文学考察ブログ『時空標本』では、昔の文学作品を採りあげることが多い。
古い時代の文学作品を探すときには、当時の書評や文芸時評が便利だ。
たとえば、1989年に出版された『ブックレビュー02 誘う書評・闘う書評』(弓立社)には、様々なジャンルの本に関する書評が収録されている。
バブル景気絶頂期の日本でどのような本が流行り、専門家はどのような評価をしていたのか。
今回は、本書を参考に80年代末期における日本の文学シーンを考察してみたい。
バブル時代の翻訳小説ブーム
『ブックレビュー02 誘う書評・闘う書評』(弓立社)は、1989年12月に出版された書評アンソロジーである。
ここには、1989年1月から12月までに発表された書評の中から、特に優れたものが収録されている。
例えば、向井敏の書いた、村上春樹・訳、レイモンド・カーヴァー著『ささやかだけれど、役に立つこと』の書評は、『週刊朝日』に発表されたものだ。
村上春樹の翻訳は秀逸。というより、彼の軽快で清新な日本語訳を通じてでなければ、カーヴァーがこんなにもわれわれに親しい作家となったかどうか、疑わしいくらいだ。(向井敏「人間の孤独感を伝える簡潔な筆致」/レイモンド・カーヴァー『ささやかだけれど、役にたつこと』村上春樹・訳)
レイモンド・カーヴァーは、80年代の村上春樹によって、日本へ紹介された作家だった。
▶ レイモンド・カーヴァー『ささやかだけれど、役にたつこと』を探す
その村上春樹は、柴田元幸・訳によるポール・オースター『幽霊たち』の書評の中で、80年代後半の「翻訳ブーム」に触れている。
七年か八年前には僕が「こういう面白い小説があるのだけれどどうだろう」と出版社にもちかけても、内容を説明する前から「翻訳は売れませんからねえ」と体よく断られたものだった。フィッツジェラルドだってカーヴァーだって、出版にこぎつけるまではけっこう大変だった。(村上春樹「上質のくせ玉」/ポール・オースター『幽霊たち』柴田元幸・訳)
この時代、村上春樹は、柴田元幸のほか、斎藤英治、畑中佳樹と一緒に、ジョン・アーヴィングの『熊を放つ』を訳している。
この翻訳チームを、村上春樹は「アメリカン・リット・キッズ」と呼んだ。
ここに川本三郎を加えたメンバーで作った本が『and Other Stories―とっておきのアメリカ小説12篇』という、アメリカ小説のアンソロジーだった。
書評の中から80年代というひとつの時代が見えてくるようだ。
村上春樹の訳した作品として、もうひとつ、ティム・オブライエンの『ニュークリア・エイジ』についての書評がある(評論家・山口哲理によるもの)。
ティム・オブライエンの長篇の翻訳は、この『ニュークリア・エイジ』が初めてだが、「兵士たちの荷物」「ゴースト・ソルジャー」「本当の戦争の話」といった短篇が、すでに紹介されている。(山口哲理「地盤をゆるがし、核を揺さぶり、見せかけの安定を奪い取る」/ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ』村上春樹・訳)
当時、村上春樹は既に『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』でベストセラー作家となっていたが、外国小説の翻訳にも力を入れていて、トルーマン・カポーティ『あるクリスマス』も、1989年12月に出版されたものだった。
さらに、柴田元幸も、サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』の書評を書いていて、翻訳小説に対する注目ぶりというのが、この時代のひとつのポイントだった。
村上春樹が書いているように、80年代前半までは少なかった外国小説の翻訳が、80年代後半になって「翻訳ブーム」と呼ばれるまでにひとつのマーケットを形成しつつあった。
バブル経済によって促された日本のグローバル化は、文学の世界にも影響を与えていたらしい。
こうした書評が『マリ・クレール』や『エル・ジャポン』『クラッシェ』などといった女性誌に掲載されていたことも注目に値する。
外国の翻訳小説は、女性から求められる教養であり、ひとつのファッションでもあったのだ。
女性が活躍する時代
『ブックレビュー02 誘う書評・闘う書評』に収録された書評は、採りあげられた作品もさることながら、書評家のチョイスも素晴らしい。
吉元ばなな『TUGUMI』の書評を書いているのは、翻訳家の風間賢二だ(これも『マリ・クレール』に掲載されたが、そもそも『TUGUMI』は、マリ・クレールに連載された小説だった)。
しかも、当時の日本ではまだマニアックな存在だったスティーブン・キングについての記述が多い。
なぜなら、吉元ばななは「もっとも影響を受けた作家はスティーブン・キングだ」と明言していたからだ。
筆者は、短篇「満月」で友人へカツ丼を届ける場面について、「これは、『シャイニング』の中で遠いフロリダのホテルにいる超能力者の少年を助けに黒人が駆けつける、手に汗に握るシーンへのオマージュにほかならない」と指摘している(「満月」は『キッチン』所収だったが)。
当時のベストセラー小説といえば、上野千鶴子『スカートの下の劇場』がある。
おそらくパンティーというテーマにこだわったからこそなのだろう。これだけの読みものができたのは。ほかのテーマだと、知的な挑発に終始しかねない上野に、ここまで女の人生を語らせた。これは、パンティーの功績だ。パンティーには感謝する。ありがとうパンティー。(井上章一「「女」に人生上の感銘」/上野千鶴子『スカートの下の劇場』)
当時、上野千鶴子は41歳の働き盛りで、1986年に施行された男女雇用機会均等法の時代を代表するフェミニストだった。
ピアニストの中村紘子も、80年代を牽引する女性アーチストの一人で、エッセイ集『チャイコフスキー・コンクール』が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。
この本は、ピアニストとしてつとに名の知られた中村紘子氏が、’82年、’86年と続いてチャイコフスキー記念国際コンクールに招かれ、ピアノ部門での審査員を務めた折の報告書、印象記だ。(「これは実にサスペンスフルな書物だ」/中村紘子『チャイコフスキー・コンクール』)
書評者は不明だが、掲載誌が『漫画アクション』というところがすごい。
そもそも『漫画アクション』で書評を読んでいる人たちが、どのくらいいたのだろうか(しかも『チャイコフスキー・コンクール』)。
ちなみに、『漫画アクション』では当時、相原コージの『かってにシロクマ』などが連載中だった(1989年で終了)。
80年代に彗星のごとく登場した歌人・俵万智の『サラダ記念日』の書評を『文学界』に寄せたのは、作家の金井美恵子。
歌集に寄せられた、荒川洋治、高橋源一郎、小林恭二という三馬鹿青年たちのスイセンの言葉の、歌集そのものに輪をかけた退廃ぶりは、一九八八年の三三九版の裏表紙に、心得顔やしたり顔のスイセン者の方が名前を知られていない、という奇妙な事態をひきおこしたが、その程度のことで、この三人は反省ということをするとは思えない。(金井美恵子「他者への媚びと鈍重な自足」/俵万智『サラダ記念日』)
この年42歳のベテラン金井美恵子に対し、俵万智は27歳。
「三馬鹿青年たち」と謳われた荒川洋治(40)、高橋源一郎(38)、小林恭二(32)も、まだまだ若い時代だった。
その高橋源一郎『文学がこんなにわかっていいかしら』の書評を、島森路子が書いている。
おそらく文学以上に「文学」している少女漫画や、広告やファミコン、文章読本、競馬新聞に至るまで、高橋さんは、そこに文学の匂い、それはとりもなおさず、複雑きわまりないコミュニケーション状況の中に身を置く現代の私たちにそれでもなお語りかけ……(以下略)(島森路子「文学の先っぽで文学を考える文学の手引書」/高橋源一郎『文学がこんなにわかっていいかしら』)
高橋源一郎と同じようにエネルギッシュな文章が延々と続くのも、また、80年代的だったということか。
第100回直木賞を受賞した藤堂志津子『熟れてゆく夏』の書評を書いたのは、文芸評論家の川村湊。
つまり、村上春樹風でも、渡辺淳一風でもなく、また山田詠美や森瑤子の世界とも違うのだ。とすると、この ”大型新人” の小説世界は、いったいどんな要因で、現在多くの読者に ”ウケテ” いるのだろうか。(川村湊「若い女性にとっての ”ポルノグラフィー”」/藤堂志津子『熟れてゆく夏』)
藤堂志津子の比較対象が「村上春樹」「渡辺淳一」「山田詠美」「森瑤子」とあるのがいい。
つまり、彼らこそ80年代後半の日本を代表する恋愛小説の書き手だったということだ。
近年話題の有吉佐和子の娘・有吉玉青の『身がわり』の書評を、林真理子が書いている。
母親が生きていたら、おそらく彼女はものを書こうとはしなかっただろう。「身がわり」は、有吉佐和子の娘が存在している、そしてものを書き始めたと、純粋に喜べる本である。(林真理子「大作家を母にもった娘の内面の記録」/有吉玉青『身がわり』)
作家でも書評家でも、とにかく女性の元気がいい。
フラットに考えて、書評も女性作家の書いたものの方に充実ぶりを感じる。
OL500人委員会の『おじさん改造講座』が話題を呼んだのも、この1989年だった。
いまや世界に冠たる日本株式会社の屋台骨を支える企業戦士たちも、その内部に潜入したOLたちの目を通せば、ダサイ・ムサイ・クサイただのおっさんでしかないのだ。(山崎浩一「経済大国日本の ”おじさん” を嗤い、嘲り、解放するOLの告発」/清水ちなみ・古屋よし『おじさん改造講座』)
「いまや世界に冠たる日本株式会社」とあるのは、バブル時代ならではだろう。
まさか、この直後に「暗黒の30年」が来るなんて、当時の日本では誰も想像さえしていなかったのだ。
現在のビジネスマンに「日本経済の屋台骨を支える企業戦士」などという意識はない。
書評タイトル「経済大国日本の”おじさん”」も、今となっては寂しいばかりだが、それが、1989年という時代(つまりバブル時代)だった。
まとめ│新しい時代の行く末にあるもの
本書『ブックレビュー02 誘う書評・闘う書評』を読んで感じるのは、「翻訳小説の時代」にしても「女性の時代」にしても「新しい時代」を切り拓くパワーが感じられるということだ。
空前の好景気に支えられて、日本中にイケイケの空気感が充満していた。
そんな当時の「浮足ぶり」を、この書評アンソロジーから読み取ることができる。
文学が「時代を映す鏡」だったように、書評もまた「時代の記録者」だった。
それは、2026年の現代へと地続きで繋がっている、歴史のドキュメンタリーでもあるのだ。
『ブックレビュー02 誘う書評・闘う書評』の次におすすめの記事
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