読書体験

トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」孤独な若者の自己救済の物語

トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」あらすじと感想と考察

トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」読了。

本作「最後の扉を閉めて」は、1947年(昭和22年)8月『アトランティック』誌に発表された短篇小説である。

原題は「Shut a Final Door」。

この年、著者は23歳だった。

作品集としては、1949年(昭和24年)にランダムハウスから刊行された『夜の樹(A Tree of Night and Other Stories)』に収録されている。

『風の歌を聴け』はカポーティから生まれた

村上春樹のエッセイ集『村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン』に、次のような文章がある。

「何ひとつ思うな。ただ風を思え」トルーマン・カポーティの短編小説『最後のドアを閉じろ』の最後の一行、この文章に昔からなぜか強く心を惹かれた。Think of nothing things, think of wind’ 僕の最初の小説『風の歌を聴け』も、この文章を念頭にタイトルをつけた。nothing things という言語感覚がすごくいいですね。(村上春樹「村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン」より「私が死んだときには」)

墓碑銘として何がふさわしいかという話題の中で、村上さんは、カポーティの「Think of nothing things, think of wind」を挙げている。

「僕の最初の小説『風の歌を聴け』も、この文章を念頭にタイトルをつけた」とあるように、結果として、カポーティの「最後の扉を閉めて」という作品は、村上春樹『風の歌を聴け』の元ネタとして、一部のマニアックな村上春樹ファンに知られる作品となった。

作品そのものよりも、最後のセンテンスだけに注目が集まってしまった、そういう意味では不幸な小説かもしれない。

もちろん、実際の作品を読んでみると、この小説は、最後の一文だけの物語ではなく、また、マニアックな村上春樹ファンのためにあるわけでもないことが分かる。

むしろ、村上春樹の『風の歌を聴け』という作品自体が、カポーティのこの小説の中から生まれてきたと言ってもいい。

23歳の青年<ウォルター・ラニー>は、ニューヨークで生きる孤独な若者だ。

調子の良い広告会社で、有望な社員としての地位を獲得しても、彼の孤独は消えたりしない。

というよりも、ウォルターの社会活動そのものが、彼を孤独へと追い込んでいく。

みんなあなたの責任よとアンナはいったが、彼女は頭がどうかしているのだ。彼に落度があったとしても、それは彼にはどうしようも出来ない、周囲の環境のせいだ。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

新しい知人たちを踏み台にするようにして、ウォルターは、上を目指していく。

ニューヨークで初めて友だちになったアーヴィングからは、恋人のマーガレットを寝盗り、マーガレットの紹介で入社したクーンハルト社では、社長クルト・クーンハルトのお気に入りとなって、マーガレットを遠方の支社へ転勤させるよう進言する。

心優しい美少年のアーヴィングや、外見はまあまあだけれど、異様に頭の良いマーガレットは、ウォルターと関わり合いになったことで、ボロボロになってしまうが、ウォルターには罪悪感なんて欠片もない。

たとえば彼は、Xという人間が好きなのか、嫌いなのか、はっきりわからない。自分はXに好かれたいと思っているのに、Xを好きになることは出来ない。Xに対して誠実にもなれない。ほんとうのことは半分もいえない。それでいてXが自分と同じ不完全さを持つことは許せない。そんな人間ならいずれXは自分を裏切るだろうとウォルターは確信した。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

ウォルターの不幸は、彼が、誰をも愛することができなかったということだろう。

誰も愛せない男は、誰からも愛されたりしない。

自分の孤独に気がついた時、彼は完全にひとりぼっちだった。

何も考えまい。ただ風のことだけを考えていよう。

しかし、、ウォルターは、自分の過ちを理解していなかったわけではない。

彼はいつも自分の失敗を喜んで告白した。告白してしまえば、失敗がもう存在しないように思えたからだ。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

ウォルターは、14歳の少年を持つシングル・マザー、アンナ・スティムソンに、自分の過ちを告白する。

アンナは、まるで懺悔を聞いてくれる司祭のような役割で、ウォルターに数々の忠告を与えるが、そんなアンナさえ、ウォルターにとっての友だちではなかった。

「ウォルター、見かけどおりのものなんて何もないのよ。クリスマス・ツリーはセロファン、雪はただの石けんのくず。魂というものがわたしたちの身体のなかを飛びまわっているのよ。だから見かけは死んでもほんとうは死んでいない。逆に見かけは生きていてもほんとうは生きていない。わたしがあなたを愛しているかどうか知りたい? しっかりしてよ、ウォルター、わたしたち友だちでさえないわ……」(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

行き場を失ったウォルターは、サラトガのホテルへ逃げ込むが、彼が逃げ切れることは決してない。

謎の長距離電話が、彼の元へとかかってくるからだ。

「冗談はやめてくれ。誰なんだ?」「わたしが誰か、わかっているだろ、ウォルター。長い付き合いじゃないか」そこでカチャッと音がして、あとは何も聞えなくなった。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

電話は、もちろん、ウォルター自身からのものだっただろう。

サラトガで知り合った脚の不自由な女性のホテルの部屋へ入ったときにも、再び長距離電話が鳴る。

ウォルターは彼女の身体に倒れこむと、彼女を抱きしめて、濡れた頬を彼女の頬にすり寄せた。「抱いてくれ」自分にもまだ泣くことができるのだと思いながら彼は言った。「抱いてくれ、お願いだ」(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

女と別れたウォルターは、ニューオーリンズにあるホテルの一室へと閉じこもる。

そして、鳴り続ける電話の音から逃れるように、ウォルターは両手で耳をふさいだ。

このままにしておいたら軍隊が部屋のドアを叩きかねない。そう思ったので彼は顔を枕に押しつけ、両手で耳をふさいだ。そして思った。何も考えまい。ただ風のことだけを考えていよう。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

ウォルターの性的倒錯性

本作「最後の扉を閉めて」は、孤独な青年の自己救済の物語である。

脚の不自由な女は、一時、彼を慰めるが、鳴り続ける長距離電話が、彼を許そうとはしてくれない。

ニューオーリンズのホテルの部屋は、ウォルター自身の心の闇で、脚の不自由な女も、謎の長距離電話も、ウォルター自身の投影だろう。

結局、彼が救われることはないが、そこには救済の可能性がある。

カポーティが書きたかったものは、その「可能性」の部分だったのではないだろうか。

かなり極端に書かれているとは言え、人は誰しもウォルターであり得る。

虚栄心や出世欲と無縁の人間なんて数少ないだろうし、愛することよりも愛されることを重視したい。

「最後の扉を閉めて」は、そんな人間の心の闇を鋭く暴き出している。

もっとも、この小説は、決して重苦しいだけの小説ではない。

この物語の都会的な雰囲気を醸し出す、その中心となっているものは、主人公ウォルターが持つ中性的な雰囲気だろう。

元カノ・マーガレットの部屋に忍び込んで、私物を整理しているとき、ウォルターは自分の写真を見つける。

服、本、パイプ。あちこちひっかきまわして自分の物を集めているうちに、彼は自分の写真を見つけた。口紅で書いた赤い落書きがある。それを見ているうちに、彼は、一瞬、夢の中に落ちて行くような興奮を覚えた。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

赤い落書きは、おそらく写真の中のウォルターにメイクを施したものだったのだろう。

化粧をされた自分の写真を見て、ウォルターは極度に興奮する。

あるいは、乳業会社の女相続人ローザ・クーパーと結婚するという、彼自身が流したデマが雑誌に掲載されたことで会社をクビになったとき。

興奮したウォルターは、床屋の鏡の前で混乱して自分を見失ってしまう。

建物のなかに床屋がある。ひげを剃ってくれと彼はいった。いや──髪を切って──いや、マニキュア。そのとき突然、鏡にうつった、床屋の前掛のように青ざめた自分の顔を見て、彼は、ほんとうは床屋で何をしてもらいたいのかわかっていないことに気がついた。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

床屋の鏡の前で混乱して「マニキュア」と口走るウォルターの性的倒錯性は、この物語にスタイリッシュな雰囲気を添えている。

モチーフとして、重要な役割を果たしているのが、扇風機に象徴されるサークル構造だろう。

四枚の扇風機の羽根、車輪と声、それがぐるぐるとまわっている。いまようやく彼にはわかった。この悪意のネットワークには終りがないのだ、絶対に。(トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」川本三郎・訳)

終わりのないネットワークは、ウォルターが抱える問題を解決することの難しさを暗示している。

果たして、ウォルターは、彼自身の永遠の輪から逃れることができたのだろうか。

不安だけが置き去りにされるが、可能性は残されている。

自己不信を抱える人には、読む価値のある小説と言えるだろう。

作品名:最後の扉を閉めて
著者:トルーマン・カポーティ
訳者:川本三郎
書名:夜の樹
発行:1994/02/25
出版社:新潮文樹

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。