文学鑑賞

有馬頼義「四万人の目撃者」4番打者が球場で殺害される野球ミステリー

有馬頼義「四万人の目撃者」4番打者が球場で殺害される野球ミステリー

有馬頼義「四万人の目撃者」読了。

本作「四万人の目撃者」は、1958年(昭和33年)に「週刊読売」に連載された長編ミステリー小説である。

三塁ベースの直前で死んだ四番打者

<新海清>は、プロ野球の球団<セネタース>の主力打者である。

かつてホームランを期待された4番バッターの新海も、年齢とともに成績は下降し、現在は打率3割をキープするさえできなくなっていた。

しかし、若手選手の台頭の見られないセネタースにあって、新海はいつまでも4番を打ち続けた。

新海の後継として期待されるのは、<矢後七郎>だった。

新海は、背後まで迫る矢後の影を感じながら、バッターボックスに立たなければならない。

ある日のダブルヘッダーの第2試合で、新海は打ちまくった。

それまでの不調が嘘のように安打を連発し、そして、あわや三塁打かと思われる長打を放った、その第3打席目。

サードベースのかなり手前で新海は倒れた。

即死だった。

担架で、球場の診療室に運び込まれたとき、新海清は既に死体であった。球場の医者は、かんたんに新海清のからだを見て、「心臓死ですね」と言った。(有馬頼義「四万人の目撃者」)

新海清が長打を放ってからベースランニングの途中で倒れる瞬間まで、東京地検の検事<高山正士>はスタンドで観戦していた。

新聞によると、新海の死は「病死」として片付けられつつあった。

高山検事は、理由のない違和感にとらわれたように、新海清の葬儀会場へ足を向けた、、、

経験に裏打ちされた野球ミステリー

本作「四万人の目撃者」は、昭和34年度の第12回探偵作家クラブ賞を受賞している。

『終身未決囚』で直木賞を受賞している著者にとって、ミステリー分野での代表作と言うことができそうである。

探偵役は東京地検の高山検事で、殺人の手段は毒殺である。

殺人に使われた薬物は、農薬の一種だが、この農薬の成分が、衆人環視の前でプロ野球の人気選手を殺害するという、重要なトリックに大きく影響している。

もっとも、殺害の手法も、殺人の動機も、かなりプロットが込み入っていて、すんなりと頭に入ってこない。

おまけに、淡々とした描写は、読者の緊張感を煽るような場面もなく、むしろ、医療関係者の報告文書でも読まされているような気持ちになった。

もっとも、著者は、ミステリーよりも野球に重点を置いた小説を書きたかったらしい。

矢後は、控えの選手達が、同じポジションを交互につとめている競争相手や、ゲームの大部分を出場している先輩を、いつ傷つくか、いつ病むか、いつ致命的な大失敗をやらかすか、という風な、呪いのこもった暗い目で見つめていることを知っていた。(有馬頼義「四万人の目撃者」)

有馬頼義は、東京セネタース(ノンプロ)でピッチャーを務めたことがあるほか、日刊スポーツで新聞記者も経験しているから、本作「四万人の目撃者」には、著者自身の野球経験が大いに生かされている。

さらに、有馬頼義といえば、『終身未決囚』や『遺書配達人』などの戦争物が有名だが、本作でも、太平洋戦争の暗い影は、さりげなく描かれていて興味深い。

例えば、セネタースの四番打者<新海清>には、従軍していたときに一緒だった仲間たちがあって、新海殺害事件には、こうした戦友たちの存在が大きく関わっている。

プロ野球と戦争とが事件の背景で結びついているのだが、それにしては、殺人事件との関りという点では、いずれも希薄で、読後の物足りなさを覚える。

そもそも、タイトルは「四万人の目撃者」だが、捜査は一部の関係者だけで内密に進められているから、新海清が殺害されたことを知っている者は「四万人」の中で高山検事ただ一人である。

目撃者が目撃者としての役割を果たしていないということも、消化不良の一因だろう。

書名:四万人の目撃者
著者:有馬頼義
発行:1995/5/15
出版社:双葉文庫「日本推理作家協会賞受賞作全集」

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。