井伏鱒二「三十男Q・Dの告白」読了。
本作「三十男Q・Dの告白」は、1933年(昭和8年)2月『東京週報』に発表された短篇小説である。
この年、著者は35歳だった。
『井伏鱒二全集』(筑摩書房)未収録の作品で、2024年(令和6年)1月『新潮』に掲載された。
90年の時を経て井伏さんの作品が復活した
2023年(令和5年)12月5日付け読売新聞に、全集や単行本に未収録となっている井伏鱒二の小説2編が確認されたという記事が載った。
井伏鱒二の全作品は、筑摩書房版『井伏鱒二全集』(2000年)に収録されていることになっていたから、これは歴史に埋もれていた作品を発掘したということになる。
その発掘作品が、2024年(令和6年)1月『新潮』に掲載された(2023年12月7日発売)。
作品タイトルは「三十男Q・Dの告白」と「小さな町」で、ともに400字詰め原稿用紙換算で20枚未満の短編小説だという。
『井伏鱒二全集』に収録されている作品をすべて読破しているわけではないが、長く未確認だった作品が発掘されるというのは、文学好きにとって大きな浪漫を感じさせるニュースだった。
こんなことがあるから、文学というのは楽しいものなのだ。
本作「三十男Q・Dの告白」は、自身の恋愛遍歴を警察の取調室で供述するという、ちょっと変わったストーリー展開となっている。
私は彼を貰いさげに行ったとき、彼の罪状を取調た書類を見て、その取調に際して彼が次のように陳述しているのを知ることができた。そして私はその陳述によって、なぜ彼が東北の小さな田舎町などに出かけたかその理由をも知ることができた。(井伏鱒二「三十男Q・Dの告白」)
作品は、物語の語り手である<私>が見た書類の内容を再現する形で、ほぼ全篇が<彼>の供述によって構成されている。
警察での取り調べは、あくまでも小説としての工夫に過ぎないが、この警察での取り調べという舞台設定が、作品上の効果を演出していることは確か。
なぜなら、彼の恋愛は、公言することが憚られる類の恋愛だったからだ。
そして、こうした彼の恋愛事情こそが、この物語の大きなテーマとなっている。
私たちは競争で「女王のキミコ」と仲よくなろうと努力しました。娘の名はキミコというのです。私たちは彼女のことを「女王のキミコ」と言っていました。(井伏鱒二「三十男Q・Dの告白」)
P大学の学生たちが暮らす下宿屋では、誰が「女王のキミコ」を射止めるかという競争が行われていた。
東北の小さな田舎町で警察の取り調べを受けた<私>は、もちろん、キミコを愛する大学生の一人だった。
ささやかな温もりを感じる恋愛物語
卒業式の前日、<私>はキミコにプロポーズをする。
「僕と結婚してください。もうせんから僕は、あなたを好いていました」ところが彼女は確に腹を立てて「そんな結婚申し込みってないわよ。ひとを呼びつけたりして」私は目もあてられない程弱ってしまいました。(井伏鱒二「三十男Q・Dの告白」)
<私>は、どうにかキミコと結婚できそうな見込みをつけるが、いろいろな事情によって、彼女は東北の小さな田舎町へと転出してしまう。
人生でよくあるようなちょっとしたすれ違いが、二人の間にも発生してしまったのだ。
彼らは、それぞれの人生を歩み始めるが、<私>はキミコのことを忘れられないでいる。
その顛末が語られているのが、つまり、警察の取り調べによる供述書だった。
不自然な感じがしないでもないが、警察の取り調べでも受けなければ、<私>の恋愛が語られることも、またなかったのだろう。
決して幸福とは言えない恋愛物語なのに、井伏さんの文章には、どこかほのぼのとした温もりがある。
田舎の警察では、私を手にあまる犯人だと思ったらしいです。私が殆ど口をきかないので、訊問する人は私が食事するとき幾度も呟きました。「こんな無口な犯人は、ちかごろハンストというのをやるそうだ。然しこの犯人は、実によく食う」(井伏鱒二「三十男Q・Dの告白」)
味わいとしては、後の「集金旅行」(1937)などを思い起こさせるユーモア含みの恋愛エピソードで、決して歴史に埋もれてしまうほど悪い作品ではないと思った。
90年の時を経て井伏さんの作品が復活したという奇跡のようなニュースを、素直に楽しみたい。
作品名:三十男Q・Dの告白
著者:井伏鱒二
書名:新潮(2024年1月号)
出版社:新潮社