山口瞳「居酒屋兆治」読了。
本作は、昭和54年(1979年)から昭和55年(1980年)にかけて、新潮社の「波」に連載された長編小説である(連載時のタイトルは「兆治」)。
昭和58年(1983年)、高倉健の主演で映画化された。
映画の舞台は北海道函館市だったが、原作のモデルは東京都国立市にあった居酒屋「文蔵」。著者の山口瞳も常連客だった。
酒と酔いが見せる男たちの寂しさ
主人公はモツ焼き屋の主人<藤野伝吉>である。
本名は藤野だが、常連客は店の名前から「兆治」と呼んでいる。
「兆治」の名前は、ロッテオリオンズのエース投手だった<村田兆治>に因む。主人公<藤野>も高校野球のピッチャーだった。
兆治は、もともとサラリーマンだったが、上役に嫌われて、会社の合理化を進める担当を命じられる。
同僚の首を切る仕事は、彼には向いていなかった。
兆治は辞表を出して、やがて、今のモツ焼き屋を始めた。
妻の<茂子>は、サラリーマンの家へ嫁いだつもりでいたから、ずいぶん、がっかりしたらしい。
茂子と結婚するずっと前、兆治には<さよ>という恋人がいた。
そのとき、<さよ>は16才で、兆治は25歳の新入社員だった。
地元の名士に見初められた<さよ>は、兆治と別れて結婚した。
それが、今から十六、七年も昔のことになる。
物語は、兆治のそんな過去を通奏低音のようにして進んでいく。
兆治の店には、地元の知人や友人が訪れた。
生命保険会社に勤めている<堀江>は、会社が休みになった土曜日にも出勤しないではいられない。
「ところが、何と言うか、体のほうが納得しないんですね。なにしろ、外地から復員してきて、ずっと、めちゃくちゃに働いてきましたからね。最初は繊維の会社で、証券会社にもいましたし、小さな印刷所をやっていたこともあるんです。体を苛めることに馴れてしまったんですかねえ」(山口瞳「居酒屋兆治」)
堀江は「窓際族って、あれ、窓際族のうちはまだいいんです。そのうちに、仕事がなくなってしまいましてね。もっとも、今年の暮で停年になるんですが」と、寂しそうにつぶやいた。
<相場>は、第一小学校の先代の校長である。
停年退職直前に、三十歳近くも年齢が離れている元・教え子<多佳>と結婚して、評判を悪くしてしまった。
多佳が孤児であることを知っている者は、そう多くない。
だから、兆治には「美談と醜聞とは紙一重の差だという気がしてくる」のだ。
その相場の、小学四年生になる息子が、集団万引きをしたという。
二十二、三歳の若い女性担任は、「あなたのお子さんは悪くないんです。悪いのが一人おりまして、、、」と言った。
「ですから、私、言ってやったんです、おやめなさいって。悪いのはうちの坊主ですって。うちの坊主が首謀者なんだって。みんなにそう言ってくださいって…。昔のようにね、親の前で息子を殴ってくれたほうが、どれくらい気が楽だか知れやしない」(山口瞳「居酒屋兆治」)
そして、相場は「若い女房を貰うっていうのは、人の思うようなことじゃないんですね。これ、残酷なんですよ。悲惨ですよ」と、寂しそうに笑った。
兆治の店には、寂しい男たちが集まってくるのだろうか。
そうではないだろう。
寂しさを抱えて生きているのが、現代の男たちなのだ。
酒と酔いが、男たちの寂しさを、少しだけ見せてしまうだけのことに過ぎないのである。
酒と歌謡曲が、男たちの慰めという時代だった
兆治と別れて、神谷鉄工の<久太郎>と結婚した<さよ>は、幸せになれないでいる。
子供が生まれて間もなく、鉄工所に勤めている大学を出たばかりの若い男と、家を出てしまった。
久太郎が説得して、どうにか元の鞘に収まったかに見えたが、今度は<さよ>の不注意が原因で火事を出してしまう。
神谷鉄工は全焼し、<さよ>は姿を消した。
警察は、兆治と<さよ>の関係が怪しいと睨んでいる。
「神谷久太郎が結核患者であったことは、あなたもさよも知っていましたね」「…違います。絶対にそんなことはありません。私は、ただ、自分の目の前にいる、自分の愛している、いや、自分に親しい女が幸福になれる、何不自由のない、私が憧れていた生活に入れるって、そのことだけを考えていたんです。そんな時代だったんです」(山口瞳「居酒屋兆治」)
昭和20年代、誰もが戦争の傷跡を抱えながら生きていた。
安定した普通の生活を過ごすことが、まだまだ憧れの暮らしだったのだ。
<さよ>の葬式で、兆治の仲間たちは歌謡曲を歌った。
「銀座の恋の物語」「アカシヤの雨が止むとき」「君恋し」「昔の名前で出ています」、、、
酒と歌謡曲が、男たちの慰めという時代だった。
書名:居酒屋兆治
著者:山口瞳
発行:1982/6/25
出版社:新潮社