が好きだったらしい。

いつか井伏さんをお招きして、飲む会をひらいたことがある。何度かそういう会をこの山の上のわが家でひらいた。(略)書斎のソファーに坐っていた井伏さんが庭の木を眺めて、「庄野君、これはいい梅だね。大切にしないと」といわれた。(庄野潤三「星に願いを」)

井伏鱒二との付き合いは長い。

私の米国留学のための出発の日が近づいたころ、或る日、家のよこに停ったタクシーから井伏さんご夫妻が出て来られてお祝いのかつおぶしを届けて下さった。かつおぶしかきもつけて下さった。(庄野潤三「星に願いを」)

庄野潤三の「ガンビアシリーズ」に登場する「かつおぶしかき」は、井伏鱒二から贈られた餞別である。

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井伏鱒二を紹介してくれたのは小沼丹だった。

小沼とはよく二人で飲みに行った。昔は新宿西口のデパートの入口で待合せて、近くのビアホールでビールを飲んだ。(庄野潤三「星に願いを」)

小沼丹との交流は、名作短篇『秋風と二人の男』(1965)に描かれているとおりだ(作品集『丘の明り』所収)。

「くろがね」が出来るまでは、新宿西口で待合せて地下の小さなビアホールで二人で生ビールを飲む。海老の串やきをとって、これを食べながら、ジョッキを傾けた。二人とも海老の串やきが気に入っていた。(庄野潤三「星に願いを」)

サシ飲みの話題は、他愛ないものだった。

それが夏で、私たち一家が子供を泳がせるために出かけた外房の海岸から帰ったあとであったなら、私の一家が泊った浜べの宿屋のことなど話すと、小沼は、たのしそうに聞き入る。(庄野潤三「星に願いを」)

これは、まさしく『秋風と二人の男』の世界である。

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作品世界と現実世界とが、まっすぐリンクしているところに、庄野文学の特徴がある。

またこの浜辺の町を引上げる日は、いつも町の食堂に入って、カツ丼をみんなで食べた。こういう話を私がすると、小沼はたのしそうにうなずいて聞いていた。間に「ふーん」といっては私の話に聞き入るのであった。(庄野潤三「星に願いを」)

夏の好きな庄野さんにとって海水浴は、欠かすことのできない季節の行事だったらしい。

私たち夫婦は夏になると海水浴の出来る浜べへ行きたくなる。生田から電車に乗って日帰りで茅ヶ崎の海岸へ通ったこともある。(庄野潤三「星に願いを」)

何年か「茅ヶ崎海水浴行き」が続いた後で「蒲郡ホテル」を見つけた。

閑静な、いいホテルで気に入った。ここの浜から海水浴場のある浜まで船が出ていて、三河大島というところへ船は着いた。人手はそんなに多くない浜があった。(庄野潤三「星に願いを」)

これは、短篇『三河大島』(1979)の世界である(作品集『屋上』所収)。

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二年ほど通ったところで「蒲郡ホテル」が営業を辞めたため、阪田寛夫の紹介で「伊良湖ビューホテル」へ行くようになった。

ここならきっと小沼も気に入ってくれるだろうと考えて私が「一しょに行かないか」と小沼に声をかけてみた。それは夏であったが、小沼のいうには、「それは是非行きたいなあ」(庄野潤三「星に願いを」)

小沼丹と一緒に伊良湖ビューホテルへ旅行したことは、良い思い出となっている。

二日目は、私たちは「シーサイド」でなくて、太田さんの用意してくれた小さな個室で食事をした。(略)スープを口に運びながら、小沼は、「いいねえ、庄野」といった。(庄野潤三「星に願いを」)

小沼丹が亡くなったことを誰よりも悲しんだ友人が、庄野潤三だったかもしれない。

栄養をとって動かないものだから、しまいに糖尿になり、命を縮めた。小沼が亡くなったあと、下のお嬢さんが父の思い出を書いた中に、小沼は身のまわりを片づけ、居心地よくしているのが好きだったというのがあったのを覚えている。(庄野潤三「星に願いを」)

小沼丹が亡くなったあと、次女の川中子李花子(かわなごりかこ)の編集により、私家版『馬画帖』が友人たちに配られた。

小沼が亡くなったあと、下のお嬢さんの李花子さんが一冊にまとめた『馬画帖』というのがある。馬の顔と馬のそばにいる男の人ばかり描いたスケッチ集であった。(庄野潤三「星に願いを」)

小沼丹の『馬画帖』に描かれたイラストは、庄野潤三の妻(庄野千壽子)の『誕生日のアップルパイ』の表紙になっている。

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小沼丹は、明るくて陽気な歌が好きだった。

生田の山の上での飲む会では、よく歌が出た。小沼の得意の歌は、「サム・サンデー・モーニング」と「モンパリ」。軽快で明るい曲が好きだった。(庄野潤三「星に願いを」)

作家(庄野潤三)の心の中では、生涯の友(小沼丹)の存在が大きなウェイトを占めていたのかもしれない。

一方で、後輩(阪田寛夫)の出番は少なくなっている。

今日の雪組公演のチケットは、友人の阪田寛夫の長女の内藤啓子ちゃんが世話してくれた。阪田に話したら、啓子ちゃんが引受けてくれた。(庄野潤三「星に願いを」)

「阪田寛夫の長女の内藤啓子ちゃん」は、父(阪田寛夫)の死後、父の回想記『枕詞はサッちゃん』(2017)を出版している。

内藤啓子『枕詞はサッちゃん』長年の夫婦喧嘩と晩年の精神科入院、壮絶な阪田寛夫の人生
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阪田寛夫は、うつ病を発症した後、2005年(平成17年)3月22日に他界。

『枕詞はサッちゃん』によると、2003年(平成15年)頃から体調が悪くなっていたらしいから、『星に願いを』に描かれている2004年(平成16年)あたりは、かなり深刻な状況だったのかもしれない。

野鳥や庭の花々に囲まれながら、庄野さんの晩年は、懐かしい思い出と向き合う日々だった。

充実した晩年とは、つまり、充実した人生の結実ということでもある。

晩年の庄野文学は「人生をどう生きるべきか」ということを、リアルに教えてくれる。

人生の晩年は「晩年」になって初めてスタートするわけではない。

青年期から中年期、壮年期から続くひとつの道が、つまり「人生の晩年」なのだ。

充実した思い出は、庄野さんの晩年を豊かなものにしてくれた。

本作『星に願いを』は、文字どおり、庄野潤三という人生の結実だったのかもしれない。

書名:星に願いを
著者:庄野潤三
発行:2006/03/20
出版社:講談社

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懐新堂主人
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。