森田たまの随筆には「初雪伝説」とも言うべき、不思議な話がある。
それは「札幌では11月3日に初雪が降る」というものだ。
森田たまの初雪伝説は、果たして本当だったのだろうか。
「札幌では11月3日に初雪が降る」という伝説
森田たまは、札幌出身の女流随筆家である。
明治27年生まれで、大正時代から森田草平(夏目漱石の弟子)に師事し、昭和時代には多くの随筆集を刊行した。
女性らしい感性で綴られた繊細な随筆は、多くのファンを魅了し、森田たまは「現代の清少納言」とまで呼ばれた。
札幌が生んだ、まさしくスター作家である(おそらく、女性としては初めての)。
森田たまは、生涯に渡って札幌の思い出を書き続けたことでも知られている。
ことに、札幌の初雪に対する彼女の思い入れは深かった。
大風の一夜を境にして、ぐっと深まった秋の色は、急に人々に冬支度をいそがせた。ほとんど毎年決まって十一月三日に初雪が降り、それから中頃にちらちらと降る日があり、そうして十一月の末か十二月の初めに降った雪は、もう根雪となってしまう。雪の上に雪が降り、その雪が凍てついたり、吹雪になったり、あくる年の三月がくるまで、人々はもう黒い地面を見ることができない。根雪になる前に、冬ごもりの準備をすっかり調えねばならなかった。(森田たま「石狩少女」)
近年、復刻された少女小説『石狩少女』で、森田たまは「ほとんど毎年決まって十一月三日に初雪が降り」と綴っているが、「11月3日に初雪が降る」という伝説は、森田たまの中では、かなり強固な信念となっていたらしい。
私の子どもの時の天長節は十一月三日で、その日の朝は必ず、空がとぎ出したようにまっさおに晴れていた。それでいて、学校でお式をすませて帰ってくる頃には、ちらちらとはつ雪がふり出す。その日まで、雪はこらえにこらえて待っていたというように降り出すのである。北海道の気候は大陸的で、そういうふうに、はつ雪の降る日もきちんときまっていたらしい。(森田たま「はつ雪の日」)
『随筆ふるさとの味』(1956年)に収録された「はつ雪の日」にも、11月3日(天長節)の日に初雪が降ると書かれている。
「北海道の気候は大陸的で、そういうふうに、はつ雪の降る日もきちんときまっていたらしい」という文章が、ブレない信念を感じさせる。
森田たまの初雪伝説は、他の随筆でも読むことができる。
ふしぎなことに、十一月三日の朝はとぎ出したように青く空が晴れて、その青さが引き締るに身にしみたが、学校から帰る頃には、必ずちらちらと雪がちらつく。そうしてそれが札幌のはつ雪であった。(森田たま「はつ雪」)
『明治の女』(1967年)に収録された「はつ雪」にも、11月3日に初雪が降ると、しっかり書かれていた。
「11月3日に初雪が降る」ということは、森田たまの中では伝説でも願望でもなく、ある意味で真実だったのかもしれない。
札幌の初雪はいつ頃に降るのか?
それでは、札幌の初雪は、本当に11月3日に降るのだろうか?
近年の初雪が降った日のデータを調べてみた。
年 | 初雪が降った日 |
---|---|
2024年 | 10月20日 |
2023年 | 11月11日 |
2022年 | 11月16日 |
2021年 | 11月19日 |
2020年 | 11月 4日 |
2019年 | 11月 7日 |
2018年 | 11月20日 |
2017年 | 10月23日 |
2016年 | 10月20日 |
2015年 | 10月25日 |
2014年 | 10月28日 |
2013年 | 11月 8日 |
過去10年間を見ると、11月3日に初雪が降った年はない。
近いところでは、2020年、11月4日に初雪が降っている(2019年は11月7日)。
ただ、近年は比較的11月中旬に初雪が記録されることが多いらしい(2024年は久しぶりに早くて10月20日だった)。
もしかすると、温暖化の影響で、初雪が遅くなっている傾向はあるかもしれないが、いくら明治時代であっても、「毎年11月3日に初雪が降る」というのは、さすがに都市伝説だっただろう。
ただ、都市伝説にしても、美しい伝説に仕上がっているところは、さすがに、森田たまだと思う。
上京後、森田たまの中で、故郷の札幌に対する激しい思い出補正が生じていただろうことは、想像に難くない。
強い望郷の思いが、森田たまの中に、数々の都市伝説を生み出していたのだ。
あるいは、札幌の初雪伝説も、彼女の思い出補正が生み出した美しい伝説だったのではないだろうか。
少なくとも、僕は、「毎年11月3日に初雪が降る」という伝説は嫌いではない(むしろ、大好きだ)。
森田たまの随筆には、古き良き時代の美しい札幌の姿がある。
森田たまの随筆は、もはや、札幌遺産のひとつとして、長く受け継がれていくべき市民の財産なのだ。