読書体験

林芙美子紀行集「下駄で歩いた巴里」お金のなくても楽しい女のひとり旅を描いた世界放浪記

林芙美子紀行集「下駄で歩いた巴里」お金のなくても楽しい女のひとり旅を描いた世界放浪記

林芙美子紀行集「下駄で歩いた巴里」読了。

本作「林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里」は、2003年(平成15年)6月に刊行された岩波文庫オリジナルの紀行随筆集である。

女の一人旅の楽しみ方

『放浪記』でベストセラー作家となった林扶美子がヨーロッパへ渡ったのは、1931年(昭和6年)のこと。

既に、世界大戦の匂いが各地に立ちこめており、簡単な観光旅行と言ってしまえるものではなかった(満州事変は1931年9月)。

まして、日本人女性の一人旅である。

限られた情報だけを頼りに、それでも林芙美子は身軽にあちらからこちらへと旅を続ける。

さすがに『放浪記』の作者だけあって、本書に収録された数々の紀行随筆も、世界放浪記といった趣を漂わせている。

本書『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』では、海外旅行・国内旅行ともに、様々な旅の記録が収録されているが、主軸となっているのは、表題作「下駄で歩いた巴里」に代表されるパリ滞在記である。

ダンフェルの街からモンパルナッスまでは五、六丁、私はよく歩いて行きます。もうメトロにも自動車にも乗らないで、やけに歩く事。歩いている事が、いまの私に一番幸福らしい。歩いているより外に落ちつきようもない巴里の生活です。(林芙美子「下駄で歩いた巴里」)

林芙美子の旅行は、観光旅行というよりは、生活者としての旅行である。

いつもお金の心配をしている。

まさに、これは『放浪記』だ。

おかしな売春婦に付きまとわれて一緒に暮らすとか、滞在そのものが冒険となっている。

なにしろ「巴里では四軒ばかりもアパルトを変わった」くらいだから、やはり、生活者の目線から、著者はパリの街を見ていたのだろう。

井伏さん元気でしょうか、倫敦の日本宿に藤森さんを訪ねて行った時、応接室に古い文藝春秋がありました。その中に、シグレ島何とかいう井伏さんの小説が載っていました。なつかしかった。(林芙美子「ひとり旅の記録」)

ロンドンへ行ったときは、井伏鱒二を思い出している。

いつの時代も、みんな井伏さんが大好きだったんだなあ。

「シグレ島叙景」は、1926年(大正12年)『文芸春秋』に発表された短篇小説である。

この年、井伏さんは28歳だった。

ちなみに、ロンドンに滞在した1932年(昭和7年)、林芙美子は29歳で、井伏さんの方が4つくらい年上だったらしい。

冒険旅行だった林芙美子の旅

パリやロンドン以外の話もおもしろい。

中国からヨーロッパへ渡るときに経由したロシアの旅なんか、まさに冒険旅行そのものといった趣がある。

西比利亜の寒さは何か情熱的ではあります。列車が停るたびに、片栗粉のようにギシギシした雪を踏んで、そのへんをぶらぶら歩いてみるのですけれど、皆、毛皮裏の外套を着込んでいて、足にはラシャ地で製った長靴をはいています。(林扶美子「西比利亜の旅」)

鉄道旅行をしているだけなのに、林扶美子は実にいろいろな人たちと関わり合いになる。

人間が好きで、旅をしている人だったのだろう。

多彩な登場人物を見ていると、それだけで一篇の小説を読んでいるような気持ちにさせられてしまう。

国内旅行では、北海道旅行を書いた「摩周湖紀行──北海道の旅より」がいい。

この町では三浦華園と云うのがいいだろうと聞いた。荷物を三浦華園の宿引きに頼んで、私は暮れそめた滝川の町を歩いて宿へ行った。官吏とか商人とかちょっと足だまりに寄って行きそうな小さい町であった。(林扶美子「摩周湖紀行──北海道の旅より」)

滝川市にある<三浦華園>は、国木田独歩「空知川の岸辺」に出てくる<三浦屋>と、同じ宿屋である。

ただし、独歩は三浦屋で休憩しただけで、その後移動して歌志内に宿泊しているが。

滝川から根室線に乗って釧路に入ると、そこは石川啄木の町だ。

1935年(昭和10年)6月のことだから、もちろん石川啄木は既に存命ではない(1912年に死亡)。

ちなみに、石川啄木が釧路に滞在した1908年(明治41年)、林芙美子はまだ5歳で、「風琴と魚の町」に描かれる行商生活の直前くらいだったのではないだろうか。

本作『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』は、こんなふうにいろいろなことを考えさせてくれる楽しい紀行随筆集である。

「私の東京地図」や「下田港まで」もよかった。

そういえば、「皆知ってるよ」に出てきた「皆知ってる」というシャンソン、あれは、誰の何という曲だったのだろうか。

初めに出たのが薬屋よ!
薬屋の奴が牛肉屋にしゃべって
牛肉屋は喜んで石屋に話し
石屋驚いて村長に耳打ちし
村長は困った事だとカニュウのおやじにぶちまけてしまい
カニュウのおやじは大笑いものだと
町の楽隊屋にしゃべってしまった
楽隊屋は町中ブカブカふれて
今じゃ町中であいつのヒミツは皆知ってるよ

(林芙美子「皆知ってるよ」)

1931年(昭和6年)、パリのムーランルージュでは、そんな歌が流行っていたらしい。

書名:林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里
著者:林芙美子
発行:2003/06/13
出版社:岩波文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。