古いファイルを整理していたら、浜田省吾のライブ・チケットが出てきた。
「ON THE ROAD 2005」真駒内アイスアリーナのチケットである。
チケットは「2005年9月23日(金)」と「2005年9月24日(土)」の二日分あり、我々は2日連続で浜田省吾のコンサートを楽しんだらしい。
真駒内アイスアリーナの「ON THE ROAD 2005」
この年、浜田省吾は53歳で、僕は38歳だった。
あれから20年が経って今、僕は、当時の自分が分からなかったことの意味を理解しようとしている。
それは、2005年(平成17年)7月に発売されたアルバム『My First Love』の全国ツアーだった。
アルバムからは先行シングルとして『光と影の季節』と『I am a father』の2曲がリリースされている。
どちらも良い曲だった。
特に『I am a father』は、10歳になる娘を持つ一人の父親として、リアルに共感することができた。
額が床に付くくらい頭を下げ毎日働いてる
家族の明日を案じて 子供達に未来を託して
傷ついてる暇なんかない 前だけ見て進む
スーパーマンじゃない ヒーローでもない
疲れたどり着いた家 窓の明かり まるでダイヤモンド
I am a father.
(浜田省吾「I am a father」)
「♪迷ってる暇なんか無い 選んだ道進む~」という歌詞を聴いたとき、不覚にも涙が出た。
38歳にもなれば、人生に迷っている暇はない。
引き返すこともできない。
「選んだ道を進むしかない」という、強いメッセージを受け取ったのは、僕だけではなかったはずだ。
浜田省吾は、いつでも僕らの兄貴だった。
ライブ会場の真駒内アイスアリーナには、同世代の人たちが詰めかけていた。
アンコール前の最後の曲が『日はまた昇る』で、その前の曲『家路』を聴いたときの感動は忘れることができない。
ほとんどの人たちが座っていたけれど、一部のコアな古いファンだけは(つまり「古参」だけは)立ち上がって激しく拳を突きあげていた。
『家路』は座ったままで聴くような曲じゃないんだ!と叫びたかった。
青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見おろし
どんなに遠くてもたどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道出会う場所へ
(浜田省吾「家路」)
今、考えると「38歳」というのは、人間としてまだ若く、父親としてもまだ未熟だったかもしれない。
人生はどこまでも続く長い旅だ
あの頃、どうしても理解できない曲が『光と影の季節』だった。
やけつく砂漠で見上げた太陽
綺麗な街 見とれて迷い込んだ路地
果てなく続いてるフリーウェイの彼方
荒れ狂う海を越えて目指した港
光と影 興奮と失意
でも どんな時にも想うことは ただ……
君に逢いたくて戻って来たよ
長い旅路の果てに見つけた絆
(浜田省吾「光と影の季節」)
あれから20年が経った今、僕はこの歌詞に(リアルに)共感することができる。
なぜなら、「やけつく砂漠で見上げた太陽」や「綺麗な街に見とれて迷い込んだ路地」も、「果てなく続いてるフリーウェイの彼方」や「荒れ狂う海を越えて目指した港」も、それは僕自身の人生でもあったからだ。
「光と影の季節」は、50代を迎えた男の歌だ。
人生の中の様々な出来事を乗り越えてきた男の感慨が「光と影の季節」である。
静かな雪原に沈んでく夕日
大都市 汗ばむ午後 鄙びたホテル
谷間に架かる橋 尾根を渡る風
優しい一夜だけの湿った肌
光と影 過ちと償い
でも どんな時にも想うことは ただ……
君に逢いたくて戻って来たよ
長い旅路の果てに見つけた絆
(浜田省吾「光と影の季節」)
いくつかの幸せがあり、いくつかの過ちがあった。
詩的に描かれている風景描写は、すべて我々の人生を意味するものだ。
光と影の季節をすり抜けながら、我々は「50代」まで来てしまったのである。
あの頃の僕は、この曲の(本当の)意味を理解することができなかった。
そして、今、僕は自分自身の光と影の季節として、この歌を理解することができる。
なにしろ、今の僕は、あの頃のハマショーよりも年を取ってしまったのだから。
『光と影の季節』は、名曲『家路』へのアンサーソングだった。
どんなに遠くてもたどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道出会う場所へ
(浜田省吾「家路」)
浜田省吾にとって、人生は常に「旅」である。
それは、どれだけ歩いてもたどり着くことのできない「長い旅」だ。
それでも、我々は歩き続けるしかない。
どんなに遠くても、どんなに遠くても、どんなに遠くても──。
あのとき、ステージ上の浜田省吾を観ながら、僕は「ハマショーも年を取ったなあ」と思っていた。
でも、あの頃のハマショーは「自分が年を取った」なんて考えてもいなかったかもしれない。
全力で走り続けている者には、決して「年齢」など見えないからだ。
光と影 栄光と挫折
でも どんな時にも想うことは ただ……
君に逢いたくて戻って来たよ
長い旅路の果てに見つけた絆
長い旅路の途上で夢見た季節
(浜田省吾「光と影の季節」)
あの頃の浜田省吾にとって、人生は「長い旅路の途上」だったように、僕たちもまだ「長い旅の途上」を歩き続けている。
人生はどこまでも続く長い旅であることを教えてくれたのは、やはり浜田省吾だった。
懐かしい『光と影の季節』を聴きながら、今、僕は考えている。
この曲は20年後の僕たちに対する応援歌だったのかもしれない、と。


