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庄野潤三「花」アメリカで出会ったイタリアとメキシコの人妻たち

庄野潤三「花」あらすじと感想と考察

庄野潤三「花」読了。

本作「花」は、『小説中央公論』昭和36年(1961年)3月号に発表された短編小説である。

作品集では『休みのあくる日』(1975年)に収録された。

足も美人だが、胸はもっと美人だったイタリア女性

本作「花」は、庄野夫妻が、アメリカのガンビアで暮らしていた頃の体験を素材とした、いわゆる「ガンビアもの」の作品である。

ガンビアものとしては、帰国直後に執筆された『ガンビア滞在記』(1959)、後年に書かれた『シェリー酒と楓の葉』(1978)や『懐かしきオハイオ』(1991)という、3冊の長編作品があるほか、多くの短篇小説としても書かれている。

庄野夫妻は、ガンビアの隣町マウント・バーノンにある「国際婦人会」の活動を通して、多くの夫婦と知り合うことができた。

ビビイはイタリアのフローレンス生まれで、戦争でイタリアに派遣されていた現在の夫と知り合い、アメリカへやってきた。

私の妻はこの前の会で遅れて来たイタリア人の奥さんが小柄で非常に美しい人であったと話していた。私はそんな風に聞いていたせいか、最初はそれほど美人とも思わなかった。ただ、前に組んだ足が肉つきよく、形がよくて、足のきれいな人だと思った。帰りがけ、立ったところを見ると、胸全体が前にせり出しているように見え、その印象の方がもっと強く、「足も美人だが、胸はもっと美人だ」と私は思った。(庄野潤三「花」)

雪の積もっている二月の夕方、庄野夫妻は、ビビイと仲の良いリンダと一緒に、それぞれの夫婦を夕食に招待した。

リンダはメキシコ人で、夫のキニーは、マウント・バーノンで<リングウォルト>という小さな百貨店を経営していた。

約束の時間にキニー夫妻が到着したが、ビビイがまだ到着していないことを知ると、突然に慌てだした。

家を出るとき、ビビイから電話があって「これから出かける」と話していたという。

キニー夫妻が、ガンビアへ向かう途中、一台の自動車が道路から外れたところにひっくり返っていたので、もしかすると、ビビイ夫妻ではないかと考えたのだ。

キニーと庄野さんは、ビビイたちの安否を確認するため、自動車の事故現場へと向かった、、、

他愛ない思い出話の中に、人生のちょっとした機微がある

ガンビア滞在中、庄野さんは詳細な日記を付けて過ごした。

通称「ガンビア・ノート」と呼ばれるこの日記は、後年まで多くの作品を生み出すことになる。

庄野さんがケニオン大学に留学するため、ガンビアに滞在していたのは、1957年(昭和32年)の秋から1958年(昭和33年)の夏までの、ちょうど一年間である。

わずか一年間ではあるが、この一年間の間に、庄野さんは実に多くの体験をした。

なにしろ、大学の関係者しか住んでいないような小さな田舎町で、夫人と一緒に地元民のように生活していたから、アメリカの田舎町の暮らしが、そのまま庄野さんの体験になっている。

彼らは、日頃から互いを食事に招き合い、交流を深めた。

本作「花」の中にも、ビビイの家に招待されたときのことが記されている。

この日は最初にビスケット風のクッキーとお茶とコーヒーとパンの上にベーコンや卵をのせたものが出された。私の妻が一枚ずつ違った刺繡の入っている赤いナプキンを見て、横にいるリンダに、「きれいだ」というと、リンダは頷いてみせながら、この前と同じかすれた声でまるで囁くように、「ビューティフル」といい、すぐその後でこれはビビイがイタリアから持って来たものだと思うといった。(庄野潤三「花」)

特別の事件や事故が描かれているわけではない。

そう言えば──、アメリカで生活していた頃、こんなことがあったよ、、、

そんな土産話を聞くような楽しみが、庄野さんのガンビアものにはある。

他愛ない思い出話の中に、人生のちょっとした機微がある。

それが、庄野さんの短篇小説を読む醍醐味だと思う。

作品名:花
書名:休みのあくる日
著者:庄野潤三
発行:1975/2/10
出版社:新潮社

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。メルカリ中毒、ブックオク依存症。チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。札幌在住。