マリオ・プーヅォ『ゴッドファーザー』読了。
本作『ゴッドファーザー』は、1969年(昭和44年)3月に刊行された長篇小説である。
この年、著者は49歳だった。
原題は「The Godfather」。
フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ゴッドファーザー』シリーズの原作小説として知られている。
映画の謎を原作小説で解き明かす
ルカ・ブラージは、なぜ、殺されたのか?
ドン・ヴィトー・コルレオーネが放ったスパイ(ルカ)は、約束の場所でブルーノ・タッタリアに呆気なく殺されてしまう。
彼らは、ルカがスパイであることを、どうして見破ったのだろうか?
そもそも、最初にタッタリア・ファミリーへの接触を図ったのは、ルカ・ブラージの方だった。
ルカ・ブラージは数カ月前から、ソッロッツォの配下の者たちと接触していた。彼はドン自身の命令に従ってそうしていたのだった。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
ブルーノ・タッタリアに雇われたコールガールを通して、ルカはブルーノと面会している。
「だが一つだけわかってもらいたいね。俺はゴッドファーザーには決して刃向かわないつもりなんだ」(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
ソッロッツォが現れたのは、ビジネス上のやり取りが2か月あまりも続いた頃だった。
ずる賢いトルコの狐が毛深いしっぽを出そうとしている。ルカはそう思った。ひょんなことから今晩ソッロッツォが行動を起こすかもしれないし、そうなればすべてに決着がつき、ドンへのクリスマス・プレゼントができ上がるかもしれない。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
そして、その夜、ソッロッツォとの面会の場面で、ルカは唐突に殺されてしまう。
ルカは肩をすくめてみせた。「そう、条件さえ充分ならな」ソッロッツォはじっと彼を見つめ、結論に達したようだった。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
おそらく、ソッロッツォは、徹底した調査によって、ルカ・ブラージがドン・コルレオーネからの密偵であることに気が付いていたのだ(「奴らは俺の習慣を知っている、俺のことを探っていたのにちがいない、ルカはそう思った」)。
あるいは「スパイの可能性がある」と考えていただけなのかもしれない。
いずれにしても、彼らにとってルカとの交渉は必要のないものだった。
なぜなら、そのときには既に、彼らは「ドン・コルレオーネ暗殺計画」に着手していたからだ。
罠にハメたつもりで、本当にハメられていたのは、実はルカの方だったらしい。
映画を観てよく分からなかったことも、原作小説を読むことで理解できる。
ソッロッツォとマクルスキー警部を殺したマイケルは、逃亡先のシチリア島で、美しすぎる娘(アポロニア)と結婚する。
マイケルには、ダートマス大学で知り合った最愛の恋人(ケイ・アダムス)がいるのに、なぜ、彼は遠いシチリア島で行きずりの女性と結婚してしまったのだろうか?
マイケル・コルレオーネはといえば、彼は胸をどきどきさせながら、いつの間にかその場に立ち上がっていた。軽い目まいさえ覚えた。血が体内のすみずみまで駆けめぐり、手足の指先がぶるぶる震えるみたいだった。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
アポロニアに対するマイケルの気持ちは、ケイに対する愛情とは異なる性質のものだった。
それは思春期にありがちなやみくもな一目ぼれではなかった。彼のケイに対する愛情、そのやさしさや知性、肌の色の違いなどに基づいた愛情とも異なっていた。それは、圧倒的な所有への欲求だった。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
つまり、マイケルは「美しすぎるアポロニアを自分のものにしたい」という、強い衝動に突き動かされたのだ。
それは、美しい容姿によってのみ得られる欲求だったと言っていい。
大学時代のガールフレンド(ケイ)とは、人間的に分かり合える間柄だった。
互いの長所や欠点を互いに理解し合った上で、彼らは恋人同士という関係を構築していたのだ。
おそらく、彼らは結婚する予定だったに違いない。
しかし、マイケルは、ファミリーのために殺人を犯し、ケイとは違う世界を生きる道を選んだ(「マイキーのことは忘れなさい。あの子は、もう、あなたにふさわしい人間じゃないんです」)。
この逃亡のあいだ、彼は片時たりともケイを忘れたことがなかった。自分は結局のところ殺人者であり、「筋金入り」となったマフィアであるがゆえに、ケイとは二度と恋人に、いや友人にさえなることはあるまいと覚悟していたが、それでも、彼はケイのことを想っていた。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
マイケル・コルレオーネにとってのシチリア時代は、幼虫から成虫へなるための準備期間だったと考えることができる(つまりサナギの時代)。
エリートな好青年(マイケル)は、シチリア島での生活を通して、ドン・ヴィトー・コルレオーネの後継者へと変貌する。
だから、物語にとって、マイケルと結婚したアポロニアの爆死は、ストーリー上の不可欠なものだった。
なぜなら、最愛の妻(アポロニア)を殺されることによって、「ドン・コルレオーネ」としてのマイケル・コルレオーネは完成するからだ。
マイケルにとって、アポロニアの「死」は、本来防げるはずのものだった。
マイケルは目を細めて彼を見下ろした。ここ二、三週間というもの、ファブリッツィオはアポロニアのことを妙に気にしすぎているようだという思いが、彼の胸をかすめすぎた。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
シチリア島でマイケルの護衛役を務めるファブリッツィオは、このとき、既に、タッタリア・ファミリーの手に落ちていた。
自由の国アメリカを夢見るこの若者は、アメリカ行きの切符と引き換えに、マイケルを裏切ったのだ。
それからマイケルは、ファブリッツィオが何か用事ありげに別荘の門を抜けて出ていくのを見て、いぶかしく思った。いったい何をしてやがるんだ?(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
このときのマイケルは、まだ、「身内を疑う」という術を身に付けていなかった。
と言うよりも、このときの経験こそが、「裏切り者は徹底的に排除すべき」という、マイケル・コルレオーネの強い方針を決定づけることになったのである。
マイケルは、もっと近くに寄ってくれるようドン・トッマジノに身振りをした。(略)「ぼくを早く家に連れもどしてくれるよう、父さんに言ってほしいんだ」マイケルは言った。「父さんに伝えてくれ、ぼくはいつまでも父さんの子どもでいたいって」(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
ドン・ヴィトー・コルレオーネの後継者としてのマイケル・コルレオーネが完成したことで、「マイケルのシチリア時代」は終わりを告げる。
逆らうことのできない運命
それでは、この長い物語は、いったい何を伝えようとしているのだろうか?
それは、決して逃れることのできない「宿命」の重たさ、である。
マイケルはシシリーで、自己の宿命に対し逃げ腰になることが何を意味するかを知ったのだ。ドンがいつも言う、あの、「人間はそれぞれ運命を持っている」という言葉の意味も初めて理解できた。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
ヴィトー・コルレオーネの三人の息子たちは、いずれも彼ら自身の弱さの中で死んでいった。
長男(ソニー)は冷静な判断力を欠くという致命的な欠陥の中で殺害され、次男(フレドー)は、優しさという裏切り行為によって身を滅ぼしていく。
そして、三男(マイケル)は、徹底した完全主義が生みだしたところの結論、つまり「孤独」という弱さの底へと沈んでいった。
それらはみな、父(ヴィトー)の「人間はそれぞれ運命を持っている」という言葉を証明するものでしかない。
シシリーへ逃れてから五ヵ月ほど経つと、マイケル・コルレオーネはようやく、自分の父親の性格と彼が追わされている宿命とを理解するようになった。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
マイケルの宿命は、父(ドン・ヴィトー・コルレオーネ)の後継者として、ファミリーを束ねることだった。
「わしは人生における自分の役割を果たし終えた。もう気力がなくなってしまったよ。そして、人生には、最善の人間には無視することのできないいくつかの任務があるのだ。きっと今度のことがそれなのだろうね」(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
本作『ゴッドファーザー』が時代を超えて高い評価を獲得し続けているのは、それが、単なるギャング映画ではなく、重厚な人生のドラマであるからだ。
マイケル・コルレオーネは呪われた息子である。
そのことを理解しているからこそ、父(ヴィトー)は、ファミリーからマイケルを遠ざけようと努めた。
しかし、冷酷な運命は淡々と、しかし着実に、マイケルをマフィアへと導いていく。
「ぼくはファミリーのために戦わねばならなかった。ぼくは親父を愛し尊敬していたんで、戦わなくちゃならなかったんだ」(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
本作『ゴッドファーザー』は、徹底した経験主義に基づく物語である。
ヴィトー・コルレオーネが信じる「人間の宿命」という言葉も、彼自身の経験の中から生まれてきたものだ。
だが、ヴィトー・コルレオーネの腹は決まっていた。自らの人生は、自らの足で歩いていかねばならないのだ。彼がよく口にする、人間にはそれぞれ定まった運命があるのだという信念は、このときの経験から生まれたものだった。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
街の顔役(ファヌッチ)から金を要求されたとき、若きヴィトーはファヌッチを殺し、それが、後のコルレオーネ帝国を築きあげる礎となった。
ファヌッチに金を払い、もう一度食料品店の店員となり、いずれは自分で食料品店を経営することもできたかもしれない。だが、彼は首領(ドン)になるよう運命づけられていたのであり、ファヌッチはそのお膳立てのために登場してきたのだった。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
ヴィトーが自分の人生をファヌッチ殺害によって切り拓いたように、マイケルは、いくつかの裏切りによって(孤独という名の)自分の人生を切り拓いていった。
長男(ソニー)暗殺の裏には、妹(コニー)の夫(カルロ)の存在があり、父(ヴィトー)の狙撃事件の陰には、クレメンツァの部下(ポーリー・ガットー)の裏切りがあった。
シチリア島の妻(アポロニア)が殺された場面にいたのも、やはり、腹心の部下(ファブリッツィオ)だった。
いくつもの裏切りを見てマイケルは、「裏切り者は決して許さない」という決意を確固たるものにする。
家族(ファミリー)を守るために、マイケルは敵を排除し、裏切り者を排除していった。
その結果、彼が手にしたものは「成功」と言う名の「孤独」だった。
そこに『ゴッドファーザー』という物語の素晴らしさがある。
本作『ゴッドファーザー』が、何がすごいのか?
それは、この物語が、人間が生きていく上での根元的な悲劇を、エンターテインメントの形によって美しく再現しているところである。
しかしそれでもなお、ヴィトーは、運命の最初の一歩を踏み出すことにためらいを覚えていた。(マリオ・プーヅォ「ゴッドファーザー」一ノ瀬直二・訳)
我々の歴史は、運命との戦いによって築かれている。
多くの人々が運命に抗おうとしては、運命に飲み込まれていった。
ヴィトーもソニーもフレドーも、そしてマイケルもまた。
時に『ゴッドファーザー』はギリシア神話に喩えられるが、ある意味で、この物語はロシア文学的でもある。
一族の経験主義によって培われたマイケルの孤独は、もしかすると、逆らうことのできない「運命」の象徴だったのかもしれない。
小説『ゴッドファーザー』の表紙には、十字架をイメージさせる操り人形の「持ち手」が描かれている。
それは、裏社会から世の中を操るコルレオーネ帝国を意味するものだと言われている。
しかし、コルレオーネ一家もまた、運命の見えない糸に操られるひとつの人形にすぎなかった。
表紙のイラストが象徴するもの、つまり、この物語のテーマは、運命に操られて生きる人間の虚しさだったのである。
書名:ゴッドファーザー
著者:マリオ・プーヅォ
訳者:一ノ瀬直二
発行:2005/11/15
出版社:早川書房


