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村上春樹「バースデイ・ガール」彼女の願いと謎の老人の正体

村上春樹「バースデイ・ガール」あらすじと感想と考察

村上春樹「バースデイ・ガール」読了。

本作「バースデイ・ガール」は、2002年(平成14年)12月に中央公論新社から刊行された短篇集『バースデイ・ストーリーズ』に収録されている、書き下ろしの短編小説である。

この年、著者は53歳だった。

二十歳の誕生日と<謎の老人>の登場

この物語の最大の謎は、主人公の女の子<彼女>は、何を望んだのか?ということだ。

二十歳の誕生日の夜、彼女はアルバイト先のイタリア料理店で、オーナーの部屋まで夕食を運ぶ。

初対面のオーナーは、その日が彼女の二十歳の誕生日であることを知って、「ひとつだけ、願いごとを叶えてくれる」という。

「二十歳の誕生日というのは人生に一度しかないものだ。そしてそれは何ものにも替えがたい大事なものなんだよ、お嬢さん」(村上春樹「バースデイ・ガール」)

彼女が何を望んだのか、それは書かれていない。

ただ、彼女の願いごとの答えが出るには、まだまだ時間がかかるものらしい。

「まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃないから」と、彼女は言う。

そして、彼女は、その願いごとについて後悔してないように見える(少なくとも今のところは)。

「私が言いたいのは」と彼女は静かに言う。(略)「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」(村上春樹「バースデイ・ガール」)

二十歳の誕生日の願いの行方を、彼女は今も待ち続けている。

きっと、それが人生というものなのだ──。

二十歳の誕生日、彼女は何を願ったのか?

「バースデイ・ガール」は、非常に小説としての工夫が凝らされた作品である。

読者が一番知りたいと思うことの答えは書かれていない代わりに、思わせぶりで含みのあるヒントだけが提示されている。

読者に対する作者からの謎かけ。

正直に言って、僕はこういう小説が好きではないが、思わせぶりで含みのある作品だからこそ、中学校の国語の教科書に掲載されたりするのだろう。

正解はあってない、あるいは、正解は無数にある。

それが、中学校の国語の教科書に掲載するにふさわしい作品に求められるものであるからだ。

だから、どれだけ考えても「彼女の願いごと」を明らかにすることはできないし、読者の数だけ答えがある、というのが、この問題の正解だろう。

大切なことは「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのね」という、彼女の「悟り(気づき・発見、あるいはあきらめ)」である。

「私は今、三歳年上の公認会計士と結婚していて、子どもが二人いる」と彼女は言う。「男の子と女の子。アイリッシュ・セッターが一匹。アウディに乗って、週に二回女友だちとテニスをしている。それが今の私の人生」(村上春樹「バースデイ・ガール」)

極上と言えないまでも、まず、上々の人生だ。

そして、彼女は「それが今の私の人生」と、最後に付け加えることを忘れていない(ここが重要)。

これは、彼女が「まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃない」と話したことと繋がってくる。

つまり、彼女の願いごとは、長い人生の行く末に関わることだっただろう。

物語の最後に、彼女は話し相手である<僕>に向かって、「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と言う。

つまり、人は誰しも、二十歳の誕生日に何かを願っているということである。

言い方を換えると、「願い」とは、つまり「将来に対する夢」だ。

あるいは、人生の選択。

二十歳の誕生日に、明確な将来の夢を持つことの重要性を、この小説は伝えてくれているのである(だから、この小説は非常に前向きで希望に満ちている)。

謎の老人<オーナー>は<彼女自身>だった?

「謎の老人」として登場する<オーナー>は、さほど重要な人物ではないだろう。

なぜなら、オーナーは「彼女自身」であり、「作者の化身」であるとも言えるからだ。

二十歳の誕生日という節目に、人は誰しも将来に対する何らかの夢を思い浮かべるものだ。

その夢は、自分自身に対する「誓い」でもある。

村上春樹的に考察すると、<オーナーの部屋(604号室)>は彼女の内的意識であり、<謎の老人>は、潜在意識下の彼女、ということになる(だけど、こういう分析は、あまり意味がない)。

「何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれない」という彼女の言葉が、彼女が自分と向き合いながら生きていることの証拠である。

あるいは、<謎の老人>は、読者に激励のメッセージを送る作者の化身だったかもしれない。

この小説は、あまりにメッセージ性に富んでいて、一歩間違うと説教くさくなるというリスクを抱えている。

要約すると、「二十歳になる人たち、頑張れよ~!」という作者からのメッセージこそが、この小説の主題なのだ。

そして、とっくの昔に二十歳の誕生日を迎えてしまった人たちにとっても、この作品は力強い応援メッセージを与えてくれる。

なぜなら、「まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃないから」だ。

つまるところ、人生をあきらめることはないよ、というのが、この小説の教訓だろう。

「二十歳の誕生日」は、若かった頃のひとつの象徴であり、「誕生日の願い」は、シンボライズされた若き日の夢である。

この小説が発表されたとき、作者の村上春樹は53歳だった。

「まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃない」というメッセージは、もしかすると、同世代の中高年に向かって発せられていたのかもしれない。

中学校の国語の教科書に載ってるけれど、結構、年寄りくさい小説だよ、これ(笑)

作品名:バースデイ・ガール
著者:村上春樹
書名:バースデイ・ストーリーズ
発行:2006/01/10
出版社:中央公論新社(村上春樹 翻訳ライブラリー)

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。メルカリ中毒、ブックオク依存症。チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。札幌在住。