映画体験

ウディ・アレン『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』ジャズとラブロマンスに彩られた若者の成長物語

ウディ・アレン『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』ジャズとラブロマンスに彩られた若者の成長物語

ウディ・アレン監督『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』鑑賞。

本作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は、2019年(令和元年)7月に公開された青春映画である。

原題は「A Rainy Day in New York」。

この年、監督は84歳だった。

出演者に、 ティモシー・シャラメ(24)、エル・ファニング(21)、セレーナ・ゴメス(27)など。

ニューヨークという「映画」の世界

本作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』の主役は、何と言っても「ニューヨーク」という、その街にある。

「マンハッタンは、常にものすごいエネルギーに溢れている。古き良きところもあるし、常に新しいものも入ってくる。そこが魅力だと思うよ」(公式パンフレット「ウディ・アレン監督インタビュー」)

有り体な言い方をすれば、この映画は、ひとつの「ニューヨーク讃歌」である。

ギャツビー(ティモシー・シャラメ)とアシュレー(エル・ファニング)という、二人の若者の週末デートをストーリーの中心として、ニューヨークの雨は、彼らの虚飾を洗い流していく。

「雨」に注目したのは、監督のウディ・アレンだ。

ニューヨークという街には、常にロマンスの可能性があって、雨が降るとより美しくなる。だからいつか、雨の降るロマンチックなニューヨークの映画を撮りたいと思っていたんだ」(公式パンフレット「ウディ・アレン監督インタビュー」)

アリゾナ娘のアシュレーは天真爛漫な女子大生だが、社会の裏側に興味を持つギャツビーとはマッチしない。

ニューヨークで生まれ育ったギャツビーは、娼婦との出会いや、セレブな母親の暗い過去を知ったことで、ひとつ大人になってニューヨークの街へと戻ってくる。

彼が最後に結ばれるのは、同じくニューヨークで生まれ育ったチャン(セレーナ・ゴメス)で、物語の中心には、常に「ニューヨーク」があった。

旧友と再会する「グリニッジ・ビレッジ」や(チャンとキスシーンを撮影した)、週末デートが台無しになってさまよい歩く「アッパー・イーストサイド」、チャンとの即席デートの舞台となる「メトロポリタン美術館(MET)」など、映画はあたかもニューヨーク散策ガイドのようだ。

ラストシーンでチャンと再会する時計台は、セントラル・パーク動物園にある「デラコルテ・クロック」で、まるで「映画の世界」のように二人のラブロマンスは成就する。

映画全体に通底しているのは、「現実世界」から逃れようと、もがいている人々の苦悩だ。

「あなたの将来の夢は? ギャツビー」「もがいてる」「もがく?」「自分が何になりたいのか、分からない」(ウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」古田由紀子・訳)

主人公(ギャツビー)は、将来の進路に悩み、もがいていた。

ギャツビーだけではない。

映画に登場する人々は、妻と別れたり、完成した映画に納得できなかったり、親友に妻を寝取られたり、フィアンセとの結婚を後悔していたりと、誰もがもがき苦しんでいる。

かつて売春婦だったというギャツビーの母親は、「映画の世界」で生きることを望むニューヨーカーの象徴である。

「私は高級なものを過度に好み、洗練されたイメージを追求しすぎて、あなたに不快な思いをさせた。それは中西部出身の元娼婦が必死にあがいているせいなの。今でも悪夢のような過去を消し去ろうとしてるのよ」(ウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」古田由紀子・訳)

男たちが、アリゾナ娘(アシュレー)に求めているのは、精神的な癒しである。

なぜなら、アシュレーは、もがき苦しむことを知らない、太陽の娘だからだ。

天真爛漫なアシュレーには、都会の生活に疲弊した男たちを安堵させる安らぎがある。

その意味で、彼女は精神的な娼婦だったかもしれない。

主人公の青年(ギャツビー)も、アシュレーの癒しに惹きつけられた男の一人だった。

しかし、故郷・ニューヨークの街で、彼は本来の自分を取り戻す。

「せっかく乗ったのに曇天なんて。昨夜は消防車の音で眠れなかった」(略)「ヤードレーに帰れ。ぼくはニューヨークに残る。僕には排ガスが必要だ。君は太陽の下で輝き、僕は曇り空の下で息づく」(ウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」古田由紀子・訳)

晴天ばかりが続く人生なんてあり得ない。

そのことを悟ったからこそ、ギャツビーはニューヨークへ戻ることができたのだ。

アリゾナ娘(アシュレー)は、曇り空の下では生きていくことのできない女性だ。

彼女は、人生の青空を求めて、太陽の下だけを歩き続けていくのだろう。

馬車の中でギャツビーが口ずさむ「行き交う往来の中でも、部屋の静寂の中でも」のフレーズは、コール・ポーター作詞作曲の『Night and Day / 夜も昼も』(1932)。

この曲は、コール・ポーターの代表作として知られ、彼の伝記映画『夜も昼も』(1946)のテーマソングにもなっている。

昼も夜も、どうしてこうなんだろう
きみへの想いは僕の行くところ
どこにもついてくる

交通渋滞のすさまじい轟音のなかで
部屋に独りでいるときの静けさのなかで
僕は昼も夜もきみを想っている

(ドリス・デイ「昼も夜も」村尾陸男・訳)

結局、最悪の週末デートの中で、ギャツビーは新しい自分自身を発見したのだ。

母親との和解という、ひとつの階段を乗り越えて。

だから、本作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は、母子間の葛藤を抱えた青年の成長物語として読むことができる。

ジャズとニューヨークとラブロマンスに彩られた、若者の成長物語。

これでは、まるで「映画みたい」ではないか(あたりまえなんだけど)。

主人公(ギャツビー)のプレッピー・ファッションは、ニューヨーク・スタイルの象徴である。

「ニューヨークの、アッパー・イーストサイドに住んでいると、行く学校も決まっているし、みんな同じような服を着ているからね。チノパンツに、ラルフローレンのスポーツジャケットとかね。みんなが服を買うような場所も似たりよったりだと思うんだ」(公式パンフレット「ウディ・アレン監督インタビュー」)

くるみボタンのツイード・ジャケットに、ブルーのボタンダウン・シャツ。

右下がりのストライプ・ネクタイを締めた首元の第一ボタンは、ゆるく開いている。

映画の中のティモシー・シャラメは、かつてニューヨーカーのファッション・アイコンとして知られたウディ・アレンの若き日を再現しているかのようだ。

セレーナ・ゴメス演じるチャンの、ナチュラルなクルーネック・セーターもいい。

それは、ニューヨークの街から生まれた、自然体のオシャレである。

音楽とファッションとストーリーが、ニューヨークという街の空気感とジャスト・マッチしていることで、この映画は完成されたものとなっているのだろう。

ウディ・アレンの「性的虐待疑惑スキャンダル」の陰に隠れて、なかなか評価が難しい作品となってしまったが、歴代のウディ・アレン作品の中でも、これは上位にランク・インされるべき名作だ。

ティモシー・シャラメのピアノ弾き語り

本作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』では、ジャズのスタンダード・ナンバーが随所に挿入されている。

エロル・ガーナーの演奏する「Will You Still Be Me?」や「Misty」は印象的だが、物語のテーマ・ソングとして注目したいのは、劇中でギャツビー(ティモシー・シャラメ)のピアノ弾き語りが楽しめる「everything happens to me」だ。

「everything happens to me」は、トミー・ドーシー楽団のマット・デニスが作曲、トム・アデアが歌詞を書いて、1941年(昭和16年)に発表された。

ドーシー楽団の当時のボーカルはフランク・シナトラで、この曲は、現在もシナトラのヒット曲として記憶されている。

なお、トミー・ドーシー楽団を退団する際に、シナトラがマフイアを使ったとされる都市伝説は、映画『ゴッドファーザー』にも出てくるとおりだ。

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映画のギャツビーは、元カノの妹(チャン)の自宅にあるピアノを弾きながら、この曲を歌った。

ゴルフの約束をすると決まって雨が降る
パーティーを開くと上の階の男から苦情
僕はカゼを引いて電車に乗り遅れる
いつも災難が降りかかる

でも流行には乗り遅れず
おたふくカゼやはしかにかかる
エースを出すと相手は切り札で勝負
どうせ僕は大バカ者 先を見ずにジャンプ
ツキの悪い男なのさ

君が運命を変えてくれると思った
愛の力で絶望を終わらせてくれると
でも自分をダマせない 本当は分かってるのさ

だから はかない希望にすべてを賭けた
電報を打って電話もした 特別便のエア メールも
君の返事は「さようなら」 おまけに料金不足
たった一度の恋 君でなければダメなのに
ツキの悪い男なのさ

(フランク・シナトラ「everything happens to me」古田由紀子・訳)

雨に濡れた服を着替えながら、チャンは、ギャツビーの歌を聴いている。

「ラウンジ・ピアノが好きだ。外は霧雨、灰色の空。ニューヨークの街がもやに包まれ──恋人たちは6時に待ち合わせ」「グランドセントラル駅の時計の下で」「あの映画は好きだが、僕のイメージは野外だ」(ウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」古田由紀子・訳)

このときのギャツビーが言った「ラウンジ・ピアノが好きだ」というセリフがいい。

ジャズ・ピアノでもクラシック・ピアノでもなく「ラウンジ・ピアノが好きだ」。

かつてギャツビーに恋していたチャンは、まさに、ピアノ・バーで姉(エイミー)とデートしているギャツビーが好きだったのだ。

「平凡な人生が似合わないあなたにお熱だった」「君が?」「変わった場所で姉とデートしてたせいかな。誰も行かないディープなピアノ・バーとか」(ウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」古田由紀子・訳)

ディープなピアノ・バーは、(風変わりな青年)ギャツビーが生きる世界の象徴だったかもしれない。

母親との生活にうんざりしているギャツビーに、チャンは自立を促す。

「嫌なら仕事をして自分で学費を稼げば?」「仕事って?」「ディープなバーのピアノ弾きとか、ギャンブラーや賭博サギ師」(ウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」古田由紀子・訳)

おそらく、このときの会話が、ギャツビーの心境の変化の大きなきっかけとなった(そして、母親との和解へとつながっていく)。

太陽の娘(アシュレー)と違って、チャンは、曇り空の中でも雨の中でも輝くことのできる女性である。

「ギャンブラーはどこかロマンチック。時計の下で待ち合わせる歌も」「これは映画じゃなく現実だ」「現実は夢を諦めた人の世界よ」(ウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」古田由紀子・訳)

現実路線から降りたギャツビーは、きっと、夢の世界(映画の世界)で生き続けていくことだろう。

そこに、この映画の伝えたかったメッセージがある(要は「夢をあきらめるな」ってことだ)。

なお、ギャツビーの弾き語りシーン、ピアノは(ウディ・アレン映画ではおなじみ)コナル・フォークスの演奏によるもので、ティモシー・シャラメはボーカルを担当。

エンディング・ロールで流れる「everything happens to me」も、コナル・フォークス・トリオによるものだ(これが最高に良い!)。

オリジナル・サウンドトラックの欲しい演奏だが、ウディ・アレンの性的虐待疑惑によって、映画自体がアメリカ本国では未公開となっているため、サントラの発売は永遠に期待できそうにない(残念)。

なお、ギャツビーが深夜のバーでピアノを弾く場面は、老舗ホテル「カーライル・ホテル」にある「ベメルマンズ・バー」で撮影されたものだった。

これも、また、「ニューヨーク散策ガイド」としての『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』の見どころだろう。

「everything happens to me」には、フランク・シナトラのほか、ビリー・ホリディやエラ・フィッツジェラルド、ジュリー・ロンドン、ナット・キング・コールなど、多くの録音があるが、映画(ギャツビーによる弾き語り)のスタイルに最も近いのは、チェット・ベイカーの録音(1954年『チェット・ベイカー・シングス』収録)。

チェット・ベイカーの中性的なボーカルが「♪ツキの悪い男なのさ~」と歌っていると、今にも泣き出しそうに聴こえてくるから不思議だ(そこがチェット・ベイカーの魅力だった)。

公式パンフレットにコラムを寄せた辛島いづみは、本作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』について「ウディ・アレンがサリンジャーと偉大なるギャツビーに捧げた映画」と指摘している。

チャンは「10段階のうち4のキスしかできない自分」を肯定し、受け入れてくれる唯一の存在。「ライ麦畑」で自分をつかまえてくれる「キャッチャー」なのだと。(略)自分を肯定し、受け入れ、つかまえてくれるのはチャン、それはすなわち「ニューヨーク」なのだ、と。この映画は、アレンがニューヨークに宛てたラブレターのように思えるのだ。(辛島いづみ「ウディ・アレンがサリンジャーと偉大なるギャツビーに捧げた映画」)

このコラムは、本作品の本質を見事にとらえていて、読む価値あり。

スコット・フィッツジェラルド『偉大なるギャツビー』(1925)と、サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(1951)の舞台となったニューヨークを、ウディ・アレンは「雨」というフィルターを通して、美しく再現してみせた。

もとより、ウディ・アレンは、ニューヨークの映画監督である。

アカデミー賞を受賞した『アニー・ホール』(1977)のほか、『マンハッタン』(1979)や『ラジオ・デイズ』(1987)など、ニューヨークを舞台にした名作は少なくない。

そして、誰よりもニューヨークを知り尽くした男(ウディ・アレン)が、渾身の力を込めて制作した最高の作品こそ、本作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』だった。

「#名刺代わりの映画10選」に加えるべき作品としておすすめ。

ABOUT ME
懐新堂主人
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。