読書体験

『週刊朝日』村上春樹が谷崎潤一郎賞受賞パーティーで女性作家に囲まれていた件

『週刊朝日』村上春樹が谷崎潤一郎賞受賞パーティーで女性作家に囲まれていた件

『週刊朝日』1985年(昭和60年)11月1日号のグラビアに、村上春樹の写真が掲載されている。

見出しは「ほんとは『オバさんキラー』。若者たちに人気の村上春樹氏が谷崎賞受賞で見せた意外な横顔」。

森瑤子や田中千佳、西本陽子などの女流作家に囲まれて照れ笑いしている村上春樹がかわいい(笑)

谷崎潤一郎賞の贈呈式・記念パーティー

『週刊朝日』1985年(昭和60年)11月1日号。表紙写真は阪神タイガース、リーグ優勝の瞬間。『週刊朝日』1985年(昭和60年)11月1日号。表紙写真は阪神タイガース、リーグ優勝の瞬間。

元・阪神タイガース監督の吉田義男が亡くなった。

1985年(昭和60年)の日本一を応援した一ファンとして、吉田監督の御冥福を心からお祈りしたい。

追悼の意味で、当時の雑誌を読み返していたら、『週刊朝日』のグラビアに村上春樹が登場していた。

『週刊朝日』ほんとは「オバさんキラー」。若者たちに人気の村上春樹氏が谷崎賞受賞で見せた意外な横顔。『週刊朝日』ほんとは「オバさんキラー」。若者たちに人気の村上春樹氏が谷崎賞受賞で見せた意外な横顔。

グラビア記事は、谷崎潤一郎賞の贈呈式・記念パーティーの模様を伝えるもので、当時、村上春樹は「村上朝日堂」を連載中だったから、『週刊朝日』としても要注目の受賞だったのだろう。

ふだんはラフなスタイルで通している村上氏だが、この日は「ネクタイ着用」のキマリにのっとって、グレーのスーツ、ニットタイでドレスアップ。「いろいろ問題はあるが、それなりにがんばっている、というあたりで長く仕事を続けていきたい」とあいさつした。(『週刊朝日』1985年(昭和60年)11月1日号)

確かに、当時の村上春樹としては珍しくスーツ姿が決まっている。

主役にもかかわらず、シャイな人柄のためか、終始パーティー会場のすみっこにたたずんでいたが、オバさまたちが、ドドドッと取り囲んだ。同時に発表された女流新人賞受賞の田中千佳、西本陽子さんと友人たちで、「ステキなヒト! 男の色気を感じる」「結婚したい! してくれる?」と大はしゃぎ。(『週刊朝日』1985年(昭和60年)11月1日号)

田中千佳は「マイ・ブルー・ヘブン」で、西本陽子は「ひとすじの髪」で、女流新人賞を同時受賞。

この年、村上春樹は36歳で、もちろん既婚者だった(なにしろ、学生結婚である)。

ピンクと黒の妖しげなドレスで近寄ってきた森瑤子さんも、「ひと目でファンになっちゃったわ。なんたって外見が素敵じゃない?」村上氏は「ボク、母性本能くすぐるらしいんですよね、どういうわけか……」とまっ赤になってテレることしきりだった。(『週刊朝日』1985年(昭和60年)11月1日号)

バブル時代、赤い背表紙の角川文庫で絶大な人気を誇ることになる森瑤子は、この年、45歳。

村上春樹は、彼女にとって、ほぼ一回り年下の男の子だった。

ちなみに、このときの受賞式には、畏友・安西水丸も参加していたらしい。

【安西】「僕は実際に春樹君が挨拶で話しているのを聞いたことがないんです。今回読んでみて、いやあ、こんなこと言ってんのかなと。半信半疑ですね(笑) 収録された中には代読もあるかもしれないけど、谷崎賞のときは本人がやったと思う。僕は授賞式に遅れて行ったんですけど、彼が話してるのを見るのがちょっと恥ずかしくてね。避けたんですよ、なんとなく」(安西水丸・和田誠『村上春樹 雑文集』解説対談)

当時の映像が残っていたら、これは、かなり貴重なんだろうな。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と「谷崎賞選後評」

村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が、中央公論社の第二十一回谷崎潤一郎賞を受賞するのは、1985年(昭和60年)のこと。

他に候補作として、長部日出雄『映画監督』、三浦哲郎『白夜を旅する人々』、日野啓三『夢の島』があった(村上春樹を含め、全部で四作品)。

当時の「谷崎賞選後評」を読むと、村上春樹の受賞は、決して満場一致ではなかったことが分かる(『中央公論』1985年11月号)。

今年の谷崎賞の候補作品を私は軽井沢で読んだ。一篇だけ感動をおぼえたのがあった。最後の選考が行われる日の四日前に、その作品がある社の今年度の文学賞に決定したという事実を知らされた。(略)今年は谷崎賞がないと私は思った。(丹羽文雄「谷崎賞選後評」/『中央公論』1985年11月号)

「その作品がある社の今年度の文学賞に決定した」とあるのは、大佛次郎賞を受賞した『白夜を旅する人々』(三浦哲郎)のことらしい。

村上春樹氏の作品が受賞されたが、全員一致ではなかった。私はこの作品の次点を主張し、受賞には反対した。私の考えではこの作品の欠点は三つある。

(一)二つの並行した物語の作品人物(たとえば女性)がまったく同型であって、対比もしくは対立がない、したがって二つの物語をなぜ並行させたのか、私にはまったくわからない。

(二)氏の中篇が持っていた「寂しさ」のような、読者の心にひびく何かが今度の長篇にはまったくない。それは物語を拡大しすぎたため、すべてが拡散したせいだと思う。(略)

(三)氏の中篇にあった「寂しさ」が欠けているから、主人公の日常生活の描写が浮きあがっている。

以上の理由で私はこの作品をどうしても奨す気持にはなれなかった。(遠藤周作「谷崎賞選後評」/『中央公論』1985年11月号)

受賞には反対しているが、遠藤周作は、村上春樹の作品をかなり読みこんでいたらしい。

村上春樹の支持者として知られる吉行淳之介も、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の受賞には消極的だった。

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(村上春樹)についていえば、これも手応え十分であった。ただ、読む者が受信しようとしていると、村上放送は多種類の電波を同時に送って寄越すことがあって、そのため電波同士が妨害し合い、しばしば受信不能になるという欠点がある。

交互に置かれた二つの話のそれぞれの主人公「私」と「僕」が、やがて交差しはじめ、「私」イコール「僕」と分り、二つの世界の物語は同時進行して、最後に「私」も「僕」も消えてしまう、という構成は面白い。

ただ、この二つの世界は、描かれている文体は違うが、味わいは似通っている。そのためか、作品が必要以上の長さに感じられた。この作品の受賞に、私はやや消極的であった。(吉行淳之介「谷崎賞選後評」/『中央公論』1985年11月号)

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を推したのは、丸谷才一と大江健三郎の二人である。

村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、優雅な抒情的世界を長篇小説という形でほぼ破綻なく構築しているのが手柄である。

われわれの小説がリアリズムから脱出しなければならないことは、多くの作家が感じていることだが、リアリズムばなれは得てしてデタラメになりがちだった。しかし村上氏はリアリズムを捨てながら論理的に書く。独特の清新な風情はそこから生じるのである。

この甘美な憂愁の底には、まことにふてぶてしい、現実に対する態度があるだろう。この作家は、世界からきちんと距離を置くことで、かえって世界を創造する。彼は逃避が一つの果敢な冒険であることを、はにかみながら演じて見せる。無としてのメッセージの伝達者であるふりをして、しかし生きることを探求すると言ってもよかろう。村上氏の受賞を喜ぶ。(丸谷才一「谷崎賞選後評」/『中央公論』1985年11月号)

大江健三郎も、村上春樹の作品を前向きにとらえている。

村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』について、やはり自分なら、ということを考えました。ここでふたつ描かれている世界を、僕ならば片方は現実臭の強いものとして、両者のちがいをくっきりさせると思います。

しかし村上氏は、パステル・カラーで描いた二枚のセルロイドの絵をかさねるようにして、微妙な気分をかもしだそうとしたのだし、若い読者たちはその色あいと翳りを明瞭に見てとってもいるはずです。

冒険的な試みをきちょうめんに仕上げる、若い村上春樹氏が賞を受けられることに、すがすがしい気持を味わいます。シティ・ボーイの側面もあった谷崎になぞらえて、ここに新しい「陰翳礼讃」を読みとるともいいたいような気がします。(大江健三郎「谷崎賞選後評」/『中央公論』1985年11月号)

察するに、優勝候補の『白夜を旅する人々』(三浦哲郎)が抜けたため、次点である『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(村上春樹)と『夢の島』(日野啓三)のガチンコ勝負がもつれこんだ。

大佛次郎賞よりも谷崎潤一郎賞の受賞決定が早ければ、あるいは、別のシナリオが用意されていたのかもしれない。

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後に、村上春樹は、谷崎賞を受賞した当時のことを、次のように振り返っている。

本が出てしばらくして、この小説が谷崎賞の候補になっていると知らされた。知らせてくれたのは中央公論社の僕の担当編集者だった。「でもさ、おまえさんが谷崎賞をとる見込みはまずないから、ぜんぜん忘れていいよ」ということだった。彼の話によれば、僕は選考委員(の一部)に嫌われている──あるいは好かれているとはとても言いがたい──ので、どう転んでも受賞はないということだった。(村上春樹「谷崎賞をとったころ」)

デビュー当時の村上春樹という作家を理解するうえで、貴重な回想録ではないだろうか(『村上春樹 雑文集』所収)。

書名:村上春樹 雑文集
著者:村上春樹
発行:2011/01/30
出版社:新潮社

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kels
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。