道立三岸好太郎美術館の特別展『わがこころの街 好太郎と画家たちの札幌』を観てきた。
大正から昭和初期にかけての札幌風景を、三岸好太郎はじめ、同時代画家たちの作品で振り返る。
大正時代から昭和初期にかけての札幌
画家・三岸好太郎は、1921年(大正10年)に上京した後、亡くなるまで東京を拠点に活動したが、故郷・札幌には、毎年のように帰郷していたという。
三岸好太郎の生誕地として、すすきの豊川稲荷札幌別院の境内に説明板が設置されているが、三岸好太郎にとって札幌は、生涯忘れることのできない大切な故郷だったのだろう。
今回の特別展『わがこころの街 好太郎と画家たちの札幌』は、札幌における三岸好太郎の足跡とゆかりの地をたどりながら、三岸好太郎と同時代作家たちの作品によって、ノスタルジックな札幌風景を振り返るものとなっている。
大正時代から昭和初期にかけての札幌が、地元の画家たちの手によって描かれているのだ。
主役・三岸好太郎の作品としては、消防本部の望楼を描いた『大通公園』(1932)のほか、『大通教会』(1928)や『北大のポプラ並木』(1932)、『水盤のある風景』(1932)などが並ぶ。
1965年(昭和40年)まで大通公園の創成川沿いに建っていた消防本部の望楼は、とりわけ三岸好太郎のお気に入りで、「望楼、市街を見る札幌望楼は幾多の事件を発見したであろう、望楼はこの市の巨人だ」という三岸自身の文章が残されている。
今回の展覧会では、三岸好太郎と同時代を生きた画家の作品が豊富で、小説家・有島武郎の『やちだもの木立』(1914)が、まず目を引く。
有島武郎は1878年(明治11年)生まれで、1913年(大正2年)、札幌永住のため、北12条西3丁目に洋風邸宅を新築したとき、三岸好太郎は10歳だった(三岸好太郎は1903年生まれ)。
妻の病気治療に伴い、有島は上京を余儀なくされるが、洋風の自宅は、札幌芸術の森に移築保存されている(有島武郎旧邸)。
『やちだもの木立』は、自宅近くの北13条西5丁目辺りから手稲山方向を望む風景画で、1915年(大正5年)3月、札幌を去る際に宮部金吾に寄贈されたものだという。
有島武郎の母校であり、自ら教鞭も取った札幌農学校(北海道大学)の風景は、中西利雄『札幌の夏(北大構内)』(1939)や、岡部文之助『楡樹と穀倉』(1939)、高畠達四郎『北大構内』(1942)、服部光平『古河講堂』、大森滋『北大構内』(1953)などで見ることができる。
ノスタルジックでモダンな都市風景
北大を離れて、都心部に入ると、モダンな都市風景を描いた作品が多くなる。
田辺三重松『札幌駅』(1951)や本間莞彩『幌都の冬(陸橋)』(1948)は、札幌駅とその周辺が舞台で、戦後間もない時代の札幌の雰囲気が伝わってくる。
本間莞彩は、丸善前(南1西3)の街並みを描いた『幌都の冬』(1949)もいい(他に『道庁』『黄昏』などもあった)。
札幌の風景画は、やはり冬の季節を描いたものに雰囲気が溢れていて、谷口一芳の『冬の北海道庁』(1951)や『ビール会社』(1951)、菅野利助『停車場通りの冬』(1928)、松島正幸『札幌雪日』(1943)なども印象深い。
谷口一芳(たにぐち・いっぽう)は、『街景』(1950)でも、雪の札幌を描いていて、札幌の冬景色に対する関心の高さを伺わせる。
札幌らしい景観物と言えば教会で、八鍬利郎『旧札幌北1条教会』(1979)、田中忠雄『思い出の北光教会』(1977)、伊藤仁『赤煉瓦の教会(旧北光教会)』などが展示されている。
田上義也の作品として知られる『旧札幌北1条教会』などは、札幌の教会建築に関心のある人にもおすすめの作品だろう。
他に建築物としては、林竹治郎『豊平館』(1939)も忘れることができない。
豊平館が、まだ大通公園の象徴だった時代の札幌の空気を、この作品からは読み取ることができる(1958年、中島公園に移築)。
こうして、画家の残した作品を通して札幌風景を観ていると、札幌はやはり素晴らしい街だということを再認識できる。
巨大な歴史的建造物も凄いけれど、さりげない街並みの中にも、札幌らしいモダンな空気感がある(むしろ、さりげない街並み風景に惹かれる)。
展覧会を見終えて、「MUSEUM SHOP & CAFE きねずみ」でひとやすみ。
お土産にポストカードが欲しかったけれど、三岸好太郎以外の画家の作品は、用意されていないらしい(「おばけのマール」関係は充実している)。
図録もないので、三岸と同時代作家の作品に触れたければ、過去の図録を参照したい(『北方のモダン 三岸好太郎と札幌の画家たち』(1994)、『抒情の街・札幌 三岸好太郎と札幌を描いた画家たち』(1997)など)。
道立三岸好太郎美術館や道立近代美術館周辺の街路は、今、秋真っ盛りである。
枯れ葉舞う中、美術鑑賞というのも、札幌らしい「文化の日」の過ごし方だと思った。