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チャールズ・ラム「エリア随筆抄」解説豊富で文章も読みやすい入門者向け

チャールズ・ラム「エリア随筆抄」解説豊富で文章も読みやすい入門者向け

チャールズ・ラム「エリア随筆抄」読了。

本来「エリア随筆」は、1820年2月から1825年まで『ロンドン雑誌』に発表されたエッセイで、『エリア随筆集』が1823年に、『エリア随筆後集』が1833年にエドワード・モクソンから刊行されている。

原題は「Essays of Elia」(エリア氏が書いたエッセイ、という意味)。

連載開始の年、著者は45歳だった。

本作『エリア随筆抄』は、『エリア随筆集』28作品、『エリア随筆後集』24作品、計52作品のうちから、特に優れた16作品を翻訳・収録した選集である。

山内義雄訳『エリア随筆抄』(みすず書房)がおすすめの理由

今、僕の手元にある「エリア随筆」は、『平田禿木選集(第三巻)翻訳エリア随筆集』、戸川秋骨『エリア随筆』(岩波書店)、山内義雄『エリア随筆抄』(みすず書房・大人の本棚)、船木裕『エリアのエッセイ』(平凡社ライブラリー)、南條竹則『エリア随筆抄』(岩波文庫)の5冊である。

世の中には、多くの「エリア随筆」の翻訳が出ているが、全作品の完訳は、平田禿木と南條竹則の二人だけということらしい。

自分の手持ちの中にあるもので、これから「エリア随筆」を読もうと考える若い世代へおすすめしたいのは、みすず書房・大人の本棚シリーズに入っている、山内義雄・訳の『エリア随筆抄』である。

理由は、3つあって、ひとつは装幀がきれいで、版も大きく、ビジュアル的に「とっつきやすい」こと。

ふたつめは、自分の推しである庄野潤三の解説が収録されていること。

最後に、三つめは、これまで読んだ「エリア随筆」の中では、比較的読みやすい文章で訳されていて、一つ一つの作品に訳者の解説が附くほか、訳注も充実していることである。

このうち、最も重要なのは、おそらく3つめで、なぜなら「エリア随筆」は、本来非常に読みにくいエッセイ集だからだ。

「エリア随筆」は、なぜ、読みにくいのか?

その理由も3つあって、ひとつは、文章が装飾的で、非常に長いこと。

これは、そういう文章が好まれた時代だからであって、ここが「エリア随筆」に馴染めるか否かの、ひとつの関門になっているような気がする。

ふたつめは、シェイクスピアを始めとする古典や文学作品からの引用が、極めて豊富であること。

つまり、幅広い文学作品についての知識や教養がなければ、「エリア随筆」をしっかりと理解することは難しい。

ただ、この点については、解説や注釈を参考にすることでカバーできるし、むしろ、「エリア随筆」をきっかけとして、引用文の原典に当たってみるなど、副次的な効果が期待できるから、文学好きの人間として、こういった引用の多用は、歓迎すべき特徴と言うこともできる。

3つめは、随筆の題材として、親戚や友人・知人など、いわゆる身内話が多いことで、最初のうちは、少々戸惑うかもしれない。

ただし、チャールズ・ラムの随筆は、身辺の出来事を素材としながら、人間社会や人生を普遍的にとらえていることが、大きな魅力となっているので、これも慣れれば、さほどの障害とは言えないだろう。

ハードルが高いのは、やはり最初の、長くて読みにくい文章で、これは、できるだけ平易で読みやすい翻訳を見つけるしかない(読みにくい文章こそラムの味だと考えている人には、物足りないかもしれないが)。

それがために文体が難しくなるのも致し方がない。が、そればかりではない、ラムの文章には古語警句が至るところに挿まれている、というよりも、それを以って固められている。しかも往々その容姿をかえて出されているので、それが容易に掴み切れない、さらに言えばそれがために文体は益々解り悪くなる。全体が一種の象嵌細工のような趣をなしている。(チャールズ・ラム「エリア随筆」戸川秋骨による「訳者の言葉」)

その点、山内義雄・訳の「エリア随筆」は、原文の美しさを保ちながら、比較的分かりやすい翻訳で紹介されているので、初めて「エリア随筆」を読むという方にはおすすめである。

なにより、詳細な訳注のほか、作品の一篇一篇に訳者による解説が付いているというところがうれしい。

これから「エリア随筆」を読もうと考えている人たちへの配慮が感じられる。

ちなみに、訳注は、引用元や人物紹介が中心で、最初の「南海会社」では、50個もの訳注が添えられている(エッセイ自体は決して長いものではないが)。

本書『エリア随筆抄』に収録されているエッセイは、計16作品。

最初の作品「南海商会」や「エリア随筆」の最高傑作との評価も高い「古陶器」「幻の子供たち──夢物語」、庄野潤三や小沼丹の作品に登場する「煙突掃除人の讃」、一般に人気の高い「除夜」「はじめての芝居見物」「豚のロースト談義」など、まずは読むべき作品が、ひととおり収録されている。

私が、ここに、彼の随筆中から珠玉中の珠玉ともいうべき十六編をえらんで訳出し、できるだけ詳しい註釈のほかに、各篇ごとに解説を附したのは、「エリア随筆は、どうも分らない」という人たちへの、いくぶんなりともの道しるべの役にたちたかったからである。((チャールズ・ラム「エリア随筆抄」山内義雄「あとがき」)

巻末にある庄野潤三の解説「ラムとのつきあい」もいい。

最初からすべて理解しようとするよりも、興味のあるところから入っていって、少しずつチャールズ・ラムの世界へ頭を馴染ませていくと、いつの間にか、この世界の虜になっているかもしれない。

ちなみに、ラムの世界に慣れた後は、平田禿木や戸川秋骨など、古い時代の翻訳を読んでみると、さらに世界が広がる。

戸川秋骨・訳『エリア随筆』(岩波文庫)では、当時の挿絵が収録されているので、チャールズ・ラムの世界のイメージを掴みやすいのではないだろうか。

初めての「エリア随筆」の読み方

庄野潤三の小説や随筆を読んで『エリア随筆』に触れてみようという人は、まずは「幻の子供たち」から入ると親しみやすいかもしれない。

翌年、外語の一年のとき、私は心斎橋の丸善でエヴリマンズ・ライブラリーの『エッセイズ・オブ・エリア』を見つけて、よろこんで買って帰った。いちばんに読んでみたのは、中尾先生が黒板に書いた「ドリーム・チルドレン」である。(庄野潤三「ラムとのつきあい」)

幼い子どもたちに、曾祖母や伯父さんの昔話を聴かせてやるという話だが、死んだ美しいお母さんの話をはじめようとするところで、子どもたちの姿が少しずつ消えていく。

かつて好きだった女性との間に子どもが生まれていたら、果たして、そのような未来もあっただろうかと思わせられる、美しくも切ない物語だ。

「私たちは、アリスの子供でもなければ、あなたの子供でもありません。いえ、子供でもなんでもないのです。アリスの子供たちは、バートラムをお父さんと呼んでいます。私たちは空(くう)なのです。そう言うにさえあたらないものなのです。幻なのです」(チャールズ・ラム「幻の子供たち」山内義雄・訳)

「エリア随筆」は、ラムが中年になった後で書かれた作品ということもあって、昔を懐かしく思い出す話が多い。

中年男性の胸に潜む「果たせなかった夢」が、幻の子供たちを見せたのだろうか。

ちなみに、ラムは、精神異常の病気を持つ姉メアリの世話をするため、生涯を独身で通さなければならなかった。

次に、庄野さんが読んだのが「初めての芝居見物」である。

地味なビジネスマンだったラムの趣味は、読書と芝居と美食の三つで、本作では、子どもの頃に見た演劇を回想している。

私は再び劇場の門をくぐった。あの懐かしの『アルタクセルクセス』の夜が、私の空想のなかにまだ鳴り響いていたのだ。(略)けれども、十六歳と六歳の隔たりは、六十歳と十六歳の隔たり以上に人間を変えてしまう。その間に、私はあれもこれも失ってしまった!(チャールズ・ラム「初めての芝居見物」山内義雄・訳)

「美しい思い出のままでしまっておきたかった」というようなことを、しばしば我々は考えている。

「幼い時には、私はなにも知らなかった。なにも分らなかった。なにも弁えなかった。一切を感じ、一切を愛し、一切に驚いた──」とあるように、子どもの頃の感動は、唯一無二の特別なものだ。

それは、大人になって理解できるものなのかもしれない。

庄野さんの解説(「ラムとのつきあい」)では、次に「煙突掃除人の讃」が登場する。

これは、小沼丹の作品にも登場している、有名な作品だ。

煤けた顔を、おいしそうな湯気の上につきだしている、そうした煙突掃除人にお会いのこともあらば、なみなみと一杯ご馳走してやっていただきたい(三ペニー半ていどの散財にしかすぎないのだ)。それにおいしいバター付きのパン一片(もう半ペニーの散財だ)を──そうなれば、あなたのお家の台所の炉は、つまらない連中にご馳走をしたがために、やけに積った煤もきれいに払いのけられ、軽やかな煙を大空に巻きあげることであろう─。(チャールズ・ラム「煙突掃除人の讃」山内義雄・訳)

煙突掃除人の好物は、ササフラスという名の甘い木を煮詰めたお茶「サループ」で、ミルクと砂糖を入れると、人によっては中国茶以上に風味があるという。

貧しい子どもたちへの親しみが感じられる作品だ。

少年掃除人の姿は、風刺画家ホガースの「フィンチリイの行進」という作品にも描かれていて、昔からロンドンの名物となっていたらしい。

ただし、ラムのエッセイが発表された18年後、少年煙突掃除人は児童虐待に当たるとして、法律によって廃止された。

最後に庄野さんが紹介しているのは、「エリア随筆」の最高傑作とも言われる「古陶器」である。

「楽しかった昔が、もう一度かえってきてくれたら……」と、彼女は言った。「こんなにお金持ちでなかった昔が……。貧乏になりたいっていう意味ではないけど。でも、ほどほどという時がありましたわ」──彼女は、そんな風にとりとめもなく喋舌りつづけた──「そのころの方が、私達ずっと幸福だったと思います」(チャールズ・ラム「古陶器」山内義雄・訳)

ようやく安定して人並の生活を送れるようになった頃、姉メアリは、暮らしが大変だった頃の方が幸せだった、というような話をする。

「振り返れば、みな良い思い出」と言うが、実際に厳しい生活を乗り越えてきたメアリの言葉には、人生の深みがある。

訳者・山内義雄も「「まぼろしの子供たち」と共に、このすぐれたエッセイ集の中でも最高峰に位するもので、まことに英文学随筆の花である」と絶賛している。

「幻の子供たち」と「古陶器」を読むことで、まずは「エリア随筆」の入門を果たしたと言うことができるのではないだろうか。

僕は、庄野潤三の作品を読んで、チャールズ・ラムの世界へと進んだ。

庄野さんが敬愛する福原麟太郎の随筆にも、大きな刺激を受けた。

一生のうちに一度は読んでおきたい、永遠の名作である。

書名:エリア随筆抄
著者:チャールズ・ラム
訳者:山内義雄
発行:2002/03/15
出版社:みすず書房・大人の本棚

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。