友部正人の「乾杯」は、日本中の注目を集めた「あさま山荘事件」をモチーフに、偽善的な現代社会への絶望を歌ったトーキング・ブルースだ。
「おお、せつなやポッポー、500円分の切符をくだせえ」は、黒人詩人(ラングストン・ヒューズ)へのオマージュである。
ニグロの絶望は、70年代を生きる若者の絶望でもあった。
友部正人「乾杯」のテーマは「偽善社会への絶望」
「乾杯」を聴いたのは、URCレコードのオムニバス・アルバム『うた・復権はみだし歌番組』だった。
友だちの部屋に泊まった翌日、平岸街道沿いにオープンしたばかりの中古レコードショップ『ページ・ワン』で見つけたものだ。
1986年(昭和61年)で、僕は大学1年生だった。
「連合赤軍5人逮捕、泰子さんは無事救出されました」
金メダルでもとったかのようなアナウンサー
かわいそうにと誰かが言い
殺してしまえとまた誰か
やり場のなかったヒューマニズムが今やっと
電気屋の店先で花開く
(友部正人「乾杯」)
「乾杯」は、1972年(昭和47年)の「あさま山荘事件」をモチーフに歌ったトーキング・ブルースである。
そこで歌われているのは、偽善的な現代社会に対する絶望だ。
ニュースが長かった2月28日を締めくくろうとしている
死んだ警官がかわいそうです
犯人は人間じゃありませんって
でもぼく思うんだ、やつら
ニュース解説者みたいにやたら情にもろくなくてよかったって
(友部正人「乾杯」)
連合赤軍への怒りに満ちた多くの市民に、薄っぺらいヒューマニズムを感じる主人公(ぼく)は、疎外感を隠せない(「どうして言えるんだ、やつらが狂暴だって」)。
そこには「ついさっき駅で腹を押さえて倒れていた労務者にはさわろうともしなかったくせに、泰子さんだけにはさわりたいらしい」一般大衆への激しい憤りがある。
いつだって、世の中はエゴと偽善に満ちたものだ。
芸能人とフジテレビのスキャンダルに嬉々として群がる大衆の姿に、この歌を思い出した友部正人ファンも少なくないかもしれない。
若者が歌った青臭い義憤は、そのまま、このトーキング・ブルースのすべてだと言っていい。
結局その日の終わり、取り残されたのはいつものぼくたちだ
(友部正人「乾杯」)
2025年(令和7年)1月に発売された『シングルコレクション』に収録されているのは、1972年(昭和47年)「もう春だね」のカップリングバージョンで、「第2回春一番コンサート」で録音されたライブ音源。
アルバム『にんじん』バージョンでは「結局その日の終わりに取り残されたのは、朝から晩までぽかんと口を開けてテレビを見ていた僕くらいなもの」と歌っている部分、歌詞カードでは「取り残されたのはいつものぼくたちだ」と記載されている。
ぼくは戸を横に開けて表へ出たんだ
するとそこには鼻も耳も口もないきれいな人間たちが
右手にはし、左手に茶碗を持って
新宿駅に向かって行進しているのを見た
「おお、せつなやポッポー、500円分の切符をくだせえ」
(友部正人「乾杯」)
若者の絶望は「500円分の切符をくだせえ」というフレーズに象徴されている。
この街から(つまり、この社会から)逃げ出したいと願う若者の祈りが、この一行には込められている(しかし、金はない)。
当時の「500円」には、どのくらいの価値があったのか。
同じ1972年(昭和47年)に、かぐや姫が歌った「田中君じゃないか」では、「300円」が歌われている。
財布の中を見たら百円玉 三つ
これでは今夜もまた
ラーメンライスなのか
(かぐや姫「田中君じゃないか」)
300円あれば、ラーメンにライスを付けて食べるくらいは可能だったらしい(なにしろ、ラーメンは庶民の味方だった)。
つまり、500円ぽっちでは、そう遠くまで逃げることはできないことが分かる。
偽善的な現代社会への絶望は、この街から逃げ出すこともできない状況への絶望としても読むことができる。
絶望を「500円」という言葉で表現したところに、この歌のすべてが凝縮されているのかもしれないが、「500円分の切符をくだせえ」というフレーズを最初に歌ったのは、高田渡率いるフォークグループ(武蔵野タンポポ団)だった(「ミッドナイトスペシャル」)。
もっとも「500円分の切符をくだせえ」という言葉の源流が、ニグロの怒りを詠った黒人詩人(ラングストン・ヒューズ)にあることは、あまり知られていないらしい。
黒人詩人ラングストン・ヒューズのブルース
ラングストン・ヒューズは、黒人詩人である(1967年に死んだ)。
ラングストン・ヒューズは、一九〇二年二月一日に、アメリカ合衆国の中西部、ミズーリ州のジョプリンに生れた。父系にも母系にも白人の血がながれる混血児だが、合衆国では「いくらかでも血管に黒人の血がながれているもの」がみんなそう呼ばれるように、黒人の詩人である。(木島始「ラングストン・ヒューズ詩集」あとがき)
ヒューズは、黒人の言葉で、白人社会への抗議を歌った。
例えば、「十字架」は、白人(父親)と黒人(母親)の間に生まれた混血児をモチーフに、差別社会を糾弾する。
ぼくのおやじはすごいおやしきで死んだ
ぼくのおふくろは掘立小屋で死んだ
ぼくは一体どこで死ぬんだ?
白くも黒くもないこのぼくは
(ラングストン・ヒューズ「十字架」)
「私刑のうた」は、白人に虐殺される黒人少年の怒りを描いている。
ロープを 引っぱれ!
おい、高あく 引っぱれ!
白人たちを生かし
黒人の男の子を 死なせろ。
その 黒人の男の子の
動かなくなった 屍が
云っている、──
ボク ジャナイ
(ラングストン・ヒューズ「私刑のうた」)
ラングストン・ヒューズの詩には、黒人として生きることの絶望がある。
ぼくは犠牲だった、──
ベルギー人たちは、コンゴーでぼくの両手を切った。
やつらは、いまミシシッピーで、ぼくをリンチする。
(ラングストン・ヒューズ「黒人」)
こうした絶望は、多くの逃避願望を生み出している。
おれは人生ひろいあげ
はこんでいくんだ。
片道切符で──
北部へ行くんだ、
西部へ出ていくんだ、
出ていっちゃうんだっ!
(ラングストン・ヒューズ「片道切符」)
そこでは、多くの黒人たちが、汽車に乗ることを夢見ている。
鉄橋が ひびかせる のは
悲しい かなしい うた
鉄橋が ひびかせる のは
悲しい かなしい うた
列車が とおって ゆく たびに
ぼくは どっかへ 行きたく なるんだ。
(ラングストン・ヒューズ「ホームシック・ブルース」)
ラングストン・ヒューズの作品の多くは、ブルースの形式に従っている。
「500円分の切符をくだせえ」の出典元である「七十五セントのブルース」も、やはり、ブルース形式の作品だった。
どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符を くだせい
ね どっかへ 走っていく 汽車の
七十五セント ぶんの 切符を くだせい ってんだ
どこへいくか なんて 知っちゃ いねえ
ただもう こっから はなれてくんだ。
いい子だな ちょい 好きになるってのを おくれ、
でも ながすぎねえように してくんな。
ちょい 好きになるっての、いい子だな、でも
ながすぎねえように してくんな。
ちょっとのま 甘えようにしてくんな、おめえの好きになんのはな、
それなら ごろごろ 乗ってけるんだ。
ごろごろ 乗ってかなきゃな?
(ラングストン・ヒューズ「七十五セントのブルース」)
「七十五セントのブルース」(原題「Six-Bits Blues」)も、やはり、絶望のブルースだ。
黒人男性の絶望は「七十五セントぶんの切符をくだせい」という言葉で歌われている。
友部正人が歌う絶望は、黒人詩人が歌う絶望でもあったのかもしれない。
そして、彼らが歌う絶望は、偽善的な世の中に突き付けられた銃口でもある。
ウディ・ガスリーのギターに「This Machine Kills Fascists」と刻まれていたように(このギターでファシストを殺すんだ!)
しかし、大切なことは、ラングストン・ヒューズは、アメリカ人であることを諦めはしなかった、ということだろう。
ぼくは色のくろい兄弟だ。
お客がくると
台所で食事をしろと
かれらはぼくを追いやるが、
ぼくは笑い、
よく飯をくい、
強くなるんだ。
明日は
お客がきても、
ぼくはテーブルに座るんだ。
ぼくもまた、
アメリカなのだ。
(ラングストン・ヒューズ「ぼくもまた」)
絶望の底で、ラングストン・ヒューズは、アメリカを歌った。
おお、アメリカを再びアメリカにしよう、──
未だいちどもなったことはないのだが、──
だが必ずやなるにちがいない国土にしよう──
「あらゆる」人が自由な国土に。
(ラングストン・ヒューズ「アメリカを再びアメリカにしよう」)
「自由な国」を標榜するアメリカで、黒人詩人は、自由な国・アメリカを夢見ていたのである。
1991年(平成3年)、中央アート出版社から『ジャズ詩大全』の刊行が始まった。
ブルースの詩が並んでいるのを、東急ストア(現在の東光ストア)の本屋で立ち読みしながら、ぼんやりと僕も「どこか遠くへ行きたいかもしれない」と考えていた。
あのとき、死ぬほど欲しかった『ジャズ詩大全』だったけれど、失業したばかりの僕には、もちろんお金なんてなくて、同棲中の彼女の好きなコミック雑誌を買うのが精いっぱいだった。
「七十五セントぶんの切符をくだせい」という詩を読んだのも、あの頃立ち読みした『ジャズ詩大全』が最初だったのではないだろうか。
僕が実際に札幌の街を離れるのは、その翌年のことだった。
「♪500円分の切符をくだせえ~」という歌を口ずさみながら。
書名:ラングストン・ヒューズ詩集
著者:ラングストン・ヒューズ
訳者:木島始
発行:1966/06/15
出版社:思潮社