読書体験

小沼丹「風光る丘」昭和のホームドラマ的な青春ロード小説は甘酸っぱい

小沼丹「風光る丘」昭和のホームドラマ的な青春小説は甘酸っぱい

小沼丹「風光る丘」読了。

本作「風光る丘」は、1961年(昭和36年)9月から1962年(昭和37年)5月まで地方新聞七紙に連載された長編小説である。

連載開始時、著者は43歳だった。

単行本は、1968年(昭和43年)6月に集団形星から刊行されている。

昭和のホームドラマ的な青春小説

この小説に描かれているのは、青春の日の若さである。

そして、その若さは、一台のポンコツ自動車によって結ばれた、それぞれにちょっと個性的な四人の男子大学生を中心に描かれている。

終盤、<ガラ・クラブ>の会計担当で、哲学者のような学生<石橋渡>は、こんなことを述べている。

「ガラ・クラブは」と、石橋は真面目臭って云った。「一台のボロ自動車を中心に集った会であります。車はボロでありますが、この車を通じて、われわれの心は固く結ばれています。このボロ車は、われわれを結ぶ絆であって、この絆に結ばれたわれわれは過去、現在、未来を問わず、相携えて平和のために前進するのであります」(小沼丹「風光る丘」)

石橋渡の話は相変わらず大袈裟だが、「この車を通じて、われわれの心は固く結ばれています」という言葉に間違いはない。

そして、このボロ車を通じて、彼らは様々な人たちと出会う。

物語が大きく進展するのも、彼らがポンコツ自動車に乗って長野まで旅行をする夏休みからだった。

このドライブ旅行で、彼らは多くの人々と関わりを持つが、そのほとんどが、本作で重要な登場人物となっている。

とりわけ、読者の関心を呼ぶのは、<広瀬小二郎>と<立花鮒子・鮎子>姉妹との微妙な関係の行方だろう。

この小説のストーリーは、男子学生<広瀬小二郎>と亀屋旅館の娘<丸山亀子>との結婚を目論む大人たちの巧妙な作戦を軸としているのだが、逞しい小二郎は、大人たちの目論見をものともせず、自身の青春を築き上げていく。

そこに、兄<太一郎>と週刊誌の美人記者<吉野玲子>との恋愛問題なども絡み合って、物語は退屈する間もなく、次々と局面を新たにしていくのだが、亀屋旅館の主人<ツルカメヤ>やハリー・ベラフォンテそっくりの住職<ベラフォンテ和尚>、結婚話をまとめることが生き甲斐の<山野百合子女子>など、若者たちを取り巻く大人連中も、みな溌溂として、いい仕事をしている。

この作品に描かれている若さとは、若者たちだけの若さではなく、彼らを取り巻く大人たちの若さでもあるだろう。

いかにも、昭和のホームドラマ的な青春小説だが、特に印象に残るのは、恋人たちの陰で寂しさをひた隠しにしている健気な女子大生<立花鮒子>だ。

「そうなのよ」と、鮒子が云った。「淋しがり屋にもいろいろあるわ。淋しさをじっと我慢して表に出さないひともあるし、誰かにたよりたがるひともあるし、淋しさを紛らわせようとして逆の行動をとるひともあるわ」(小沼丹「風光る丘」)

この物語は、鮒子がアメリカ留学へ旅立ったところで終わるが、あるいは、この小説の本当の主人公は、立花鮒子という寂しい女子大生だったのかもしれない。

娯楽小説に留まらないメッセージ

個性的な登場人物が次々と登場する本作だが、キャラクターに仕掛けがあるとはっきり分かったのは、運徳寺の住職、通称ベラフォンテ和尚が登場したところからだ。

本堂の奥の方には、古ぼけた駕籠が二挺あって、書院の板戸には見事な花鳥風月が描かれている。

そして、この絵を、小説家の<多良鯉三先生>が感心していたとあるのは、小沼丹の短編小説「埴輪の馬」に出てくるエピソードである(弘光寺というお寺さんの話)。

多良鯉三先生は芸術院会員で、独自の境地を示す作風をもって知られる大家である。そんな先生がこの寺まで来たと云うのだから、黄色いシャツを着た住職を、一同が改めて見直したのも無理はない。(小沼丹「風光る丘」)

芸術院会員の多良鯉三先生は、もちろん清水町先生(井伏鱒二)で、この多良鯉三先生の名前は、この後も随所に登場する。

そう思って読んでいくと、本作の登場人物は、いかにも小沼丹の作品に登場しそうな人たちばかりである。

例えば、冒頭から登場するフランス文学の<上村教授>は、阿佐ヶ谷会のメンバーでもあった村上菊一郎を思わせるし、詩人の<南条九十一先生>は西城八十で、外国製の大きな鞄を持った<福島虎之助>は、短編「大きな鞄」に出てくる<関口某>だったりと、意外な発見が多い。

こうした多彩なキャラクターたちが、本作を楽しく生き生きとした物語にしていることは確かだろう。

そして、ほのぼのしたエピソードの中に、時々、ハッとさせられる文章が入る。

「相変らず、水の音が聞えるな」小二郎は呟いた。成程、渓流の水音が聞える。「妙なものだな」と洞口が云った。「俺たちが聞いていようといまいと、川はいつでも水音をたてているんだからな」(小沼丹「風光る丘」)

こういう仕掛けがあるから、小沼丹の小説は油断がならないと思う。

本作「風光る丘」は、あくまでもエンタメ小説であり、爽やかな青春小説だけれども、娯楽小説に留まらないメッセージを受け取ることは可能だ。

こういう長篇小説を、もっと読みたかったなあ。

書名:風光る丘
著者:小沼丹
発行:2005/03/15
出版社:未知谷

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。