読書体験

【徹底考察】サリンジャー『彼女の思い出/逆さまの森』バナナフィッシュを読み解く鍵を探して

【徹底考察】サリンジャー『彼女の思い出/逆さまの森』バナナフィッシュを読み解くヒントがここにもあった

J.D.サリンジャー『彼女の思い出/逆さまの森』読了。

本作『彼女の思い出/逆さまの森』は、2022年(令和4年)7月に新潮社から刊行された、日本オリジナルの作品集である。

収録作品(原題)及び初出は次のとおり。

「彼女の思い出」
・A Girl I Knew
・1948年(昭和23年)2月『Good Housekeeping』

「ヴァリオニ兄弟」
・The Varioni Brothers
・1943年(昭和18年)7月『The Saturday Evening Post』

「おれの軍曹」
・Soft-Boiled Sergeant
・1944年(昭和19年)4月『The Saturday Evening Post』

「ボーイ・ミーツ・ガールが始まらない」
・The Heart of a Broken Story
・1941年(昭和16年)9月『Esquire』

「すぐに覚えます」
・The Hang of It
・1941年(昭和16年)7月『Collier’s』

「ふたりの問題」
・Both Parties Concerned
・1944年(昭和19年)2月『The Saturday Evening Post』

「新兵に関する個人的な覚書」
・Personal Notes on an Infantryman
・1942年(昭和17年)12月『Collier’s』

「ブルー・メロディ」
・Blue Melody
・1948年(昭和23年)9月『Cosmopolitan』

「逆さまの森」
・The Inverted Forest
・1947年(昭和17年)12月『Cosmopolitan』

 

サリンジャーの多彩な物語世界を体験

生前、サリンジャーは4冊の本を出版した。

・『ライ麦畑でつかまえて』(1951)
・『ナイン・ストーリーズ』(1953)
・『フラニーとゾーイー』(1961)
・『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-』(1963)

このうち、いわゆる短編小説集は『ナイン・ストーリーズ』のみで、ここには9編の短編小説が収録されている(『ナイン・ストーリーズ』は「九つの物語」という意味)。

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一方で、サリンジャーは、生前、雑誌等に全部で30編の短編小説を発表している。

『ナイン・ストーリーズ』収録作を除くと全部で29編だが、この29編の短編小説は、本国アメリカでは単行本化されることがなかった(つまり、読むことができない)。

なぜか、日本では、アメリカでは単行本化されていない作品も、日本語訳の作品集が出版されていて、基本的に全30編の短編小説が翻訳化されている(荒地出版社『サリンジャー選集』など)。

今回の『彼女の思い出/逆さまの森』も、そうした日本オリジナル作品集のひとつで、金原瑞人の訳としては『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』に続いて、2冊目の作品集ということになる。

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ホールデン・コールフィールドや第二次世界大戦にフォーカスした『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』と比べて、本作『彼女の思い出/逆さまの森』のテーマは曖昧である。

むしろ、サリンジャーの多彩な物語世界を体験できるのが、本作品集の魅力ということになるかもしれない。

彼女の思い出

戦後、『グッド・ハウスキーピング』誌に発表された作品。

1938年(昭和13年)、ウィーンのユダヤ人地区がナチスに占領された歴史が、モチーフとなっている。

「想い出の少女」は、サリンジャーが1945年にオーストリアの一家を捜索したことを、かなり忠実に再現している。(ケネス・スラウェンスキー「サリンジャー 生涯91年の真実」田中啓史)

あるいは、主人公とリーアとの淡い恋愛には、サリンジャー自身の体験が投影されていたのかもしれない。

ナチスに対するサリンジャーの怒りと憎悪が反映された作品として読むことができる。

リーアはウィーンに住んでいるユダヤ人で、おれの借りた部屋の下の階、つまりおれが下宿している一家の階下に家族と住んでいた。十六歳で、ひと目で美人だと思うが、そのうち本当に美人だと納得させられる、そんな美人だった。(J.D.サリンジャー「彼女の思い出」金原瑞人・訳)

死んだ美少女は、戦争によって失われたすべてを象徴しているし、少女の死に無関心な軍曹は、戦後、サリンジャーが直面した現代社会そのものの姿だった(誰も戦争の傷痕なんかに興味はなかったのだ)。

後年発表される名作「バナナフィッシュにうってつけの日」は、戦後の無関心の中で死んでいく帰還兵を扱った作品だが、同様の主題が、「彼女の思い出」の中で、既に生まれていると読むこともできる。

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もともと、この作品のタイトルは「ウィーン、ウィーン」だったが、『グッド・ハウスキーピング』が勝手にタイトルを変更して発表したため、サリンジャーが激怒したというエピソードが残されている。

【ハーバート・メイズ】何がサリンジャーをそこまで怒らせたのかはわからない。彼は猛烈に抗議して、私に二度と原稿を見せないようにと代理人のドロシー・オールディングに言いつけたんだ。(ディヴィッド・シールズ/シェーン・サレルノ『サリンジャー』坪野圭介/樋口武志・訳)

サリンジャーは、他人に原稿をいじられることを憎悪していたという。

ヴァリオニ兄弟

商業的な成功(流行歌)を求めるサニーと、文学的な成功(小説家)を夢見るジョーとの、芸術をめぐる葛藤を描いた物語。

サニーとジョーの兄弟は、もちろん、サリンジャー自身だったのだろう。

「あの本を読んだとき、生まれて初めて音楽がきこえたような気がしたんです」彼は無力感に打ちひしがれた顔で、わたしと教授をみました。(J.D.サリンジャー「ヴァリオニ兄弟」金原瑞人・訳)

文学に対する崇拝が、この物語を支えているが、作者(サリンジャー)は、必ずしも、この作品を評価していなかったという。

オチがまとまっていたりして、ちょっと作り込みすぎている印象はあるかもしれない。

おれの軍曹

第二次世界大戦へ従軍した体験を題材とした作品。

戦争を(あるいは戦死を)美化することに対する徹底的な拒否感は、「最後の休暇の最後の日」や「ストレンジャー(他人)」に共通するものがある。

バークはひとりで死んで、女の子にも、いや、だれにも伝言なんか残さなかった。ここ合衆国でも盛大に立派な葬式をしてやろうというやつもいなかったし、葬送の曲を吹いてやろうというラッパのうまいやつもいなかった。(J.D.サリンジャー「おれの軍曹」金原瑞人・訳)

「戦死は決して格好いいものじゃない」という断固とした主張が、サリンジャーにはあった。

サリンジャーは、やはり、戦争ものに優れた作品が多いと思う。

ボーイ・ミーツ・ガールが始まらない

荒地出版社『サリンジャー選集』での既訳は「できそこないのラヴ・ロマンス」だった。

要するに、恋愛物語が始まることのない男女の出会いを描いた作品で、田中啓史・訳『サリンジャー 生涯91年の真実』では「未完成ラブストーリーの真相」と訳されている。

「ロイス・タゲットのロングデビュー」や「若者たち」など、初期のサリンジャーは、現代社会に生きる若者たちの恋愛事情を主要なテーマとしていた。

ぼくはシアトルからニューヨークに出てきました。金持ちになって、有名になって、いい服を着て、おしゃれに暮らすようになりたいと思っていました。しかし四年間で学んだのは、自分は、金持ちになって有名になっていい服を着ておしゃれに暮らすことなんかできないということです。(J.D.サリンジャー「ボーイ・ミーツ・ガールが始まらない」金原瑞人・訳)

恋愛小説を書く作家の裏話みたいな設定を用いて、男女の出会いの難しさを描いている。

ひいては、それは、安易な恋愛小説を描く作家に対する批判だったかもしれない。

すぐに覚えます

軍隊に馴染むことのできない、要領の悪い青年の物語。

戦争ものの作品ではあるが、最後の一行にオチがあるあたり、ストーリーテーリングを意識した作品となっている。

「すぐ覚えるから、待ってください。だいじょうぶです。ほんとです。自分は軍隊が好きなんです。いつか、大佐か何かになります。ほんとです」(J.D.サリンジャー「すぐに覚えます」金原瑞人・訳)

盲目的に軍隊を愛する主人公の姿は、井伏鱒二「遥拝隊長」を思い出させるが、本作「すぐに覚えます」を包んでいるのは、戦争をモチーフとした温かいブラック・ユーモアである。

サリンジャーの、後の軍隊モノと比較すると、臨場感がまったく異なっていることに気がつかされるだろう。

ふたりの問題

若すぎる夫婦の成長をテーマとした夫婦小説。

母親になったルーシーの成熟と、父親になりきれない主人公の未成熟とが、対比的に描かれているが、大切なことは、主人公が、今まさに成長しようとしているところだった、ということだろう。

おれはいってやった。「雷が鳴ったら、起こしてくれよ、ルーシー。頼むから。いいんだから。つまり、起こしてくれよ、そういうときは、ほら、雷のときとか」(J.D.サリンジャー「ふたりの問題」金原瑞人・訳)

最後の「つまり、毎晩、雷が鳴ったっていいんだ」というひと言に、主人公の成長がある。

当初、この作品は「雷がなったら起こしなよ」というタイトルだったらしい(レイモンド・カーヴァーみたいでかっこいい)。

つまり、「雷」に、主人公の成長が象徴されているのだ。

新兵に関する個人的な覚書

軍隊に憧れる中年男性の物語。

小説のテーマといい、全体の構成といい、最後のオチといい、「すぐに覚えます」の別バージョンと言っていい。

彼のいった言葉に、わたしは背筋がぞっとした。彼は少しかがむようにして、机に身を乗りだし、「戦いたい」といったのだ。「わからないのか。戦いんだ」(J.D.サリンジャー「新兵に関する個人的な覚書」金原瑞人・訳)

愛国心と闘争心に燃える庶民の姿が、そこにはある。

滑稽だが、笑い飛ばすこともできない男の真面目な姿勢は、戦後派の我々には、もやもやした何かを残していく。

ブルー・メロディ

本作「ブルー・メロディ」は、美して悲しいジャズ小説であり、醜くて愚かな人種差別小説である。

けれども、この小説の本当のテーマは、第二次大戦でアメリカ兵たちは、誰のために戦ったのか?という、元兵士の素朴な疑問だろう。

この物語は、1944年(昭和29年)のヨーロッパ戦線を移動するアメリカ兵たちの描写から始まる。

この話はだれかへの批判でもなければ、なにかへの批判でもない。ちょっとした単純な話で、母親のアップルパイと、きんきんに冷えたビールと、ブルックリン・ドジャーズと、ラックス化粧石鹸提供のラジオ劇といったもの──簡単にいえば、われわれがそのために戦っているもの──についての話なのだ。(J.D.サリンジャー「ブルー・メロディ」金原瑞人・訳)

この作品の大枠は、ローティーンの少年と少女が出会い、恋をし、別れ、そして、15年後に再会するという、牧歌的な青春小説である。

そして、少年(ラドフォード)と少女(ペギー)が夢中になったものがジャズ音楽であり、誰よりも愛したジャズシンガー(リダ・ルイーズ)だった。

リダ・ルイーズがその曲を歌うと、店のなかは大騒ぎになった。ペギーが激しく泣き出したので、ラドフォードが「どうしたんだよ」ときくと、ペギーがすすり上げながら「わかんない」といったので、自分も感激していたラドフォードは突然、「ペギー、大好きだ!」と口走り、ペギーがわんわん泣き始めたので、ラドフォードは彼女をうちに送っていった。(J.D.サリンジャー「ブルー・メロディ」金原瑞人・訳)

もともと、リダ・ルイーズの兄(ブラック・チャールズ)が経営するバーガ・ショップの常連だった二人は、リダ・ルイーズとも仲良しになる。

しかし、人気歌手リダ・ルイーズは、盲腸が破裂したときに、受け入れ先の病院が見つからなかったため、適切な治療を受けることができずに死んでしまう。

「あの歌手の人?」「そう! リダ・ルイーズだよ!」ラドフォードはうれしくなって、名前を大声でいった。「ごめんなさい。病院の規則で、黒人の患者は入れられないの。本当にごめんなさいね」(J.D.サリンジャー「ブルー・メロディ」金原瑞人・訳)

ブラック・チャールズが運転する自動車に乗って、一緒に病院を探し回ったラドフォードとペギーの心の中には、リダ・ルイーズの受け入れを断った病院で働く人間たちの姿が、いつまでも記憶に残っていたことだろう。

だから、ドイツ軍と戦っているときも、大戦が終わった今も、ラドフォードは考えているのだ。

俺たちは、何のために戦っているのか、と。

彼らが戦っているのは、アメリカの平和な暮らしを守るためだった。

アップルパイや冷たいビール、ブルックリン・ドジャーズ、ラックス化粧石鹸、ラジオ劇、そして、瀕死だった黒人女性の受け入れを拒否した病院の人間たち。

そんな平凡で平和な社会を守るために戦争をしたアメリカという国のおかしな謎について、ラドフォードはずっと考え続けている。

黒人の女性シンガー(リダ・ルイーズ)のモデルは、実在のジャズシンガー(ベッシー・スミス)で、1937年(昭和12年)、交通事故で負傷した彼女は「黒人である」という理由で受け入れ先の病院が見つからず、いくつかの病院をたらい回しにされた末に死亡したと伝えられている。

サリンジャーが出版社に持ち込んだとき、この物語は「Needle on a Scratchy Phonograph Record(雑音だらけのレコードに落とした針)」という作品タイトルだったが、雑誌掲載時に編集部が独断で「Blue Melody(ブルー・メロディ)」に変更してしまったという。

サリンジャーは当然に激怒したが、物語を読んでみると、「Needle on a Scratchy Phonograph Record」というフレーズがいかに重要かということが分かる。

ラドフォードはペギーに明日の朝電話すると約束した。しかし電話をすることはなかったし、それきり会うこともなかった。そもそも、一九四二年、彼はだれのためにもそのレコードをかけることはなかった。その盤は傷みがひどかった。もうリダ・ルイーズの声にはとてもきこえなかったのだ。(J.D.サリンジャー「ブルー・メロディ」金原瑞人・訳)

傷だらけのレコード盤は、ラドフォードとペギー、二人の青春の象徴だろう。

それは、リダ・ルイーズの歌声とともに、二度と甦ることのない失われた青春の記憶でもある。

黒人差別とジャズ音楽と青春小説。

サリンジャーは、このように、複数のモチーフを一つの作品の中に組み込むことが好きだったらしい。

そして、俺たちは、何のために戦ったのか?という疑問は、やがて「バナナフィッシュにうってつけの日」にまで引き継がれることになる。

戦争で心に深い傷を負った若者と、くだらない現代社会とを並べてみたとき、主人公が突然に自殺してしまった気持ちが、理解できるのではないだろうか。

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逆さまの森

本作「逆さまの森」は、最愛の夫を他の女に寝取られてしまう人妻(コリーン)の悲しみを描いた中編小説だが、主人公は、詩人である夫(レイモンド・フォード)だ。

フォードの本の中にあったひとつの詩が、この作品タイトルの由来となっている。

荒地ではなく、大きな逆さまの森で、葉はすべて地下に広がっている。(J.D.サリンジャー「逆さまの森」金原瑞人・訳)

フォードは、一般社会との交際が苦手な芸術家であり、通俗的な世の中に迎合することができない(モデルは、もちろんサリンジャー自身だ)。

通俗社会にとってそこが「荒れ地」であっても、芸術家は、俗人からは見えない「地下」に大きな森を持っている。

「逆さまの森」は、そんな芸術家に恋をした女性の悲劇の物語なのだ。

彼の詩集のファンだという女子大生(バニー・クロフト)が自作の詩の批評を求めたとき、フォードは、彼女の作品を厳しく非難する。

「詩人は詩を発明したりしない──発見するんだ」彼はだれともなくいった。「たとえば」ゆっくり続ける。「コールリッジの『クブラ・カーン』に出てくる聖なる川、アルフ川が流れていた場所は──発見されたんだ。発明されたんじゃない」(J.D.サリンジャー「逆さまの森」金原瑞人・訳)

コールリッジ「クーブラ・カーン」は、村上春樹『街とその不確かな壁』でも、エピグラムとして引用されているが、少女時代に恋した男性と19年ぶりに再会するところなど、村上春樹的と言えなくもない(「地下にある大きな森」は、「大きな壁の中にある街」を連想させる)。

最愛の夫フォードが、自称女子大生(バニー)と駆け落ちした後、コリーンは、二人の行き先を粘り強く探し続けるが、次に出会ったとき、夫(フォード)は、既に昔のフォードではなかった。

「コリーン。いいかい、ぼくは逃げられないんだよ」「どういうこと?」「ぼくはまた、あの脳といっしょにいるんだ」フォードはそっけなくいった。コリーンは首を振った。わけがわからず、絶望で息ができなかった。(J.D.サリンジャー「逆さまの森」金原瑞人・訳)

フォードは、コリーンの11歳の誕生日の夜に、一緒に街を出た母親のことを思い出させる。

アル中で、幼い息子を虐待していた母親の姿を、フォードは、バニーの中に認めていたのだ。

コリーンが11才の頃の恋人の元へたどり着いたのと同じように、フォードもまた、11歳の頃の母親の元へ帰りたかったのだろう。

バニーは、また、通俗小説を書く作家でもあったから、創作を軽蔑するフォードが、通俗作家であるバニーと一緒に暮らすことは、芸術的な意味においても、フォード自身の破滅につながる行為だった。

芸術家は通俗社会の前に生き残ることができなかったのである。

結局のところ、「逆さまの森」は、他の誰にも見ることのできない人間の内面である。

見えないものを見ることは、サリンジャーにとって永遠の課題だったのかもしれない。

そして、「逆さまの森」が発表された一か月後、歴史に残る短篇「バナナフィッシュにうってつけの日」が発表されて、伝説の作家「サリンジャー」の快進撃が始まる。

『ナイン・ストーリーズ』以前のサリンジャー

本作『彼女の思い出/逆さまの森』のポイントは、『ナイン・ストーリーズ』以前のサリンジャーを読むことができる、ということだろう。

「逆さまの森」(1947)の翌月に発表される「バナナフィッシュにうってつけの日」(1948)以降の作品は、作品集『ナイン・ストーリーズ』(1953)に収録される。

つまり、『ナイン・ストーリーズ』以前の作品だけが、本書には収録されているということになる。

『ナイン・ストーリーズ』に比べると、本書収録作品には未完成とも思われる作品が少なくない。

それでも、ナチスによるユダヤ人虐殺を綴った「彼女の思い出」や、不遇の黒人シンガー(ベッシー・スミス)をモチーフにした「ブルー・メロディ」など、サリンジャーの代表作として記憶されるべき作品も含まれていることには、やはり、注意が必要だろう。

『ナイン・ストーリーズ』以降、サリンジャーの小説からは、主題が見えなくなった。

サリンジャー「ナイン・ストーリーズ」心の闇が深い若者たちの喪失感を描いた都会派青春小説
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主題を物語の中に溶け込ませてしまう小説的技術を、サリンジャーが身につけたということなのだろう。

しかし、戦争中に書かれたサリンジャーの小説を追いかけてくると、彼の文学的テーマは、決して大きく変化しているわけではない。

戦争に対する強い憎悪と、戦争を行った人間たちに対する激しい怒り。

サリンジャーの小説の根本にあるのは、戦争を体験した人間としての(ある意味でトラウマ的な)反戦論である。

彼は、最後に「煙草を一本くれ」とは言わなかった──

戦死者を英雄視する論調と、サリンジャーは徹底的に抗戦する作家だった。

そこに、サリンジャーの小説家としての存在意義があったのではないだろうか。

書名:彼女の思い出/逆さまの
著者:J.D.サリンジャー
訳者:金原瑞人
発行:2022/07/25
出版社:新潮社

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。