石坂洋次郎「青い山脈」読了。
本作は、1947年(昭和22年)6月から10月まで「朝日新聞」に連載された長編小説である。
昭和24年(1949年)、原節子と池部良の主演で映画化された。主題歌は藤山一郎・奈良光枝の「青い山脈」(作詞:西城八十、作曲:服部良一)。
敗戦直後の女学校で対立する新旧の価値観
私立海光女学校五年生<寺沢新子>のもとに、偽のラブレターが届けられた。
それは、新子の不純異性交遊の様子を試そうとするかのような内容の手紙だった。
<私立海光女学校>のモデルは<弘前学院聖愛中学高等学校>。なお、著者の石坂洋次郎は、青森県立弘前高等女学校(現在の弘前中央高校)と秋田県立横手高等女学校(現在の城南高校)で教員経験があった。
新子の相談を受けた若き女性教師<島崎雪子>は、激しく憤る。
みな、口では民主主義を唱えながら、現実の社会は、戦前からの封建主義と何も変わっていないのだ。
雪子は、受け持ちのクラスで、偽のラブレターを激しく糾弾するが、自校の古き良き伝統を守ろうとする女生徒たちから、大きな反発を受けてしまう。
こうして事件は、昔ながらの伝統を守ろうとする旧時代派と、新しい時代を切り開こうとする新時代派の大きな対立へと展開していく。
事件の解決に向けて模索する中、女学生の新子は、高等学校生<金谷六助>と、英語教師の雪子は、校医の<沼田先生>と交流を深めていく。
それは、封建主義を支持する伝統派からは強い非難を浴びる行為ながら、新時代で生きる若い彼らは、古い考え方と正面から戦うことを拒まなかった。
先輩の残した光輝ある伝統——そういう感傷的で大ざっぱな表現を用いるなら、男尊女卑も、家長中心の家族主義も、地主と小作人の関係も、天皇神権説も、ことごとくが、光輝ある伝統でないものはない。じっさいまた、そういう感情は、国民の間にまだ相当強く潜在しているのだ。(石坂洋次郎「青い山脈」)
最終的に、雪子と新子は、父兄の理事会から支持を受けることができて、旧世代との戦いに勝利する。
しかし、新しい日本が標榜する民主主義の定着には、まだ多くの時間を必要とすることを、彼らは実感していた。
民主主義のための啓蒙小説だったのか?
新潮文庫の解説で、平松幹夫は「『青い山脈』が単なる風俗小説以上に、昭和の戦後文学の典型的な作品の一つとして、永く記録され広く読まれ得る作品であることは、今更保証するまでもない事実であろう」と書いている(昭和四十三年改版)。
しかし、現実のところ、流行作家・石坂洋次郎は、やがて忘れられた作家となり、大ベストセラー『青い山脈』も、時代から取り残された過去の遺物的作品として、その名を留めるだけになった。
現在『青い山脈』が文学的価値から語られることは、ほぼ皆無だと言っていい。
なぜか?
それは、終戦直後の日本で大きな支持を得たこの作品が、いずれ現代性を失った作品だからということに他ならない。
父兄の理事会で激論が交わされているとき、新子と六助は海でボート遊びをしている。
そのとき、六助は、自分の両親を持ち出して、新しい民主主義のあり方について、新子に語って聞かせた。
ぼくは子供として、両親が新しい時代に、少しずつでも目を覚ましてくれることがうれしいんだよ。また別な考え方をすると、各人が自分の身辺のことで、ぼくがやろうとするような、小さな心遣いを払っていってこそ、新しい時代が築かれていくので、演壇で民主主義の演説をぶったり、頭に民主主義の知識を詰めこむだけでは、決して世の中のシンが変っていくものではないと思うんだよ。(石坂洋次郎「青い山脈」)
それは、いかに民主主義を日本の中へ定着させていくかという方法論のようなものだったが、『青い山脈』では、いつ、どのような場面でも、若き登場人物たちは、民主主義の定着について議論を交わしている。
見えない日本の将来を照らすカンテラのように、著者は日本を導こうとでもしていたのか、これはまったく新しい民主主義のための啓蒙小説であった。
新子と六助、雪子と沼田医師は、それぞれ大切な青春時代に生きているが、男女交際のあり方ひとつ取っても、新しい時代にあるべき姿に振り回されている。
この時代にしか書けない小説には違いないが、新旧対立の時代という過渡期を過ぎてしまうと、こうした作品は、ひどく時代めいたものになってしまう。
新しいからこそ大衆に支持されたのであり、新しすぎるからこそ、時代の移り変わりに従うことができなかったのだ。
一般に『青い山脈』と言えば、爽やかな青春小説のイメージがあるが、実際は理屈っぽくて、説教じみていて、頭で考えることの多い、いささか疲れる小説だと思う(ユーモアがあるとも、明るいとも思われなかった)。
いみじくも、沼田医師のプロポーズを受けた雪子の言葉が、最後の印象に残ったくらいである。
貴方がおっしゃるように、外国の恋愛小説などを読んでおりますと、豊かな、すばらしい恋人同士の会話が出て来たりしますけど、私どもの社会生活はまだそれほど成熟しておらず、ずっと幼稚な段階にあるのだと思いますわ。その地盤ができておらないのに、真似事のきれいな会話で飾り立てるのは、かえって惨めで、こっけいなことではないでしょうか。(石坂洋次郎「青い山脈」)
新しい民主主義の青春は、まだ始まったばかりだった。
書名:青い山脈
著者:石坂洋次郎
発行:1952/11/2
出版社:新潮文庫