読書体験

【深読み考察】村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」理不尽なトラウマからの再生と「生き残った人々の絆」

【深読み考察】村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」理不尽なトラウマからの再生と「生き残った人々の絆」

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』読了。

本作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』は、2013年(平成25年)4月に文藝春秋から刊行された長篇小説である。

この年、著者は64歳だった。

「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」というタイトルの意味

本作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』は、村上春樹の小説としては(かなり)思わせぶりなタイトルである(「海辺のカフカ」や「1Q84」とは違う)。

この長い作品タイトルが持つ意味は何だろうか?

「多崎つくる」は主人公の名前である(本名は「多崎作」)。

作品中には、主人公の名前に関するエピソードが書かれている。

ただし「つくる」という名前にあてる漢字を「創」にするか「作」にするかでは、父親はずいぶん迷ったらしい。(略)母親は「創」を推したが、何日もかけ熟考した末に、父親はより無骨な「作」を選択した。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

一見さりげないエピソードだが、主人公の名前がタイトルに含まれていることを合わせて考えると、「多崎つくる」という名前が持つ意味は大きい。

根底にあるのは「つくる」という名前に込められた父親と母親の愛情である。

彼は、両親の深い愛情のもとに生まれた子どもだったことが、この作品タイトルから読みとることができる。

ただし「色彩のない多崎つくる」になると、話はもっと象徴的になってくる。

一義的には「赤松慶(アカ)」「青海悦夫(アオ)」「白根柚木(シロ)」「黒埜恵理(クロ)」など、彼の親友たちの名前には「色」の漢字が入っているのに対して、主人公の名前には「色がない」ことから「色彩のない」という修飾語が付いているものだ(「多崎だけが色とは無縁だ」)。

さらに、「色彩のない」という言葉には、個性的な仲間たちに比べて、主人公だけが「無個性である」(と本人が考えている)キャラクターに対する意味が含まれている。

しかしつくる個人についていえば、人に誇れるような、あるいはこれと示せるような特質はとくに具わっていない。少なくとも彼自身はそのように感じていた。すべてにおいて中庸なのだ。あるいは色彩が希薄なのだ。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

しかし、こうした説明だけでは理解することのできない(深い)意味が、「色彩のない」という言葉には含まれていたはずだ。

なぜなら、彼はその人生において、「色彩がない日々」を生きていたからだ。

彼の人生から色彩を奪った者は、彼が世界中で誰よりも信頼している、その仲間たちだった。

彼はそれまで長く交際していた四人の友人たちからある日、我々はみんなもうお前とは顔を合わせたくないし、口もききたくないと告げられた。きっぱりと、妥協の余地もなく唐突に。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

その日から、彼の「無色透明」の人生が始まる。

おれは本当に死んでしまったのかもしれない。つくるはそのとき何かに打たれるようにそう思った。去年の夏、あの四人から存在を否定されたとき、多崎つくるという少年は事実上息を引き取ったのだ。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

本作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』は、人生から色を失った主人公(多崎つくる)の「巡礼の物語」である。

作品タイトル後半にある「巡礼の年」は、リストのピアノ曲の作品名に由来している。

つくるは読んでいた本のページから目を上げ、これは何という曲なのかと灰田に尋ねた。「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年』という曲集の第一年、スイスの巻に入っています」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

それから15年が過ぎた36歳の年に、彼は「巡礼の旅」を開始する。

それは、二歳年上のガールフレンド(木元沙羅)からの提案だった。

あなたは何かしらの問題を心に抱えている。それは自分で考えているより、もっと根の深いものかもしれない。でもあなたがその気になりさえすれば、きっと解決できる問題だと思うの」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

沙羅は、つくるの心の深いところに潜んでいる「傷痕(トラウマ)」の存在を指摘していた。

「あなたはナイーブな傷つきやすい少年としてではなく、一人の自立したプロフェッショナルとして、過去と正面から向き合わなくてはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ。そうしないとあなたはその重い荷物を抱えたまま、これから先の人生を送ることになる」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

この長篇小説は、人間の「心の闇」についての物語である(『海辺のカフカ』や『1Q84』と同じように)。

でもあるいはその根幹には、彼女が指摘するように何か筋の通らない、歪んだものが含まれているのかもしれない。それは彼にはうまく判断できないことだった。意識と無意識の境目について考えれば考えるほど、自分というものがわからなくなった。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

主人公(つくる)は、名古屋で暮らす「アオ」と「アカ」を訪ね、遠い異国のフィンランドで暮らす「クロ」を訪ねる。

それが、彼にとっての「巡礼」だった。

つくるはなぜ、グループから排除されなければならなかったのか?

その原因と向き合うために、彼は長い「巡礼の旅」に出たのだ。

それは、彼が、自分の人生をひとつ前へ進めるために必要な「成長」というプロセスだったのかもしれない。

作者(村上春樹)は、この作品を「成長物語」として紹介している。

「人は傷を受け心をふさぎ、時間がたつと少し開いて…ということを繰り返し成長していく。この小説は一つの成長物語。成長するには傷も大きく、トラウマも深くないといけない」(「村上春樹さん新作を語る」/『産経新聞』2013年5月8日)

「巡礼」の旅を通して、主人公(多崎つくる)は、過去のトラウマと正面から向き合い、自分の傷痕を癒し、新しい自分を獲得する。

心に深い傷を負った人々をつなぐ「絆」の物語

それでは、主人公(多崎つくる)が抱えている「トラウマ」は、何を意味するものだったのだろうか?

2013年(平成25年)に発表されたこの作品は、2011年(平成23年)3月11日に発生した「東日本大震災」を大きな背景として書かれている(おそらく)。

彼の深い傷痕(トラウマ)は、震災によって傷つけられた人々の、心の奥深いところに潜んでいる「闇」を象徴していた。

東日本大震災だけではない。

1995年(平成7年)に発生した「阪神淡路大震災」や「地下鉄サリン事件」によるトラウマも、そこには含まれているのだろう。

鉄道会社で働く人々にとっても、警察にとっても、もちろん乗客たちにとっても、それは想像を絶する悪夢だ。にもかかわらず、そのような惨事を防ぐ手だては今のところほとんどない。そしてその悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こったことなのだ。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

地下鉄サリン事件の被害者に取材した『アンダーグラウンド』は、作者(村上春樹)自身のトラウマともなっている。

僕自身、自分の作品を読み返して胸を打たれたり、涙を流したりすることはない。もっと引いて書いているが、(地下鉄サリン事件の遺族らにインタビューした)「アンダーグラウンド」だけは泣いてしまう。ある遺族に3時間ぐらいインタビューし、その帰りに1時間も泣いた。あの本を書いたのは僕にとって大きな体験で、(それが)小説を書く時によみがえってくるのです。(「村上春樹氏 公開インタビュー」/『時事ドットコムニュース』)

多崎つくるが抱えている「理不尽で暴力的で一方的な被害体験」は、自然災害やテロ事件を象徴するものと考えていい。

「多崎つくる」は、あらゆる被害者の象徴的存在であり、『アンダーグラウンド』で心に傷を負った作者自身の分身でもある。

「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」沙羅は彼の目をまっすぐ見て言った。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

彼の心を癒してくれたのは、フィンランドで暮らす女性(クロ、現在はエリ)だった。

村上春樹の小説では、遠くへ旅するほどに「心の奥の深いところ」へと潜っていく様子が示唆されていて、名古屋で「アオ」と「アカ」から事件の概要を聞かされたつくるは、最終的に「クロ」と会うことで事件の核心を把握する。

つくるをグループから排除したものは、「シロ(ユズ)」の強烈な被害妄想だった(「シロはおまえにレイプされたと言った」)。

「なぜそんな作り替えが行われたのか、私には今でも理解できない。たぶんもう誰にも理解できないと思う。でもね、ある種の夢はたぶん、本当の現実よりもずっとリアルで強固なものなのよ」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

心を病んだシロ(ユズ)は、既に死んでいた(「ユズは浜松市内のマンションの自室で、衣服の紐らしきもので首を絞められて殺されていた」)。

ユズを殺したものは、人間社会に潜む邪悪な「悪意」だ。

「あの子には悪霊がとりついていた」(略)「それは悪霊だった。あるいは悪霊に近い何かだった。そしてユズにはとうとうそいつを振り払うことができなかった」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

ドストエフスキー『悪霊』に対するオマージュが、そこにはある。

いや、レイプの件だけじゃない。彼女が殺されたことだってそうだ。その五月の雨の夜、自分の中の何かが、自分でも気づかないまま浜松まで趣き、そこで彼女の鳥のように細く、美しい首を絞めたのかもしれない。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

人は誰も、自分の心の中に「深い闇」を抱えている。

その深い闇が、時に「悪霊」の姿となって現れてくるのだ(「あいつは肉体的に殺害される前から、ある意味では生命を奪われていたんだ」)。

誰かを殺したいと思ったことなんて、つくるには一度もなかった。しかしあくまで象徴的に、彼はユズを殺そうとしたかもしれない。自分の心の中にいったいどんな濃密な闇が潜んでいるのか、つくる本人にも見当はつかなかった。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

心の闇は、人間社会に巣くう邪悪な闇へとつながっていく。

彼にわかるのは、ユズの中にもおそらくユズの内なる濃密な闇があったに違いないということだ。そしてその闇はどこかで、地下のずっと深いところで、つくる自身の闇と通じあっていたのかもしれない。そして彼がユズの首を絞めたのは、彼女がそれを求めていたからかもしれない。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

トラウマは、エリ(クロ)の心の中にも残されていた。

「いずれにせよその頃には、もうあの素敵なグループは──君を欠いた四人のグループはということだけれど──以前のようには機能しなくなっていた。(略)そして君を切り捨てたことは言うまでもなく、私たち全員にとっての心の傷になっていた。その傷は決して浅いものではなかった」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

つくるを切り捨てたように、クロ(エリ)はシロ(ユズ)をも切り捨てた。

自分が生き残っていくために。

「結局のところ私はユズを置き去りにしてきたのよ。私はなんとかして彼女から逃げ出したかった。あの子にとり憑いているものから、それがなんであれ、できるだけ遠く離れたかった」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

ユズが殺されたことにエリが責任を感じているように、つくるの中にもユズ(シロ)の死に対する責任があった。

「そして僕はユズを殺したのかもしれない」とつくるは正直に言った。「その夜、彼女の部屋のドアをノックしたのは僕かもしれない」「ある意味において」とエリは言った。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

彼らを苦しめているのは、理不尽とも言える「自責の念」だ。

それは、大震災で生き残った人々の心に残った傷痕でもなかっただろうか。

「ある意味においては、私もユズを殺した」とエリは言った。そして顔を横に向けた。「その夜、彼女の部屋をノックしたのは私かもしれない」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

しかし、我々は死者に対する責任を無制限に背負い続けていくことはできない。

なぜなら、我々は、自分の心の傷痕を上手に癒しながら生きていかなくてはならないからだ。

「ねえ、つくる」、エリの声は両手の指の間から漏れてきた。「君にひとつお願いがあるんだけど」「いいよ」とつくるは言った。「もしよかったら、私をハグしてくれる?」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

抱きしめ合うことによって、彼らは自分の心の傷痕を慰め合う(「ねえ、つくる、あの子は本当にいろんなところに生き続けているのよ」)。

かつて、『ノルウェイの森』で、主人公(ワタナベ君)と「レイコさん」がセックスをすることによって、「直子」を失った彼らの喪失感を慰め合ったように。

「ねえ、ワタナベ君、私とあれやろうよ」と弾き終ったあとでレイコさんが小さな声で言った。「不思議ですね」と僕は言った。「僕も同じこと考えてたんです」(村上春樹「ノルウェイの森」)

彼らは傷痕を慰め合いながら、生きていかなければならない。

それが、つまり、生き続けていくということなのだ。

「私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

『ノルウェイの森』もまた「生き残った者たちが生き続けていくことの物語」だった。

つまり、本作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』は、長いインターバルを置いて発表された、『ノルウェイの森』の別バージョンだったのだ。

そして、時代は既に1960年代ではなく、震災や地下鉄サリン事件を経験した2010年代である。

2011年(平成23年)の東日本大震災の後、至るところで「絆」という言葉が交わされた。

「絆」は、震災後の日本を生きる人々の、希望の言葉だったのだ。

そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

本作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』もまた、心に深い傷を負った人々をつなぐ「絆」の物語である。

巡礼の旅を終えて、主人公(多崎つくる)は、はっきりと成長していた。

「僕はこれまでずっと、自分のことを犠牲者だと考えてきた。(略)でも本当はそうじゃなかったのかもしれない。僕は犠牲者であるだけじゃなく、それと同時に自分でも知らないうちにまわりの人々を傷つけてきたのかもしれない。そしてまた返す刃で僕自身を傷つけてきたのかもしれない」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

彼は、自分の心の傷を受け容れ、他者の傷にも思いを馳せている。

彼の「巡礼の旅」を支えたのは、かつて、シロの好きだったリストの『ル・マル・デュ・ペイ』だった。

「シロ」と「クロ」と「つくる」という三人のサークルが、つまり、主人公の「巡礼」(つまり成長)を支えていたのである。

「灰田」と「緑川」の役割

「つくる」から始まって「シロ」から「クロ」へと連なるラインを繋げているのは、脇役とも言うべき「灰田」の存在である。

「灰色(グレー)」を意味する名前を持つ「灰田」は、いかにも「シロ(白色)」と「クロ(黒色)」とをつなぐ役割を有している。

灰田には具体的に3つの役割が与えられていた。

ひとつは、主人公(多崎つくる)に、「シロ」の弾いていたピアノ曲『ル・マル・デュ・ペイ』を取り戻させることである。

「君はリストの『巡礼の年』のことを覚えている? ユズがよく弾いていた曲があった」しばらく経ったあとで、その沈黙を破るためにつくるは尋ねた。「『ル・マル・デュ・ペイ』。もちろんよく覚えている」とエリは言った。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

『ル・マル・デュ・ペイ』は、やがて、シロ(ユズ)の魂を弔う鎮魂曲(レクイエム)として機能していくことになる。

灰田の二つ目の役割は、「シロ」と「クロ」と「つくる」とを現実的に結びつけることだった(「そこにあるのは、すべての夢の特質を備えた現実だった」)。

長い執拗な愛撫のあとで、彼女たちのうちの一人のヴァギナの中に彼は入っていた。相手はシロだった。(略)なぜシロなんだろう、とつくるは深い混乱の中で考えを巡らせた。なぜシロでなくてはならないのだろう?(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

シロとクロという二人の女性と一緒にセックスをしながら、彼が挿入する相手は「シロ」だった。

なぜなら、シロは将来的に殺されてしまう人間であり、主人公(多崎つくる)はシロの亡霊を弔うために、シロのヴァギナの中へ彼自身のペニスを挿入しているからだ(「そして気がついた時には、彼はシロの中に激しく射精していた」)。

そして、この「性夢」が、やがて彼自身を「理不尽な自責の念」へと追いこんでいくことになる(「でもね、ある種の夢はたぶん、本当の現実よりもずっとリアルで強固なものなのよ」)。

灰田に与えられたもうひとつの役割は、神話的寓話としての「緑川(についてのエピソード)」を紹介することにあった。

「じゃあ教えてあげよう。人間は一人ひとり自分の色というものを持っていて、そいつが身体の輪郭に沿ってほんのり光って浮かんでいるんだよ。後光みたいに」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

「灰田」から「緑川」へとつながるラインは、物語の中心線ではなく、あくまで、物語を補完強化する役割として機能している。

そして、「灰田」や「緑川」のようなキャラクターの登場によって、村上春樹の小説は「深み」を増していくのだ(同時に「謎」が増えていく)。

緑川が中学校の音楽室でピアノを弾いたとき、楽器の上に置かれた布の袋の中には何が入っていたのか? その謎が明かされないまま灰田の話は終わっていた。つくるにはその袋の中身が気になってならなかった。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

なぜ緑川はその袋をピアノの上に大事そうに置いたのか?

その答えが与えられることはない。

なぜなら、この寓話は「小説には必ずしも正解が用意されているわけではない」ということの、ひとつの象徴的メッセージとなっているからだ。

作者(村上春樹)は、小説の中で「正解」が明かされていないことを、誰よりも重視している作家だった。

彼の小説に「答え合わせ」はない(つまり「謎解き」)。

主人公(多崎つくる)は、「シロ」の中に射精しながら「灰田」の口の中へと精液を放出する。

射精の瞬間、彼は素早く身をかがめてつくるのペニスを口に含み、シーツを汚さないように、吐き出される精液を受けた。射精は激しく、精液の量はずいぶん多かった。灰田は何度にもわたる射精を辛抱強く引き受け、一段落したところで、あとをきれいに舌で舐めて取った。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

「シロ」と「クロ」の二人を「つくる」と結びつける「灰田」は、「シロ」と「クロ」の化身でもあった。

そして、自分の役割を果たした灰田は、あっさりと姿を消していく。

いずれにせよ、灰田の存在が消えてしまうと、その友人が自分にとってどれほど大事な意味を持っていたか、日々の生活をどれほど色彩豊かなものに変えてくれていたか、つくるはあらためて実感した。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

灰田によって与えられた喪失感は、「色彩のない多崎つくる」を、ある意味で完成されたものとする。

自分の中には根本的に、何かしら人をがっかりさせるものがあるに違いない。色彩を欠いた多崎つくる、と彼は声に出して言った。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

「巡礼の旅」を通して、多崎つくるは少しずつ自分の色を取り戻していく。

震災で破壊された都市が、時間をかけながらも少しずつ復興していくかのように。

「駅を作れ」とエリは言った。

まず駅をこしらえなさい。彼女のための特別な駅を。用事がなくても電車が思わず停まりたくなるような駅を。そういう駅を頭に想い浮かべ、そこに具体的な色と形を与えるのよ」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

彼らはきっと、これからも、死者(ユズ)の魂を弔い続けることだろう。

なぜなら、それが「生き残った者の責務」であったからだ。

「なあ、こういうのって大いなるパラドックスだと思わないか? 俺たちは人生の過程の中で自分を少しずつ発見していく。そして発見すればするほど自分を喪失していく」(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」)

「アカ」の言ったように、この世の中は矛盾に満ち溢れている。

それでも、我々は、この矛盾に満ちた世の中を生き続けていかなければならない。

理不尽な死の中で消えていった犠牲者たちのためにも。

本作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』は、東日本大震災で大きな被害を受けた日本を慰めるにふさわしい「鎮魂の小説」である。

「前作の『1Q84』は日常と非日常の境界が消失する小説だったが、今回は現実と非現実とが交錯しないリアリズム小説を書こうと思った」としたうえで、「全部リアリズムで書いた『ノルウェイの森』は文学的後退だと批判され、今回も同様のことが言われるかもしれないが、僕にとっては新しい試みだった」(「村上春樹さん新作を語る」/『産経新聞』2013年5月8日)

『ノルウェイの森』の変奏曲とも言うべき本作だが、作品としての完成度は、明らかに『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』が上回っている(不完全な部分も含めて『ノルウェイの森』の魅力だったのだが)。

「絆」が大切にされた時代の物語として、忘れられることなく、いつまでも読み継がれていってほしい作品である。

書名:色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年
著者:村上春樹
発行:2015/12/10
出版社:文春文庫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ABOUT ME
懐新堂主人
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。