カーラ・ブルーニ『ケルカン・マ・ディ〜風のうわさ』は、2002年(平成14年)に発表されたデビュー・アルバムである。
原題は「Quelqu’un m’a dit」。
スーパーモデル兼シンガーソングライターの誕生だった。
古民家カフェとアコースティック・サウンド
2005年(平成17年)頃、札幌の古民家カフェ『森彦』では、カーラ・ブルーニの曲が流れていた。
個性派カフェにとってBGMは、お店の雰囲気を構成する重要な要素だ。
僕は、今でも、カーラ・ブルーニを聴くと、あの頃の『森彦』を思い出す。
当時、カーラ・ブルーニのファースト・アルバム『ケルカン・マ・ディ〜風のうわさ』は、日本でも大きな話題となっていた(日本版の発売は2004年)。
なにしろ、スーパーモデルが、自分で作った曲を、自分でギターを演奏しながら歌っているのだ。
そして、どの作品も、メランコリーでエロティックに完成されていたから、このアルバムが、日本でも大ヒットすることに不思議はなかった。
「作詞・作曲をせずに、他人の作品を歌う、つまり歌手になる、という選択肢はありませんでした。私は自分で曲を書くのが好きなのです。ギターは上手いわけでは決してないのですが、自分で伴奏できるのがいい」(カーラ・ブルーニ)
収録作品のほとんどは、自宅で録音されたキッチン・レコード(宅録)によるデモ・テープのヴォーカルが使用されているという。
そこでは、1950年代の古いマイクや、本物のアコースティックな楽器が使用されていた。
「結果的に温かい雰囲気の良い作品に仕上がったと思います。エレクトロなものは一切使っていません」(カーラ・ブルーニ)
アコースティックな音楽だからこそ、古民家カフェの空気にも、ナチュラルに溶け込んでいたのかもしれない。
カーラ・ブルーニは、1968年(昭和43年)12月23日にイタリアのトリノで生まれた(我々よりひとつ年下ということになる)。
祖父は、イタリアの有名タイヤ・メーカー『ピレッリ』創業者であり、父は、クラシックの作曲家兼劇場「テアトロ・レッジオ」の経営者として知られている(シェーンベルクやストランヴィンスキーを招聘したこともある)。
母もピアニストだったので、幼少期からカーラの周囲には、音楽的な環境が整っていた(姉ヴァレリー・ブルーニ=テデスキは、フランスの女優兼映画監督)。
5歳までトリノで暮らした後、フランスで育ったカーラには、イタリアとフランス双方の文化が刷り込まれていると言っていい。
学生時代にモデルとなった後は、モード界の頂点で活躍しながら、幼少期から親しんできた音楽を楽しんだ。
「モデルの他に私ができることといえばシンガー・ソングライターだった、ということです。もし仮に、画家や彫刻家になろうとしたとしたら、悲劇だったでしょうね」(カーラ・ブルーニ)
本作『ケルカン・マ・ディ〜風のうわさ』収録の12作品中10作品が、カーラ・ブルーニ本人のオリジナルである。
4曲目「溺れるあなた(ラ・ノワイエ)」は、セルジュ・ゲンスブールが、イヴ・モンタンのために作ったもののお蔵入りとなってしまったという、幻の名曲をカバーしたもの。
また、6曲目「幸せがいっぱい/部屋の中の空(ル・シエル・ダン・ジュヌ・シャンブル)」は、イタリアのポップ・シンガー、ミーナ・マッツィーニの曲に、フランス語の歌詞をつけてカバーした作品となっている。
その他10曲は、カーラの作詞・作曲によるオリジナル作品で、アルバム・ジャケットの写真デザインも、カーラ本人のアイディアによるものだという(このジャケット写真が素晴らしい)。
本作『ケルカン・マ・ディ〜風のうわさ』は、スーパーモデルではない、一人の女性アーチストのファースト・アルバムとして、(カフェ『森彦』の思い出とともに)いつまでも聴き続けたい一枚である。
ハスキーなウィスパー・ボイス
あの頃、『森彦』でよく聴いた曲が、10曲目「極端な私(レクセッシヴ)」だった。
極端な私
ちょっと外れたときがいいの
度を過ぎると
私はリラックス
極端な私
すべてが爆発して
人目にさらされたら
甘美なトランス
(カーラ・ブルーニ「極端な私」)
ハスキーなウィスパー・ボイスが、アコースティック・ギターの音色に溶け込んで、魅惑的な雰囲気を漂わせている。
当時、おしゃれカフェのBGMには、囁くような歌声が好んで使われていた。
タイトル曲「ケルカン・マ・ディ~風のうわさ」は、歌詞に注目したい。
人生には大した価値もない、と人は言う
バラの花がしおれてしまうように
一瞬にして過ぎてしまうと
知らぬ間に過ぎてしまう時は卑怯者
そして 悲しみに包まれる、と人は言う
それでも あなたは
まだ私を愛していると
誰かが言ったの
そう 誰かが言ったの
あなたは まだ私を愛していると
ありえないわよね?
(カーラ・ブルーニ「ケルカン・マ・ディ~風のうわさ」)
過ぎ去った恋愛に翻弄される女性の微妙な心理が、そこには描かれている。
もちろん、対訳を参考にしなければ、フランス語の歌詞なんて理解できない。
それでも、ギターを弾きながら、囁くように歌うカーラ・ブルーニの作品には、心の中へと訴えかけてくる何かがある。
すなわち、それが、国境を越えた音楽というものではないだろうか。
スーパーモデルからの華麗なる転身というキャッチーな経歴に、意味を見出す必要は、あまりない。
むしろ、スピーカーから流れてくる彼女の歌声こそが、すべてを物語っているのだから。