阪田寛夫「七十一歳のシェイクスピア」読了。
本作「七十一歳のシェイクスピア」は、1997年(平成9年)1月『群像』に発表された短篇小説である。
この年、著者は72歳だった。
作品集としては、1999年(平成11年)に講談社から刊行された『ピーター・パン探し』に収録されている。
『シェイクスピア全集』と小沼丹の思い出
庄野潤三『せきれい』に、「七十一歳のシェイクスピア」が登場している。
阪田寛夫のこの小説は、七十一歳になって一念発起してシェイクスピア全集を読み出そうとする話から、先年、夫人と二人でロンドンに三ヵ月ほど滞在したことがあり、シェイクスピアの生地のストラットフォード・アポン・エイヴォンを訪ねて行った旅行の思い出へとひろがる。ところどころで小沼の話が出て来るのがいい。読み終ってみると、小沼のためのよきレクイエムとなっているところに私は感銘を受けた。(庄野潤三「せきれい」)
小沼丹が亡くなったのは、1996年(平成8年)11月8日である。
もしかすると、阪田さんは、本当に小沼さんへのレクイエムとして、この物語を書いたのかもしれない。
シェイクスピア全集の話なのに、小沼丹に関するエピソードが随所に引用されている。
そんなことを思い出していたら、小沼さんが、よく出逢った小料理店の一番奥の定席で、壁にもたれて、昔の宝塚の歌を「うるわしの思い出 / モン巴里、わが巴里」と口ずさんだ声が聞えてきた。まっすぐわが巴里と歌わずに、わがアパアリと、一つずつひねる節まわしが特徴だった。(阪田寛夫「七十一歳のシェイクスピア」)
「よく出逢った小料理店」は、もちろん大久保にある「くろがね」で、阪田寛夫もまた、井伏鱒二や庄野潤三、小沼丹、村上菊一郎、横田瑞穂らが集まった、この店の常連だった。
小沼丹が「モンパリ」を好んで歌った話は、庄野潤三の小説にも繰り返し登場しているから、多くの仲間たちに印象的なエピソードだったのだろう。
71歳までに『シェイクスピア全集』全巻読破
物語の語り手である<私>は、70歳にして『シェイクスピア全集』(小田島雄志・訳、白水社)を全巻読破しようと決意する。
誕生日まで、こだわったのは、私の家の男性は、満七十歳から急速に記憶や思考力が衰えだす持病があるからで、せめて七十一歳前にと思ったのだ。私にとって九冊目のシェイクスピアは『お気に召すまま』だった。(阪田寛夫「七十一歳のシェイクスピア」)
白水社の『シェイクスピア全集』は全部で37冊あるから、全巻読破には気力と忍耐力が必要である。
「西欧の文豪と言われる人の名高い長篇小説など、初めの三十ページほどで投げださなかったものはないと断言できる」<私>にとって、全巻37冊の読書は、きっと簡単なことではなかったのだろう。
そして、改めて高齢になってからの読書の難しさというものを考えさせられる。
「記憶や思考力が衰えだす持病」はともかくとしても、高齢になれば老眼も進むし、若いときに比べれば、気力も衰えるだろう。
長篇小説を読むなら若いうちに限るし、読書を年老いてからの楽しみに取っておこうというのは、もしかすると間違いなのかもしれない(そう考えると恐ろしいけれど)。
本作「七十一歳のシェイクスピア」では、『シェイクスピア全集』読破への挑戦と重ね合わせる形で、ロンドン滞在時の思い出が綴られている。
いわば、読書録と紀行文の二つによって構成されているようなもので、読書エッセイと旅行エッセイの好きな自分にはお得な内容となっている。
実際、自分は、旅行エッセイの中でも「文学旅行」的なエッセイが一番好きだから。
坂田夫妻がロンドンに滞在したのは1992年(平成4年)のことで、「ピーター・パン探し」が大きな目的だった。
それまでシェイクスピアの芝居を観るつもりはまったくなかった坂田さんが、イギリスでなぜか、シェイクスピアの芝居にハマってしまうのだが、満足に英語を話すことのできない坂田さんは、ロンドンからストラットフォードへ向かう鉄道旅行で、大きな失敗をしてしまう。
このストラットフォード珍道中の話が、この物語では、ひとつのクライマックスになっていると言えるだろう。
ちなみに、列車の乗り間違えに気付いた場面で、庄野潤三の『サヴォイ・オペラ』までが登場しているところもいい。
だが母校で英文学を講じている小沼さんが、かつて半年間のロンドン滞在中、一度も沙翁の町を訪ねていない。芝居も見なかった。人づてに聞いた話では「ぼくはシェイクスピアを読んでいるのでもないのに、行っても仕方ないと思って」見なかったのだそうだ。(阪田寛夫「七十一歳のシェイクスピア」)
小沼丹のロンドン滞在に関しては、長篇紀行『椋鳥日記』に詳しい。
物語は、最後に「小沼さんのロンドン日記に、シェイクスピアという言葉を見つけた」という一文から始まるエピソードの紹介で終わる。
『シェイクスピア全集』の向こう側に、イギリス滞在の思い出があり、イギリス滞在の向こう側に、小沼丹の思い出がある。
こんなの小説か?と憤る人がいるかもしれないが、文学なんて、これでいいと、自分は思う。
大切なことは、何を感じさせてくれるか?ということなのだ。
作品名:七十一歳のシェイクスピア
著者:阪田寛夫
書名:ピーター・パン探し
発行:1999/03/20
出版社:講談社