タマ・ジャノウィッツ「ニューヨークの奴隷たち」読了。
本作「ニューヨークの奴隷たち」は、1986年(昭和61年)にクラウン社から刊行された作品集『ニューヨークの奴隷たち』に収録されている短篇小説である。
この年、著者は30歳だった。
原題は「Slaves of New York」。
初出は『ニューヨーカー』だった。
1989年(平成元年)に製作されたアメリカ映画『ニューヨークの奴隷たち』の原作小説である。
日本では、1988年(昭和63年)に松岡和子の翻訳で、河出書房新社から刊行された。
トレンディだけど窮屈なニューヨーカーの暮らし
ニューヨーカー。
人は、この言葉に魅了されて、大都市ニューヨークで生きることを夢見る。
経済的に余裕のある人間も、そうではない人間も。
経済的に自立できない人間は、街の隙間に潜り込むように、誰かの部屋へと転がり込む。
アクセサリー作家を目指す女性<エレナー>も、そんなニューヨーカーの一人だった。
私は、ウェストサイド北に古いブラウンストーン造りのアパートを借りていたが、家賃が高すぎた。そして、家賃が高くないアパートなんか、どっちを向いても皆無だった。(タマ・ジャノウィッツ「ニューヨークの奴隷たち」訳・松岡和子)
結局、エレナーは、付き合って六か月目のパートナー<スターシュ>と同居するようになる。
暮らしは安定していた。
スターシュの細々とした文句に慣れてしまえば──。
この街では、家賃を支払っている者が、常に優位なのだ。
喧嘩をして関係がまずくなるたび、彼女は「ああ、どこへ行ったらいいんだろう」という恐怖感に襲われる。
だから、ボストンのアビーが、ニューヨークの元カレ・ブルースと一緒に暮らそうかと思うと言い出したとき、エレナーは即座に反対した。
「アビー、やめときなさい。昔は結婚てものは親が決めたのよ。で、どうしようもないクズをつかまされることになったかもしれないけど、でも少なくとも安定した結婚生活は保障されてた。誰もあなたを通りに放り出すなんてことはできなかったのよ。だけど今の世の中でまかり通ってるのは奴隷制度よ。その男とニューヨークで暮らすなんてことしたら、あなたは奴隷になっちゃうのよ」(タマ・ジャノウィッツ「ニューヨークの奴隷たち」訳・松岡和子)
エレナーは既に奴隷だった。
スターシュに精神的に支配されていて、彼の生活ルールに従い、彼のために食事を作る。
本作「ニューヨークの奴隷たち」は、一見自由に見えて、実はそんな窮屈なトレンディ・ライフを送っているニューヨーカーたちの物語である。
彼女はニューヨークという街の奴隷だった
この物語を読むと、ニューヨークなんか出てしまって、もっと暮らしやすい街へ行けばいいのに、と思う。
だけど、エレナーはニューヨークを去ることができない。
なぜなら、彼女は実質的にニューヨークという街の奴隷だからだ。
ニューヨークに魅了された人々は、この街から追い出されてしまうことを恐怖している。
本作「ニューヨークの奴隷たち」では、そんな人々のちょっとした日常に焦点を当てて描かれた短篇小説だ。
主役は、あくまで「小さなニューヨーカー」であって、ニューヨーク社会そのものではない。
「女ならいるわ」と私は言った。「女なら山ほどいる。獲物をねらってうろついてるわよ。男はみんなゲイ。さもなきゃ奴隷階級の男ばっかり。解決の道はひとつしかないわ。金持ちになることよ。そうすればアパートが持てるし、自分の奴隷が手に入るわ。貧乏だけど従順な男奴隷」(タマ・ジャノウィッツ「ニューヨークの奴隷たち」訳・松岡和子)
画家志望のミケルは、エレナーと二人きりでコーヒーを飲んだという理由で、パートナーのミリーから、こっぴどく痛めつけられていた。
そこはミリーの部屋だったし、彼はただの一文無しにすぎなかったから。
結局、大都会では金がモノを言うってことなんだけど、みんな、そのことを理解していて、それでも、この街にしがみついている。
まるで、悪魔のような街だ、ニューヨークって。
新聞コラムさながらに、ニューヨーカーの点景を綴った短篇小説。
1980年代のアメリカでは、こういう文学が好まれたらしい。
いわゆる「ミニマリスト作家」たち。
そう、私はだんだんと慣れてきている。私が洗面所の奥に化粧品を置きっぱなしにしておくと、彼は今でもまだ文句を言う。「エレナー、見ろよ、こいつは重罪だぜ」(タマ・ジャノウィッツ「ニューヨークの奴隷たち」訳・松岡和子)
本作「ニューヨークの奴隷たち」に登場する「奴隷」には、アーチスト志望の若者たちが多い。
これもまた、ニューヨークという街の、一つの姿だったのかもしれない。
作品名:ニューヨークの奴隷たち
著者:タマ・ジャノウィッツ
訳者:松岡和子
書名:ニューヨークの奴隷たち
発行:1988/04/25
出版社:河出書房新社