友部正人がすごい。
今年11月、『あの橋を渡る』(2020)以来、4年ぶりとなるオリジナル・アルバム『銀座線を探して』を発表。
12月には、ちくま文庫から『自選エッセイ集 歌を探して』が刊行された。
さらに、来年1月15日には、ミディ時代の全シングルとURC時代のシングル2曲を収録したベスト盤『友部正人シングルコレクション』の発売が予定されている。
毎月、友部正人をフォローしているだけで、それなりに充実した(そして忙しい)文化的な生活を過ごすことができるというわけだ(素晴らしい)。
ニューアルバム『銀座線を探して』は、2024年(令和6年)6月22日(土)と23日(日)の二日間に渡り、お客さんを入れてライブ録音されたもので、臨場感がいい(会場は吉祥寺のスターパインズカフェ)。
「日常」が「非日常」へと変わる不気味さ
アルバムタイトル曲「銀座線を探して」は、渋谷駅の再開発を歌った作品である。
デパートのシャッターが下りている
駅の場所が変わったらしい
十メートルごとの駅への表示
銀座線はこっちだよ
ガードをくぐって線路の反対側へ
いきなり雨が強く降って来た
見上げると雨が目に飛び込んでくる
駅がどこにあるかわからない
見たことのない街になったね、渋谷
(友部正人「銀座線を探して」)
「見たことのない街になったね、渋谷」というフレーズに込められているものは、「日常」が、いつの間にか「非日常」へ変わっていることの不気味さである。
それは、「日常」を形作っている当事者であるはずの「我々」でさえ気付かぬうちに、静かに変化を遂げていく。
エスカレーターで三階へ
ガラス張りのきれいな駅だ
ベルリンのU-Bahnの駅みたい
Suicaを使って入ってみたよ
おなじみの電車が止まっている
発車のちょうど十五秒前
雨にぬれたぼくたちは
車内を少し湿らせる
田舎者になったね、ぼくたち
(友部正人「銀座線を探して」)
「田舎者になったね、ぼくたち」というフレーズは、自虐というより、むしろ疎外感を強調して聞こえる(英語で言えば「stranger」)。
見知らぬ街を旅したときに感じる、あの寂しさ。
自分たちの生きている街で、自分たちを「よそ者」と感じさせる冷たい空気感が、新しくて美しい駅から感じられていたのだろう。
渋谷から電車で三十分
そんな隣町からやって来た
コロナで半年来ないうちに
街はすっかり変わってしまった
(友部正人「銀座線を探して」)
しかし、「街」は「コロナ」によって変貌したのではない。
コロナ禍という特殊な状況下において、なお、「街」は、自主的な再開発を進めていたのである。
そこからは、むしろ、たくましい生命力さえ感じられる。
人間を「置き去りにした」渋谷再開発
「街」の生命力は、そこで生きている人々の無力感を強くさせた。
ぼくが死んで半年したら
たぶんこんな感じだろう
ぼくはぼくのいない街にいて
ぼくのいない世界を眺めている
街は勝手に生きている
生きていた人を置き去りにして
それなら僕は森に帰ろう
森からもう一度出直そう
今度来たときはきっとすぐに
銀座線は見つかるよ
(友部正人「銀座線を探して」)
「ぼくはぼくのいない街にいて / ぼくのいない世界を眺めている」は、心身とも街に馴染むことのできない自分の姿を歌ったものだ。
ぼく(主人公)は、生まれ変わった街に、「ぼくが死んで半年したら / たぶんこんな感じだろう」と、疑似的な死後の感覚をとらえる。
コロナ禍で多くの命が奪われていく中でも「街は勝手に生きている」のだ。
しかも、「生きていた人を置き去りにして」。
かつて、「街」は人間とともに生きているのだと、誰もが信じていた(少なくとも、1970年代までの「街」は)。
再生する「渋谷」は、もはや、人間とともに生きる街ではない。
現代の「渋谷」は、生きている人々を「置き去りにして」、急激に生まれ変わっていく街なのだ。
「それなら僕は森に帰ろう / 森からもう一度出直そう」にある「森」は、人間とともに生きていくものの象徴である。
街は勝手に生きている
生きている人を置き去りにして
それならぼくは森に帰ろう
森からもう一度出直そう
(友部正人「銀座線を探して」)
渋谷駅を中心とする大規模再開発プロジェクトは、我々が知っている「街」(日常)を、知らない「街」(非日常)へと変化させた。
「街」と一緒に生きることの難しさが、そこにはある。
昔はそうじゃなかった(少なくとも1970年代までの時代は)。
もしかすると「森」は、誰もが「街」と一緒に生きていた、「あの時代」を象徴しているのではないだろうか。
日本全国の誰もが、自分たちの「銀座線」を探している
この歌は、「街」を否定したものではない。
本作「銀座線を探して」は、むしろ、かつて仲間だったはずの「街」に対する、呼びかけのメッセージだったのだ。
そして、渋谷だけではなく、日本全国多くの街で、多くの人々が、自分たちの「銀座線」を探している。
「北海道新幹線開業」という名のもとに再開発が進む札幌駅で、道に迷っている僕たちも、また、例外ではない。
昨日までの「日常」を「非日常」へと変えながら、「街」は、どこへ行こうとしているのだろうか。