氷コップは、夏の骨董の代表選手。
昭和30年代のプレスガラスは、値段も安価で実用向き。
氷の器で食べるかき氷が、やっぱり一番おいしいよね。
かき氷は昔ながらの食堂で食べたい
夏を象徴するガラス器と言えば、なんと言ってもかき氷用の器。
最近は、使い捨ての紙コップに入れる店もあるらしいけれど、かき氷はやはりガラス製の器で食べたい。
だいたい、日本の夏は、昔からかき氷(氷水)を食べるものと相場が決まっていた。
例えば、夏目漱石『坊っちゃん』(1906)で、着任したばかりの坊っちゃんに、同僚教師の山嵐が奢ってくれたのが氷水。
当時の値段は一銭五厘だった。
この一銭五厘を巡って、二人の間で一悶着起きるのは有名な話。
同じく夏目漱石『それから』にも氷水が出てくる。
兄の子の誠太郎は氷菓(アイスクリーム)が好きだが、氷菓がないときには、氷水で我慢すると書かれている。
氷水よりも洋風のアイスクリームの方が上等だったらしい。
つまり、氷水は、それだけ庶民的な食べ物だったということなのだろう。
映画『男はつらいよ』に出てくる帝釈天参道の団子屋「とらや」も、夏にはかき氷を出していた。
おばちゃんが手拭いで汗を拭いながら、あの大きな機械でガリガリと氷を削るところがいいんだよね。
最近は、かき氷の専門店みたいな上品な店も人気だけれど、気分的にかき氷は昔ながらの食堂で食べたい。
ラーメンとかカツ丼とか作ってる店で出してるかき氷。
じゃなければ、伝統的な甘味処とか、レトロな純喫茶で出してくれるかき氷。
こういう店では、未だにガラス製の器を使ってかき氷を提供している。
もっとも、昭和も後期になると、ガラスではなくプラスチック製の器も随分普及していて、老舗でもプラスチック製の器を使っている店が増えたような気がする。
落としても割れないし、軽くて扱いも簡単だったんだろうなあ。
プラスチック製の器は、それはそれで懐かしい感じがして良い。
特に、ガラス製品を模した昭和40年代から50年代にかけての器は、チープな高級感の演出が風情あり。
骨董市でも値段が安いので、ガラス器とは、別次元のものとして楽しみたい。
プレスガラスの氷コップは安価で集めやすい
一時期、明治から大正にかけての氷コップに大変な人気が集まったことがある。
上等のものだと、もう芸術品みたいな扱いで、ちょっと驚くほど値段も高価。
自分が骨董を始めた2000年代初頭には、氷コップは、もう初心者の買う品物ではなくなっていた。
多くの著書を出している末続堯さんも、骨董屋の軒先の段ボール箱の中から拾って買っていた氷コップが、もの凄く値上がりしてしまったと書いている。
集めた氷コップを全部手放して、かなりの金額になったらしい。
骨董品のインフレって、本当にあるんだなあ。
もちろん、自分は大正の氷コップなんて、ひとつも持っていない。
氷コップ買うのに何万円も出していられないから。
その代わりに集めたのが、安価なプレスガラスの氷コップ。
いわゆるかき氷の器と言えば思い浮かべる定番デザインのもので、場合によっては戦前のものでも500円くらいから買うことができた。
夏アイテムが好きで、とにかく値段も安かったから、この手の氷コップは、随分たくさん買ったなあ。
デッドストック(未使用品)でないものは、自宅でかき氷を食べるとき、実際に使ったりしてね。
骨董の器って、やっぱり実際に使って楽しんでナンボなんだよね。
乳白色の氷コップ
さて、写真の氷コップは、脚(ステム・フット)とカップが曲がって付いているところがかわいい、ちょっとズレてる氷コップ。
プレスガラスでも、こういう歪みのあるものには、手作りの温かみが感じられていい。
パーフェクトなものではなく、不完全なものに価値を見いだすあたり、日本人って感じがするしね。
上部のグラデーションになった乳白色の部分がポイント。
昭和30年代のものだと思うけれど、大正ガラスにはない家庭的な柔らかさがある。
夏になると、大衆食堂の壁の棚に、こういう器がたくさん並んだんだろうなあ。
こういうの、昭和日本の夏遺産として、きちんと受け継いでいってほしいと思う。