庄野潤三『けい子ちゃんのゆかた』読了。
本作『けい子ちゃんのゆかた』は、2005年(平成17年)4月に新潮社から刊行された長篇小説である。
この年、著者は84歳だった。
初出は、2004年(平成16年)1月~12月『波』(連載)。
親族とご近所さんのエピソード
本作『けい子ちゃんのゆかた』は、夫婦の晩年を描いたシリーズの第10作目の作品である。
このシリーズは、次作『星に願いを』をもって終了するので、ほぼシリーズ終盤の作品と言っていい。
シリーズの作品を順番に読み比べていくと分かるが、『貝がらと海の音』や『ピアノの音』といったシリーズ初期の作品と比べると、内容は著しく薄くなっている。
つまり、作家の日常が、非活動的になっているのだ。
なにしろ、74歳のときから始まったシリーズである。
高齢を考えると、日常生活が静的になってくるのは当たり前で、むしろ、この年齢で、よくぞ連載を10年も続けたと驚くべきだろう。
そんな背景事情もあって、本作『けい子ちゃんのゆかた』では、驚くほど何も起こらない。
孫(けい子ちゃん)の浴衣の寸法を、庄野夫人が直してあげたというエピソードが、最初にある(これが作品タイトルになった)。
けい子ちゃんは長沢小学校の五年生である。小学五年といえば、かなり背の高い子もいるのではないだろうか。ところが、けい子ちゃんはクラスでいちばん背が小さい。それでは大人のゆかたが着られなかったのもムリはない。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
けい子ちゃんは、西長沢の自宅で暮らしている長男(龍也)の長女である。
お母さん(長男の嫁)は「あつ子ちゃん」で、「龍太(りゅうた)」という弟がいる(小学三年生)。
次男(和也)は、読売ランド前の坂の上の二階家に住んでいる。
次男は、子供が二人生れて手狭になったので決心して、読売ランド前の坂の上の、年より夫婦が住んでいた手ごろな二階家を見つけて、ここを銀行ローンで買うことにしたのである。小さな庭もあって、間どりもよく、なかなかいい家であった。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
次男がマイホームを買って引っ越していく話は『さくらんぼジャム』(1994)に詳しい。
次男はレコードと書籍を販売する会社の新星堂に勤めているが、なかなか忙しくて、日曜日も出勤する。休みの日もきまっていなくて、いつ休みがとれるかは、前日にならないと分らないという。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
妻の名前は「ミサヲちゃん」で、女の子と男の子、二人の子どもがいる。
次男のところには、高校一年在学中の女の子と中学一年の男の子がいる。長女は文子というのだが、次男一家がまだ長男一家のいる「山の下」のすぐそばの二間の借家に暮していたころから、私たちはフーちゃんといって親しくしてきた。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
フーちゃんは、庄野文学の晩年を支えたアイドル的存在と言っていい。
それにしても、『さくらんぼジャム』で幼稚園児だったフーちゃんが、本作『けい子ちゃんのゆかた』では女子高生になっているのだから、時の流れは速い。
生田高校の文化祭の日。フーちゃんの吹奏楽部の演奏会があるので、次男が車で連れて行ってくれる。フーちゃんは生田高校に入って、部活を何にするだろうと思ったら、吹奏楽をやることにした。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
高校生になった現在も、フーちゃんの存在感は大きい(回想シーンを含めて)。
フーちゃんの弟の春夫は、西生田中学校の一年生。
ひ孫の誕生は、晩年の大きなドラマである。
足柄の長女の長男のところに生れた赤ちゃんを見に長女と妻と一しょに三人で登戸の鈴木産婦人科へ行く。二階のすみの病室。昨日の夕方、和雄から「女の子が生れました。二人とも元気です」と電話がかかり、よろこんだ。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
長女(今村夏子)の長男(和雄)は、『野鴨』(1973)の中で、生まれたばかりの幼い赤ん坊として登場している。
嫁は「梅原聡子ちゃん」で、子どもの名前は「春菜」に決まった。
庄野さんにとっては、良雄(長女の次男)と陽子ちゃんのところに生まれた「萌花(もえか)ちゃん」に続いて、二人目のひ孫の誕生である。
親族に続いて、ご近所さんのエピソードも多い。
山田さんは建築会社に勤めるご主人に先立たれたあと、手芸の編物をお弟子さんに教えてひとり暮しを続けている方である。妻が山田さんに頼んで私のために編んで頂いたカーディガンが何着もある。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
バラの花を育てていた清水さんも亡くなって、20年の間にご近所さんも変化した。
『山田さんの鈴虫』で書名にもなっている山田さんの登場回数が多い。
山田さんのおかげで私たちは新潟に深い親しみを覚えるようになった。で、一度、長女も入れて三人で新潟へ行き、山田さんの弟さんが車で案内してくれた海のそばの岩室温泉の旅館に一泊したことがある。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
山田さんの妹のお嬢さん(綾ちゃん)の話もいい。
水戸の妹さんには、高校へ行っているお嬢さんが一人いる。「綾」という名前である。(略)小柄な、かわいい子である。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
庄野さんは、講談社文芸文庫『夕べの雲』に「荒木綾様」と書いて、渡してあげたという。
柳沢有美ちゃんは、庄野夫人がピアノ教室へ通うきっかけを作ってくれた女の子。
何年か前からクリスマスに有美ちゃん親子が来てお茶の会をするようになった。妻の話では有美ちゃんは出されたサンドイッチも菓子パンも残さず食べるし、紅茶には角砂糖を二つ入れるそうだ。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
近所の女の子ではもう一人、藤城可奈ちゃんが登場する。
一回目の散歩のとき、スーパーマーケットのOKへまわり、妻に頼まれた野菜、果物、パンなどを買って帰ろうとしたら、エレベーターの中でご近所の藤城さんの可奈ちゃんと一しょになった。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
「藤城さん」とあるのは、元・プロ野球選手(藤城和明)のことで、可奈ちゃんは藤城さんの長女である(妹は依里ちゃん)。
庄野さんの周りには、気立ての良い女の子が多く集まっていたらしい。
亡くなった仲間たちを偲ぶ
随筆集『孫の結婚式』が完成した話は、本作『けい子ちゃんのゆかた』では、重要なエピソードのひとつだ。
午後、高柳さんから電話あり。今度講談社から出る私の四年ぶりの随筆集『孫の結婚式』が出来ました。脇田和さんの装画が明るくてとってもいいですと知らせてくれる。午後、高柳さん本を届けてくれる。高柳さんのいった通り、脇田和さんの画を頂いて、野崎麻理さんが装丁を担当してくれた表紙がとてもいい。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
随筆集『孫の結婚式』は、2002年(平成14年)9月に刊行されているから、本作『けい子ちゃんのゆかた』は、2002年(平成14年)9月から始まる物語であることが分かる。
お昼を食べてから、妻は新宿紀伊國屋へ『孫の結婚式』を見に出かける。いつも私の本が出たとき、私の本が新刊書の棚にどんな具合におかれているかを見にゆくのが妻の楽しみ。よく目立つ場所に平積みにしてあるとよろこび、景気づけに一冊、買って帰る。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
庄野家において、本を作るということは、家族の共同作業のようなものだった。
『孫の結婚式』は四年ぶりに講談社から出た私の随筆集。二ところに並べてあり、一つは七冊、一つは五冊積んであったという。景気づけに今日も一冊、買って来た。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
庄野夫人は、二度に渡って、新宿の紀伊國屋書店までパトロールに出かけている。
午後、講談社の高柳さんより電話かかり、九月に出た随筆集『孫の結婚式』の売れゆきがよくて、重版二刷がきまりましたと知らせてくれる。よろこぶ。担当してくれた高柳さんもうれしそうだった。ありがとう。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
こうして流れを追っていくと、この時期、庄野家にとって『孫の結婚式』の出版は、大きなドラマとして位置づけられていることが理解できる。
次男、重版のことを聞いて、「おめでとうございます」という。私の本が出たときは、いつも三人の子供に本を贈ってやる。足柄の長女のところでは、壁ぎわの本棚に私からこれまで貰った本を並べてある。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
新しい連載小説の話題も、本作『けい子ちゃんのゆかた』における、大きなドラマのひとつと言っていいだろう。
新年号から始まる「文学界」の連載を祝うために、編集長の細井さん、担当の新井さん、出版の村上さんら、二時半に来宅。居間の卓をかこんで冷酒でカンパイ。妻の手料理でおもてなし。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
2003年(平成15年)1月から『文学界』では、夫婦の晩年シリーズ『メジロの来る庭』の連載が始まっている。
「文学界」の新年号から新しく連載の「メジロの来る庭」が始まる。その第一回のゲラを戻すので、速達の封筒を郵便局の窓口に出しに出かける。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
作家の日常を描いた物語だから、連載の裏話みたいな世界に触れることができる。
「メジロの来る庭」は、文芸誌を舞台にして私が続けている連作の仕事の九作目になる。子供らがみな結婚して、「山の上」(と子供たちは両親の住む家のことをいっている)に二人きり残された私たち夫婦が、いったいどんなことをよろこび、どんなことを楽しんで暮しているかを描く小説である。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
本作『けい子ちゃんのゆかた』の連載は2004年(平成16年)だから、作中では、ほぼ1年前の生活を辿っていることになる。
2月のところでは、82歳の誕生日を迎える様子が描かれている。
「おじいちゃん、八十二歳のおたんじょう日、おめでとうございます。これからも元気で沢山歩いてね。三月二十六日にブラスバンドの定期演奏会があります。ききに来てね」(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
手紙は、生田高校の吹奏楽部でサックスを吹いているフーちゃんから届いたものだ。
ともに文学を語った仲間の多くは、既に他界している。
小沼は明るくて軽快な曲が好きだった。私が毎晩、夜のハーモニカで「カプリ」を吹くようになったのは、なぜだろう? 私も妻もこの「カプリ」が好きなのだが、こうしてずっと毎晩続けるのは、亡き友の冥福を祈る気持があるからだろう。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
小沼丹の死も、庄野さんの中では、既に昇華されていたらしい。
昔、井伏さんがお元気なころ、この「くろがね」にみんな集まって、井伏さんを囲む会をひらいた。メンバーには小沼丹に村上菊一郎、新庄嘉章さんらワセダの人が多かった。世話役は講談社の川島勝。みなよく飲み、「お酒、お酒」という声がとびかった。このメンバーのうち、村上さん、新庄さんら亡くなった方も多くなった。さびしい。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
「村上さん、新庄さんら亡くなった方も多くなった。さびしい」という文章には、生き残ることの寂しさが溢れている。
亡き小沼丹と私とは、「くろがね」の開店以来の常連客であった。先代のおかみの「おけいさん」が亡くなったあと、おけいさんの姉のかおるさんとおけいさんの次女の信子(しんこ)ちゃんの二人で店をやっている。(庄野潤三「けい子ちゃんのゆかた」)
亡くなっていく仲間たちと、新しいひ孫の誕生。
世代交代の顕著なところが、最晩年の作品ということを示していたのかもしれない。
本作『けい子ちゃんのゆかた』は、特別のドラマは何ひとつ起こらない、究極の日常小説である。
特別な事件の起こらないところに、平穏な暮らしを願う庶民の祈りがある。
むしろ、平穏な暮らしがあるからこそ、庄野さんの日常は小説になったのかもしれない。
書名:けい子ちゃんのゆかた
著者:庄野潤三
発行:2009/10/01
出版社:新潮文庫